響き第8章マヤ編で旅した遺跡は、グアテマラとメキシコのユカタン半島を合わせて、16ヶ所にものぼる。
グアテマラのティカル遺跡や、ユカタン半島のチチェン・イッツァ遺跡など。
古のままに、今もなお呼吸を続けているマヤの遺跡群。
以下、ディレクターズ・ノートより。
*グアテマラ
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【ディレクターズ・ノート:ティカル神殿】
現地時間 2016 11.12 20:30
21世紀の現在でも、グアテマラで最も高い建築物でもある、ティカル4号神殿。その頂上。
ここから世界を見る者は、誰もが太古へと誘われるだろう。
「太古のマヤ人が見るように見、感じるように感じ、嗅ぐように嗅がせて下さい」
と、祈りながら、日の入りを待った。
すると、眼下に広がるジャングルが少しずつ溶けて消えてゆき、大勢の人と人が行き交う大都市が現れた。
想像なのか、太古の記憶なのか、僕は遥か昔、確かにここに立っていた。
その時に見ていた先と今とが重なって来て、不思議な感覚を覚えた。
響き第8章マヤから、先住民族の叡智を求める旅から、存在そのものを問う旅に変わってゆく。
太古のマヤの人が、見ていた先を旅しようと思う。
ここティカルを、明日の早朝の4:30に出発。
12時間、来た道を戻ってアンティグアへ。
いよいよ、マヤの今に生きる子孫たちの取材が始まる。
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【ディレクターズ・ノート:太陽と月(※再び、ティカル遺跡)】
現地時間 2016 11.27 19:00
僕は今、ティカルからの帰り、フローレス湖の辺りで、夕日を撮影。
日が落ちるとあっという間に暗闇に染まる。
今度は、月の世界だ。
ティカルのメイン・プラザの中央を挟んで、向き合っている二つの神殿。
そのひとつのジャガー神殿(第1号)は、太陽のシンボルであり、王様、男性性を表す。
もうひとつの、ムーン神殿(第2号)は、名前通りの月のシンボルであり、王様が妃の為に造った。女性性を表す。
太陽と月。
陽と陰。
男性性と女性性。
世界は二つの「間」にある。
両方を知りそのバランスに生きるセンスを持つことで、葛藤は消え行き、心を平安に保てるだろう。
相反するものは、反発し合うものではなく、両方が互いを認め合い、同じ時空に存在することで、これも人が学び成長する為の叡智であると思う。
マヤは、自然との調和を重んじ、今でも、日々の生活の中に、マヤカレンダーを取り入れているのは、その旋律の美しさを知っているからではないだろうか。
古に生きる人々、マヤ。
彼らが今、この地球にいることは幸いである。
21日、ドン・アレハンドロとエリザベスの儀式から始まった、一同の旅も、今日の夜、グアテマラシティーに帰り、明日の28日、ドン・アレハンドロの2回目のインタビューをもって終わる。
深夜の2時に起きて、寝るのも0時を回るハードな一週間でもあったが、ティカルは電波が全く届かず、唯一のWiFiが使える遺跡内のレストランも、トラフィックが混み合っていて、メールチェックくらいが精一杯。
しばらく、ディレクターズ・ ノートもご無沙汰になってしまった。
これから、この一週間をノートに記録して行こうと思うが、マヤの大地とシンクロし、そして起きた出来事に、それをどう述べれば良いのか、途方に暮れてしまう。
すべてが終わって、29日からのアンティグアで記そうと思う。
今日は、僕の安否の確認のご報告も兼ねて、ノートを書く。
というのも、僕がしばらくご無沙汰だったので、何人もの方々からメッセージを頂いた。
みなさまにご心配をおかけしました。
でも、そのメッセージがとても嬉しく、みんなと一緒に旅をしているのを肌で感じるものとなった。
響き第8章にして、大きな節目を迎えている。
これまでの旅と、何かが明らかに違う。
それを、自身がはっきり知りはじめた。
そのことも、みなさんと共有してゆこうと思う。
これから、空港に向かいます。
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11月21日からのスケジュールを記録。
11月21日:カミナルフユにて、ドン・アレハンドロとエリザベスの儀式。沖縄の比嘉さん一同と一緒に参加。午後から、ドン・アレハンドロのインタビュー。
11月22日:一同、博物館巡り。
11月23日:コパン遺跡。
11月24日:キリグア遺跡。
11月25日:ヤシャ遺跡にて、エリザベスの儀式。
11月26日:ティカル遺跡。
11月27日:ティカル遺跡からフローレスに移動。夜のフライトでグアテマラに帰る。
11月28日:ドン・アレハンドロの2回目のインタビュー。
*メキシコ・ユカタン半島
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【ディレクターズ・ノート:古の息吹】
現地時間 2016 12.10 3:30
カルロスさんとのミーティングの翌日の、一昨日から、ユカタン半島・メリダ周辺の遺跡撮影に入った。
7日:カルロスさんとミーティング
8日:チチェン・イッツァ、セノーテ・イキル
9日:ウシュマル、カバー、ラブナ
10日:エクバラン、マヤパン、シビルチャルトゥン
メリダ周辺の遺跡で、撮り残しもあるが、ひとまずここまで。
ここユカタン半島のマヤ遺跡は、グアテマラとは、また違う。
僕は、マヤ遺跡の専門家ではないので、歴史を含めて、詳しくは分からないが、ユカタン半島のものは、磨かれたモダンな感じがする。
ティカル遺跡に代表するグアテマラのほうは、まだ古のままに聳え立っていて、ある日、突然、そこに住んでいた人々が忽然と消えてしまった、そのような出で立ちだ。
チチェン・イッツァをはじめとするユカタン半島の遺跡は、かなり観光地化されているが、まるで、これを創った古のマヤの人々は、未来の今を見ていたのだろうか、訪れる多くの人々の目に応えるべくしてその存在を示しているさえ、思う。
彼らは美しい。とても洗練されている。
チチェン・イッツァのククルカン神殿、ウシュマルの魔法使いのピラミッドなどは、完璧過ぎる。
そのなか、昨日の最後に訪れた「ラブナ遺跡」が、僕はとても気に入った。
小さな遺跡だが、あまり整備されておらず、古から流れている「時」が、そのまま残っていて、場所も不便なところにあるからなのか、人もほとんどいない。
気づいたら、ラブナ遺跡にいるのは、僕、だったひとり。
その時だった。
風なのに、まるでシルクのような柔らかい空気の流れがひとつ、僕の身体を纏わりついた。
とても懐かしい香りを持った風。
僕はこの風を知っていると思った。
記憶を運ぶ風なのだろうか、、、
風は、時空を越えて存在するのだろうか、、、
すっと、ひとつ、風を吸い込んでみた。
僕の回りに急に現れた古のままのマヤの人々。
今は廃墟であるけれど、ここがかつて繁栄していた時の、多くの人々が行き交う、その様子が見えた。
時空を越え、古の記憶を運ぶ風。その息吹。
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【ディレクターズ・ノート:エクバラン遺跡】
現地時間 2016 12.11 10:30
ここはあまりにも気持ちいい。
エクバラン遺跡は、チチェン・イッツァからさらに車を走らせること1時間、ジャングルの奥深くにある。
今でこそ、舗装された道が走っているが、よくぞこんなところに文明を開いたなと思う。
マヤの遺跡を歩いて不思議に思うことは、車輪を持たなかった文明が、ひとつだけで何トンもするような石を、それも天文学的な量のこれらを、どこから、どうやって運んだのか。
また、地平線の向こう側まで見渡せるこの高さまで、どうやって積み上げたのか。
現代人の我々が想像出来る範囲を越えていると思う。
何か古代のテクノロジーがあったに違いない。そう思うほうが理に適っている。
エクバラン遺跡で最も高い神殿、アクロポリスは、高さ33mもある。
頂上まで、古代のままの階段を歩いて登ることが出来る。
急勾配の階段は、途中で下を振り返ったら、目が眩むほどだ。
頂上に登って、古のマヤの王様が見渡したであろう風景に、自身の目を重ねてみた。
彼はここで何を見ていたのだろうか?
ピラミッド、、、人が天空に立つ。
人はその高さを自分たちの力で得るのに、どれくらいの犠牲を払ったのだろうか。
そして、その頂点に立つ王様の威厳と、そして責任を思う。
国を子孫に残してゆく、その繁栄こそが、生きる道であっただろう。
人間が神々と共に生きた、命の記録がピラミッドではないだろうか。
頂上に吹く風があまりにも気持ちよく、撮影を終えてから、しばらく瞑想状態に入った。
ずっとここにいたかった。
いや、ずっとここを探していたようにさえ思う。
遠くを見ると、近くの「人間」が見えて来る。
地平線を挟んで、天と地。
人とは、その間に存在するのだろう。
天と地と人。
その「間」を感じる感性を持っているから「人」
「人間」という存在意義が、ここに立つと見えて来る。
古のマヤの王が見つめた先に、自身を投影出来たと思う。
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【ディレクターズ・ノート:石と森】
現地時間 2016 12.16 02:00
枯れてゆく命も、美しい。
生きるだけが輝くものではなく、この世界に永遠があるとすれば、それは時空を越えて「存在」に宿る美しさであろう。
響きの旅で、多くの遺跡に出会った。
「遺跡」とは何か?
それは、保存ケースに入れられて、命の美しさを奪われるものではなく、そこに宿る生きたメッセージを現代に運ぶもの。
枯れ果ててゆく、その「時の流れ」も、「遺跡」ではないだろうか。
アラスカ・クリンキット族。
彼らのシンボル、トーテムポールは、木で出来ている。
しかし、彼らはそれを保存しない。
「時間」の流れと共に、人間がつくったそれも、ゆっくり時間をかけて、枯れてゆき、やがて自然に帰ってゆくことを良しとする。
そして、トーテムポールはやがて消えてゆき、しかし、それがこの世界に存在した証として、人々の記憶に刻まれ、物語として、子孫から子孫へと伝わってゆく。
日付をまわっているが、今日、訪ねた、パレンケ遺跡は、実に素晴らしかった。
遺跡とジャングル、、、石と森が、共に共存しあっていた。
古代の息遣いを、感じられる。
響き第2章ケルトの旅、、、
彼らも石と森の文明。
人間がつくる「建造物」も、その時代を生きる人々が死に行き、そして、「石」だけが残る。
そして、その石もゆっくりと緑に覆われてゆく。
自然とは、人間が一生のうち、感じることの出来ないくらい、ゆっくり、ゆっくり時間をかけて、「生」も「死」も、輝くものにする。
森に埋まっているパレンケは、生きていた。
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【ディレクターズ・ノート:マヤの創造神ククルカン、現れる】
現地時間 2016 12.22 19:00
コパ遺跡、ノホック・ムルの大ピラミッド。
高さ42mと、ユカタン半島北部では最も高い。
2016年冬至の日の入りを、大ピラミッドの頂上で迎えた。
昼間、賑わっていた観光客も、辺りが暗くなりはじめ、ほとんどいなくなった。
さらにしばらく時間が流れて、眼下に広がる大ジャングルを、独り占めに出来た。
とても静かな時間がやって来た。
人の騒めきに代わって、今度はジャングルの住人たちの番だ。
モンキーに、鳥に、鳴き声からは想像も出来ないような動物たち。
空に輝く太陽は、西色に輝いていて、あと少しで緑の水平線に落ちる。
冬至とは、北半球で最も昼間(太陽が昇っている時間)が、短い日。
次の日からは夏至に向かってゆく。
先祖たちは、四つの変化をよく知っていた。
春分、夏至、秋分、冬至。
大自然は、このサイクルにある。
マヤの5200年のサイクルも、ある意味、この四つをよく熟知していて、もっと長い時間をかけて観察したものだろう。
5200年を観察するとは、想像を超えているが、今も古に生きるマヤに触れて、納得。
先祖から子孫に伝えてゆくという、人類の叡智の力を確かに感じる。
世代間の「継承」とは、もはや「命」そのものの「伝達」である。
冬至だからと言って、特別なことが起きる訳ではない。
長いサイクルの中の通過点に過ぎないのだ。
しかし、先祖たちは、このゆっくりした変化の中に、それに気づいたのだ。
僕も冬至の日の入りを撮影するからと言って、ビジュアル的に何か特別なものを望んでいる訳ではない。
いつもと変わらぬ一日の終わりの太陽。
しかし、人は、地球のエネルギーが変化する、この「四つの点」を意識することで、自分たちも、大自然の一部として、活かされていることを知ることになるのだ。
そして、2016の冬至、ジャングルに沈んで行く太陽を、ファインダー越しに見ていた僕は、あまりにの光景に、絶句した。
太陽と雲が、どんどん変化し、マヤの創造神、ククルカンが、空に現れたのではないか!
僕の脳裏に、ネイティヴハワイアンの聖地、キラウエアで、これも夕日を撮っていた時、人生初めてのグリーンフラッシュを経験したのちに、女神ペレが空に出現したのが、過ぎった。
そのあと、僕の撮った映像を見たネイティヴハワイアンたちが、みんな口を揃えて、これは女神ペレが現れたと言った。
春分、秋分の日に、チチェン・イッツァのピラミッドに現れるククルカンが、今、僕の目の前の空に現れた。
久々に、身震いするほど、興奮した。
響き第8章マヤの旅も、もうすぐ終わる。
マヤの神様からのメッセージ、確と受け取った。
一生、忘れられない冬至となった。
実は、トゥルム遺跡、トゥルムの海岸での、冬至の日の出も、素晴らしい撮影になっていて、そのこともお伝えしたかったが、ククルカンの出現にすべてを持っていかれた。
この世界で、僕が伝えられる限界を感じる。
でも、ひとつだけ、、、
今日のグラン・セノーテ。
光が炎となって、揺らめくのを捕らえた。
その光は、例えようがないが、、、ひとつ表現出来るとしたら、
それは、魂が僕たちの人間の目に見えるとしたら、このような光を放ち、揺らめくのだろう。
さて、僕は今、カンクンの宿にいる。
本当のところ今日は、二つのセノーテを撮影する予定だったが、グランセノーテで切り上げた。
いよいよ身体が思うように動かない。
多分、疲れが蓄積されて来てるのもあると思うが、ビタミン不足をはじめ、軽く栄養失調だと思う。
でも、心配はない。明日から三日間、休養を取り、帰国する体力を取り戻そうと思う。
みなさまに、次にメッセージを送り出来るのは、カンペチェのカラクムル遺跡の撮影のあとになると思う。
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【ディレクターズ・ノート:王様の帰還】
現地時間 2016 12.28 05:00
カンペチェ、カラムクル遺跡は、ジャングルの奥深くにある。
幹線道路から逸れて、森を切り分けながら走る道は細く、緑の地平線の向こう側まで永遠に続いていた。
朝が早く、まだ獣たちの時間なのか、走る僕の前を、シカ、猿、見たこともないような鳥、ウサギ、などなど、多分、カラムクル遺跡に一番乗りの僕にびっくりして、みんながみんな、一瞬目があうものの、一目散に散ってゆく。
僕は、ジャングルを切り分け疾走する風とひとつになった。
木も動物も、そっとよけて道を作ってくれる。
それに朝陽が差し込んで、光のカーペットまでひいてくれた。
この風は、かつてこの大地を収めたマヤの王様。
ジャングルの住人たちは、王様が帰って来たと大喜び。
シカとウサギのダンスは、夢の世界。
そして、姿を森に潜ませていた巨大な命が、蠢きはじめた。
彼が最後に、王様を迎える。
轟音を鳴り響きかせ、お生い茂っていた木たちが外側に開きはじめた。
それでもその巨大さから、全容を知ることは出来ない。
大地の王様が、風に乗って帰って来た。
空も喜び、雲から光のカーテンを地上に下ろし、命あるものを抱く。
王様はこの地に帰って来るという約束を果たしたのだ。
カラムクルは、ジャングルから眠りに目覚めたばかりの遺跡。
光と陰に溢れていて、命に満ちている。
実に素晴らしい撮影になった。
響き第8章マヤ、クランクアップ。
最後のカットを撮り終えた時、不意にも熱いものが胸の中から込み上がって来た。
走り続けた2ヶ月間が、フラッシュバックされる。
出会った多くの方々、起きた奇跡、出来事。
今回の旅ほどに、神様の完全なるストーリィを感じたのは、これまであっただろうか?
響きの旅をいくら重ねても、僕も人の子。
少しは期待もするし、ドキドキもする。
しかし、今回は、それが無い。
僕は、完全なるサレンダーを体験し、それを得た。
起きてくる奇跡に驚くのではなく、美しさを感じる。
この旅は、僕を次の世界に連れてってくれた。
神々の美しい時が流れる世界、僕は今、そこにいる。
響き第8章マヤ、ミッションコンプリート。
ムチャス、グラシアス! |