世界の12の先住民族の物語を紡いでいく旅。ドキュメンタリー映画「響き 〜RHYTHM of DNA〜」
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12の先住民族
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DNA
12の先住民族
※「撮影終了」の先住民族名をクリックすると、取材済みの撮影手記などをご覧になれます。
ABORIGINAL:アボリジナル
CELT:ケルト民族
ALASKAN TLINGIT:アラスカクリンキット族
HOPI:ホピ族
TAIWANEE HILLTRIBE:台湾の山岳民族
NATIVE HAWAIIAN:古代ハワイの先住民族
AINU:アイヌ民族
UNKNOWN:未知
CELT:ケルト民族
撮影手記
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「HIBIKI 第2章 〜ケルト〜」取材クルーの移動。2014年4月17日〜2014年6月2日
(*すべて現地時間。アイルランドと日本の時差:-8時間)
2014.04.17   成田からアブダビ経由で、アイルランド・ダブリンに向けて出発。
2014.04.18   ダブリン到着。
2014.04.19   09:15発 高速バスでゴールウェイに向けて出発。
2014.04.19   17:15発 ゴールウェイからアランシャトルバスに乗って、ロッサヴィール港へ。
2014.04.19   18:30発 フェリーに乗ってアラン諸島、イニシュモア島へ。19時過ぎに到着。
   
2014.04.20 〜 2014.04.21 島のホステル「minister house」に宿泊。
   
2014.04.22   島人の家でホームステイがはじまる。撮影開始。
   
2014.04.23 〜 2014.04.27 イニシュモア島の風景を中心に撮影。
   
2014.04.28   アランのフィッシャーマンに密着。
2014.05.01   イザベルのホームセクション(歌と踊り。シャンノスにはじめて触れる)撮影。
2014.05.02   アイルランド本島に戻り、ルイスヴァーグに向かう。
2014.05.03   ルイスヴァーグ・アイリッシュミュージックフェスタ取材。
2014.05.04   アイルランドの富士山と言われている「クローパトリック山」に登頂。撮影。
2014.05.05   再び、アラン諸島、イニシュモア島へ帰る。夕方から農家パッキールの撮影。
2014.05.07   シャンノスのシンガー、テレサの撮影。アランのアーチスト、バーブラ撮影。
2014.05.08   ケルティック司祭ドルイド、ダーラ撮影。アイリッシュミュージックのダンサーとシンガー、ローラン&デュードラ撮影
   
2014.05.09 〜 2014.05.11 イニシュモア島の風景撮影
   
2014.05.12   再び、アイルランド本島へ。ウェストポートへ向かう。
2014.05.13   2度目、クローパトリック山に登頂。日の出から撮影。エルフの森(オークの森)撮影。
2014.05.14   ケルトのストーリィ・テイラー、トムの撮影。夕方からコネマラ国立公園へ移動。
2014.05.15   コネマラ国立公園撮影。モハーの断崖へ移動(夜)
2014.05.16   モハーの断崖撮影 → バレン撮影(巨人のテーブル) → キラーニー国立公園撮影 → ディングル(夜移動)
2014.05.17   アイルランドのリゾート地ディングル。ケルトの古民家撮影。夜、一気に北上。日を跨ぎ、グレンヴェー国立公園に到着。
2014.05.18   グレンヴェー国立公園撮影。夕方から北アイルランドへ向けて移動。しかし、ジャイアンツ・コーズウェイの手前でアイルランドに引き返し、ニューグレンジへ。
2014.05.19   ニューグレンジ (巨大古墳群:ケルトの渦巻き紋様など)→ タラの丘(ケルト王タラ)撮影。夜、グレンダーロッホ国立公園へ移動。
   
2014.05.20 〜 2014.05.21 グレンダーロッホ国立公園撮影。夜、ゴールウェイへ移動。
   
2014.05.22   3度目、アラン諸島、イニシュモア島へ。
2014.05.23   アランのサンライズとサンセット撮影。
2014.05.24   アランのグランマザーのアラン編みを撮影。
2014.05.26   日の出撮影。ケルティック司祭ドルイド、ダーラのセレモニーを撮影。
   
2014.05.27 〜 2014.05.28 2日間のオフ日。ケルトの旅に出てはじめてキャメラを持たないで過ごす。釣りとお散歩。
   
2014.05.29   アラン諸島、イニシュモア島を離れ、ゴールウェイ、そして、ダブリンへ。
2014.05.30   ダブリンの街を撮影。
2014.05.31   ダブリンからアブダビ経由で成田に向かう。
2014.06.02   成田着。
SONY 4K

SONY 4K ハイビジョンの4倍の画質、4K。

 HIBIKI 第2章 ケルト編から導入。

 まるでその場の風を感じ、匂いまで漂って来そうな臨場感溢れる映像が撮れた。殊に暗いシーンでその威力を発揮。照明機材を使わなくても、自然なままに撮影出来た。

 また、圧倒的なまでの描写力は、カメラワークも変化させた。じっと構え、大自然と対話するように撮った。

  響きのコンセプトにぴったりのカメラ。

  奇跡に出会う旅、響き、その瞬間を4Kが撮る。

アラン諸島 〜イニシュモア島〜

  「アラン編みセーター」としても知られるアラン諸島は、断崖絶壁の岩だらけの荒地。

  人々はハンマーで岩を砕き、ワカメを混ぜて、気の遠くなるような時間をかけて、作物を育てる土を作った。そのような不毛の地に人がいる。

  ケルト民族だ。

  これは世界の先住民族の多くに見られることで、他の民族からの脅威に彼らは辺境地へとどんどん追いやられてゆく。

  アラン諸島に今に残る古いケルティックの生活様式や跡から、この地にケルト民族が最後の住処を求めてやって来たと容易に想像出来る。

  しかし、偏に「ケルト人」と言っても、アボリジナルとか他の国の先住民族のように、明らかな形で現存している訳ではない。その定義は実に様々で、「人種として」、「歴史上として」、「言語学上として」、「美術様式上として」、などに分類される。また、彼らはヨーロッパ各地に散ったので、ここアイルランドだけにケルト人が留まったとも言えない。

  しかしながら、HIBIKIでは、これらの定義から学び、それらに流れる「スピリッツ」を「ケルト」として、リサーチを進めた。そして、アイルランドに的を絞り、さらに岩だらけの不毛の地、アラン諸島に、HIBIKI第2章ケルト編の軸を置くことにした。

  アランピープル、今に生きるケルトの子孫の彼らに密着。

  HIBIKIはアランのDNAに刻まれたケルトスピリッツに触れることが出来た。

 

   ・イニシュモア島の自然 

島中を張り巡らせている石垣 アラン諸島は3つの島からなり、西側から、イニシュモア(Inis Mór)、イニシュマーン(Inis Meáin)、イニシィア(Inis Oírr)と呼ばれる。

  アイルランドの古い言葉のゲール語で、「Árann」の意味は「長い山々」の意味で、現在の島の名前にあるInisは「島」の意味である。

  また、Mór、Meáin、Oírrはそれぞれ「大きな」「真ん中」「東」の意味がある。これらのアラン諸島は石灰質の岩盤だけで出来た島群である。

  HIBIKIはアラン諸島のイニシュモア島に密着した。

  最初に驚いたのは島中を張り巡らせている石垣だ。アランといば、この石垣でも有名である。風の強いアラン。命のように大事にしている土が、風で飛ばされないように畑と畑を囲んでいる。

  「俺たちが今ここで生活出来るのは先祖のおかげだ」と、アランの人は誰もが口をそろえて言う。

  不毛の地で土を作り、果てしなく続く石垣を築き上げ、命の恵みを守って来た。想像も出来ないほどの激しい苦労を強いられてきた自分たちの先祖を、アランの人たちはとても愛している。

 

   ・アラン編みセーター

アランセーターを編むグランマザー アランの険しい大自然の中で生き抜くその厳しさ。

  アラン編みセーターは、彼らのスピリッツを象徴していると言えるだろう。

  アランは不毛の地。荒地がゆえに食料に乏しい彼らにとって、漁は大事な営みであった。

  しかし、アランは島(陸地)も険しいが、海もすこぶる荒い。実際、漁船に乗って撮影した時、晴れ渡っているにもかかわらず、その揺れは想像を超えていた。

  「こんなもんじゃない。海が一度牙を向けると、この高さの岸壁をいとも簡単に飲み込むほどの荒波で襲って来る」

  と、フィッシャーマンが船から見上げるどでかい岸壁を指して話してくれた。

  そんな荒海に男たちは繰り出る。命掛けの漁。多くの者が海で命を落とす。

 アラン編みセーターは家ごとに違う編み目を持っている。それは骸の目印とする為だった。

 アランの女たちが編むひと目ひと目には、愛する男が生きて帰って来てほしい、その祈りが込められている。

 

    ・半農半漁

主食であるジャガイモ畑の仕事を息子に教える農夫パッキール。また、漁師でもあるパッキール、断崖絶壁を背に漁をする。

 今のアラン、イニシュモア島の人口は約800人。日本の離島と同じく高齢化の問題を抱えている。

 島の学校は高校までで、若い人は大学に行く為に島を離れアイルランド本島の都市に出る。しかし、学業を終えても島に戻る人は少ないと言う。

 その大きな理由のひとつが、島に仕事が少ないからだ。

 アランの今の主な仕事は観光業。観光客から入る収入がほとんどを占める。かつて大自然と共に生きたアランピープルの営みはすっかり影を潜めた。

 しかし、HIBIKIは、今でも島の伝統を守り、昔ながらの半農半漁を生活の営みとして生きるアランピープルに密着することが出来た。

 島の奥に入ることで見えて来た今に生きるアランピープルの日常に、ケルトスピリッツを見出す。

 

   ・シャンノス 〜口伝〜

シャンノスのシンガー、テレサと一緒に シャンノスとは、元々文字を持たないケルト文明が、口伝しやすくするため、物語に韻を踏ませたもの。歴史はとても古い。

  シャンノスのシンガー、テレサは、アボリジナルのソング・ラインも私たちに似ていると言う。

  アイリッシュの古い言葉、ゲール語で歌われる。音色は柔らかく、日本の沖縄、八重山諸島に伝わる民謡に似ていたので驚いた。

  響き第2章ケルト編で、もっとも重要な要素だ。

  ケルティックの物語、先祖代々からのメッセージを、今に伝えるひとつのカタチ、シャンノス。

  シャンノスはケルティックにとってとても神聖なもの。テレサはHIBIKIの為に歌ってくれた。とても光栄に思う。

  1曲歌っては、物語り、1曲歌っては、アランの歴史を話してくれた。そして、自然な形でインタビューに流れていった。

  シャンノスとは何か? HIBIKIに記録された。

 

   ・ケルティック司祭ドルイド

ケルティック司祭ドルイドのダーラ ケルト社会において極めて高い位の僧侶、「ドルイド」

  「ドルイド」は、「オークの知識を持っている」という意味である。これに見られるように、ケルト人にとって、樹木は神聖なるものであった。

  その中でも「オーク」の木は、「もっとも神聖なるもの」として拝まれた。また、ヤドリギ(宿り木)は、樹木に宿る神の魂として認識されていた。

  HIBIKI第2章ケルト編のプランづくりの段階では、実際のドルイドの取材が出来るなんて夢にも思ってなかった。

  しかし、ご縁を頂くことが出来て、ドルイドを受け継ぐダーラの取材に成功。

  ダーラという名前は、ドルイドの家系である証。ダーラからHIBIKIにメッセージを授かった。

 
アイルランド本島

 HIBIKI第2章ケルト編の取材は、45日間に及んだ。

 メインはアランであったが、ケルトの大自然を歩き撮るのも重要なミッションであった。

 10日間かけて、アイルランドにある4つの国立公園のすべてを回った。

 今に動き出しそうなオークの森、空を低く覆う雲と風、それらすべてがHIBIKIを古代のケルトにタイムスリップさせた。

 とくに印象深く残ったのは、北西にある、「クローパトリック山」に登った時だ。

 クローパトリックは、古きから今に受け継ぐケルトの聖地。アイルランドの富士山とも言われている。

 この時の感動は一生涯忘れる事はないだろう。

 それをディレクターズ・ノートに、叙情詩で書き留めたものをここに掲載する。

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クローパトリック山 僕は気がついたら大きな白馬に跨がって山を登っていた。馬を飾る調達品にはケルト文様が刻まれていて、その腹を蹴る僕の足には、銀色の鎧具が纏ってある。

 クローパトリックを登るに意味など要らない。ここにいることが答えであり真理であろう。僕はケルトの風となり偉大な騎士となった。歩く道には花が喜び、けものたちも喜び吠える。その声は天まで届こう。

 風は己の威力を世に知らしめようと、すべてを吹き飛ばそうとする。またお友達の雲は、彼を助けるべく激しい雨を降らす。

 しかし、風は傲っていた。自分の威力に酔いしれて、一瞬のスキを見せる。

 あまりにも速い己の流れに、空をすべて覆い尽くすことが出来ず、時折、空を太陽に譲ってしまう。

 その瞬間、太陽は今かと、遠く下の街に、森に、湖に、光のシャワーを浴びせる。

 しかし、彼女もすべてを一瞬では照らすことが出来ず、風のシャワーと混ざり合う。

 僕は白馬の上からその光景を見た。なんと壮大でエキソチック!

 神々の戯れに巻き込まれた僕は気づいたら、クローパトリックの頂上に立っていた。

 今度は霧に包まれた静寂の世界。

 突然、一匹の野生の羊が向こうからやって来ては一声泣いてみせる。

 その音に、あ、と我に返る。白馬は消え、鎧も消えた。

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・4つの国立公園

・アイルランド4つの国立公園
1、コネマラ国立公園
2、キラーニー国立公園
3、グレンヴェー国立公園
4、グレンダーロッホ国立公園

   1、(アイルランド北西) コネマラ国立公園
   2、(アイルランド南西) キラーニー国立公園
   3、(アイルランド北東) グレンヴェー国立公園
   4、(アイルランド南東) グレンダーロッホ国立公園

エルフの森 アイルランドの自然の特徴として、東は緑豊かであるが、西に行くにつれ、岩が多くなって来る。

  また、一年通して雨が多い為、地面は常に濡れていて、木の根元や岩には苔がびっしり張り付いている。

  これが鮮やかな色彩を放ち、木と岩が今に動き出しそうで、人をファンタジーの世界へ誘い込む。

 アイルランド西の都、ウェストポートから南へ車を走らせること1時間。

  そこには古いオークの木が立ち並ぶ「エルフの森」がある。

  その森に足を一歩踏み入れた瞬間、この世界ではなく、どこか異次元に迷い込んでしまったと思った。

  ケルトに関連した数々の小説や映画で、木が動き出すけれど、この森に入ったら誰もがそう思うだろう。

  HIBIKIは、ケルトの大自然と対話しながら撮影を進めた。

 

   ・妖精 〜理不尽を受け入れる力〜

聖なる妖精の木

 HIBIKI 第2章ケルト編のもっとも重要なコンセプトが「理不尽を受け入れる力」である。

  人類は遥か昔から大自然の脅威と共に生きてきた。時に突然やって来る大災害。人は大自然の前でここまで無力であるんだと思い知らされる。

  大切な人を失い悲しむ。時にそれは怒りに変わることもある。しかし、いくら苦しんだところでどうにもならない。

  最後は受け入れるしかないのだ。極めて理不尽な話だ。

  また、他の民族に襲われ愛する者を奪われた上、住む地からも追い出され、人が到底住めないような辺境地にまで追いやられる。これも極めて理不尽だ。しかし、私たち先祖はこれらの理不尽を受け入れて来た。

  ゆえ、強い。理不尽を受け入れる力とは、「相手」を許す力であろう。

  このように世界の先住民族に共通しているものに「理不尽を受け入れる力」がある。

  ともすれば、現代の私たちは、人が本来持っているこの強さ「理不尽を受け入れる力」がとても弱くなっているのではないかと思う。

  自分と相反するものを受け入れることができず、すぐに攻撃してしまう。また正義を名乗った暴力が国と国、もっとミクロに見れば「自分」と「他人」の間で行われている。

  真の平和とは、自分と違うもの(理不尽)を受け入れ、その調和に生きることではないだろうか。

  昨年取材したオーストラリアのアボリジナルは、「善と悪」、どちらも畏れ敬むものとし、理不尽を受け入れ調和に生きて来た。

  このように先住民族に伝わるメッセージには生きる叡智がいっぱい詰まっている。

  これはHIBIKIの全編を通して、とても重要な要素である。

農夫でストーリィ・テラーのトム そして、ケルト人が大自然と共に生きる叡智のひとつに、「人」と「妖精」とのつき合い方がある。

  ケルトスピリッツが今も色濃く残っているアイルランドでは、神は信じなくても、妖精は信じると人は言う。

  妖精は「良き隣人(グッドネイバー)」と呼ばれないとすぐに怒るらしい。時には赤ん坊をさらったり、森で道に迷わせたり。

  このように、ケルト人は、先祖から子孫へ、その地方に住むと言われる妖精の物語を数多く伝承して来た。

  その物語には、「命」と「死」が描かれている。

  これは、過酷な自然、その理不尽との付き合い方を学ぶ為に。「生きる」を学び、いずれ迎える「死」を学ぶ。学べば救われるのだろう。

  悲しかったり、恐ろしかったり。嬉しかったり。このようにして「妖精」は生まれたのかもしれない。

  今回、ケルトの農夫でストーリィテラーのトムの取材に成功した。トムは古い時代のケルトの生活様式を大事に、今を生きている。

  トムに先祖から代々語り継がれてきた妖精の物語を、HIBIKIは記録した。

 

   ・アイリッシュ・ミュージック 〜歓喜〜

アイリッシュミュージック・フェスタ ケルト人は、戦いのイメージがあるけれども、本来、自然と平和を愛する民族とも言われている。

  ヴァイキングやギリシア人・ローマ人など、他の民族の脅威に幾たびも晒されて来て、彼らは自分たちを守る為に戦わざるを得なかったのだろう。

  また、ケルト人は戦いにおいて勇敢であった。名誉と勇気を示す為なら命を差し出す。これは輪廻転生、つまり生まれ変わりを信じていたからであった。 そんな彼らを古代ローマ人は「蛮族」と呼んで恐れた。

  そして、険しい大自然の中での農耕と狩りと漁、生き抜くその厳しさ。

  このように厳しい生き方を強いられる一方、それゆえ共に生きる感動も高らかであった。

  ケルト人は、その歓喜を夜な夜な宴会を開き、酒を愛し、美食を愛し、詩と物語を愛した。

  今もアイリッシュは言う、「僕たちはみんなストーリィ・テラーさ」と。

  そして、彼らの歓喜を盛り上げるもっとも大事なものは、「音楽」だと言えよう。

  このようにして、「アイリッシュミュージック」は、庶民の間で発展して来た。

  HIBIKIは、アイルランドの北西の町、ルイスヴァーグで開催された「アイリッシュミュージック・フェスタ」を取材した。

  また、アイリッシュミュージックのプレヤー、シンガー、そしてダンサー、多くのミュージシャンをフィルムに記録。

  HIBIKI 第2章ケルト編は、アイリッシュミュージックの洪水に呑まれ、ケルティックの歓喜の波に揺れる旅でもあったと言えよう。

ケルトの渦巻き紋様 〜ニューグレンジ〜
 ドキュメンタリー映画「響き 〜RHYTHM of DNA〜」の全編を通して大事にしている取材スタンスがある。

  それは「アジェンダ・レス」

  「アジェンダ」とは「計画」、そして「レス」なので、「計画を持たない」と言う意味である。

  ドキュメンタリーが発するメッセージが普遍の真理に近づくにまずはじめにやって来る課題がある。

  それは「予定調和」の壁だ。

  ともすれば、「ドキュメンタリー」にもかかわらず、ディレクターはじめ製作陣の頭の中の世界「想定内」で完結させようとする力が無意識にも、意識にも働く。

  その壁を破壊するに「アジェンダ・レス」は威力を発揮する。

  しかし、その為には、「全命」を掛ける覚悟が求められる。

  昨年のHIBIKIクランクイン、アボリジナルに続き、今回も「何もない」で、アイルランドに飛び込んだ。

  しかし、多くのメッセージに出会い紡ぐことが出来た。

  奇跡に出会う旅が、HIBIKI。

  それを可能にするのが「アジェンダ・レス」なのだ。
アドベンチャー・ブログ 〜ケルト編〜

 HIBIKIは、ビジュアルの作品でありながら、結果オンリーの作品主義からの脱却を目指している。

  映画製作の準備からはじまって、そのアプローチ、すべてが「作品」なのだ。

  ロケ中、HIBIKIの賛同者の皆さまに、今、何が起きているのかを、ほぼリアルタイムで発信して来た。

  HIBIKI 第2章ケルト編、そのアプローチを共にする為に、「アドベンチャーブログ」とネーミングしたそれは、ディレクターの視点から描かれている。

  旅のはじまりから発信し続けた「ディレクターズ・ノート(アドベンチャーブログ)」は、賛同者の皆さまから大きな反響を頂いた。

  また、インターネットならではの双方向のやり取りが実現し、旅の途中に賛同者の皆さまから届く応援のメッセージが勇気となって、出逢う奇跡も加速していった。これも、HIBIKIの製作の特徴である。

  未知の領域を旅するHIBIKI、奇跡に出逢いたくすべてを天に委ねて突き進むその険しい道のり。日本からリアルタイムで届くひとりひとりの応援のメッセージは、HIBIKIを照らす光となった。

主なシーン

 奇蹟に出逢う旅、HIBIKI。「第2章〜ケルト編〜」の取材でそれを色取る4つのシーンをご紹介。

 ・ホームステイ

 ・時空を超えて

 ・農夫トム

 ・海の妖精

 「ディレクターズ・ノート」から抜粋。

 「主なシーン」はこちらから>>>

HIBIKI Color 赤:太陽 黄:月 白:宇宙 これらの色を合わせて「世界」を意味する。