世界の12の先住民族の物語を紡いでいく旅。ドキュメンタリー映画「響き 〜RHYTHM of DNA〜」
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12の先住民族
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マヤ
UNKNOWN
UNKNOWN
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UNKNOWN
1-7 TRIBES
MAYA ー マヤ
撮影手記
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「HIBIKI 第8章 〜マヤ〜」取材クルーの移動。グアテマラ/メキシコ。2016年10月30日〜2016年12月31日。※主なロケ地。
(*すべて現地時間。時差: グアテマラ/メキシコ -15時間、カンクン -14時間)
2016.10.30   成田発、日本出国。
2016.10.30   グアテマラシティ着。トドスサントス・クチュマタンに移動。
2016.10.31 〜 2016.11.02
トドスサントス・クチュマタンのマム族、「死者の日」を取材。泥酔い馬レース等。
2016.11.03   アンティグアに移動。グアテマラ取材のベースキャンプを置く。
2016.11.05   パナハッチェルのアティトラン湖とサン・マルコス村
2016.11.06   チチカステナンゴの市場とマヤの祈り場、パスカルアバウ丘
2016.11.07   アンティグアのシティーショット撮影。
2016.11.09   エリザベス、インタビュー。
2016.11.10   カクチケル族の「Regis Cuma」さんと出会う。
2016.11.11 〜 2016.11.13 ティカル遺跡撮影。
2016.11.14   カクチケル族の「Regis Cuma」さんのセレモニーの撮影とインタビュー。
2016.11.15   グアテマラシティー、博物館巡り。
2016.11.16 〜 2016.11.17
再びパナハッチェル。キチェ族のセレモニーの撮影。タタ・ペドロのインタビュー。
2016.11.18   エル・エストールに移動。ドクター・ショルのマヤの薬草を撮影。
2016.11.19   エル・エストールからアンティグアに帰る。
2016.11.21   カミナルフユ遺跡にて、ドン・アレハンドロとエリザベスのセレモニーの撮影。ドン・アレハンドロのインタビュー。
2016.11.23   コパン遺跡撮影。
2016.11.24   キリグア遺跡撮影。
2016.11.25   ヤシャー遺跡にて、エリザベスのセレモニーを撮影。
2016.11.26   ティカル遺跡の撮影。
2016.11.27   ティカル遺跡からフローレスに移動。
夜のフライトでグアテマラシティに帰る。
2016.11.28   ドン・アレハンドロの2回目のインタビュー。
2016.12.05   グアテマラからメキシコに移動。
2016.12.06   メキシコシティからユカタン半島北部のメリダに移動。車で19時間連続運転。
2016.12.07   文化人類学者のカルロスさんとミーティング。
2016.12.08   チチェン・イッツァ遺跡、セノーテ・イキルを撮影。
2016.12.09   ウシュマル遺跡、カバー遺跡、ラブナ遺跡を撮影。
2016.12.10   エクバラム遺跡を撮影。
2016.12.11   マヤナッツの大田美保さんと合流。カンクンから駆けつけて下さった。
2016.12.12   「CAUQEL」という街で、グアダルーペ、褐色の肌の聖母マリアの巡礼のフィナーレに遭遇。取材を行う。
2016.12.13   モコチャ(MOCOCHA)で、ユカタン半島のマヤ、ユカテコ族を取材。
2016.12.14   パレンケに移動。
2016.12.15   パレンケ遺跡撮影。
2016.12.16   「森の民」ラカンドン族の村、「Lacanja Chansayab」に移動。
2016.12.17   ラカンドン族取材。
2016.12.18   マヤナッツの大田美保さんと別れ、ヤシチュラン遺跡を撮影。
2016.12.19   ラカンドン族の村からトゥルムに移動。
2016.12.20   トゥルム遺跡撮影。
2016.12.21   トゥルムで冬至の日の出を撮影。コバ遺跡で日の入りを撮影。
2016.12.22   グラン・セノーテ撮影。カンクンに移動。
2016.12.23 〜 2016.12.25 カンクンでオフ。
2016.12.26   カンクンから「スプヒル」に移動。
2016.12.27   カラクムル遺跡撮影。メキシコシティに向かって移動。中間時点の「ビジャエルモッサ」に一泊。
2016.12.28   メキシコシティ入り。
2016.12.29   グアダルーペ寺院に立ち寄り、メキシコシティ国際航空へ。
帰国の途に着く。
2016.12.31   アトランタ経由成田着。帰国。
Unknown(未知)の旅
ティカル4号神殿の頂上から見渡す景色。果てしなく広がる緑の地平線。

響きはじまりの時、7つの先住民族だけを決めて、残りの5つは、旅をしながら自ずと決まって来るだろうと願い、空白にした。

それは、旅を重ねるに連れ、響き自身の進化を望むもの。その為の余白が必要だったのだ。

第1章アボリジナルの時には、想像すら出来なかった進化が、今にある。

すべてを神々に委ねる旅、響き。そして、彼らは与えた。

今旅、響き第8章マヤから、Unknown(未知)の旅のはじまりである。

松尾芭蕉「許六離別の詞」に、こうある。

「古人の跡を求めず、古人の求めしところを求めよ」

響き第7章までは、ネイティヴの叡智を求めた。

しかし、響き第8章マヤから、ネイティヴが「見る先」を求める旅に変化した。

その変化は、進化である。

7つの旅を重ねて、ネイティヴとは何かを学んで来た。そして、それは響き自身を、ネイティヴそのものへと成長させたのだ。

イエスを追うのではなく、イエスが見る先を求める。

仏陀を追うのではなく、仏陀が見る先を求める。

響きというネイティヴのスピリッツを通して、「地球」を捉え、希望を見出し、未来へ繋いでゆこう。

「ネイティヴ・アース」、、、地球意識。

響きの目覚めである。

マヤ、太陽の国

日本を飛び立って、マヤの国、グアテマラに着いた時、太陽があまりの近くにあったので、身体と魂が一瞬にして蒸発しそうになった。

太陽と月マヤ、太陽の国。

今旅は、太陽と共に歩いた。

サンサンと降って来る光に、この世界の「すべて」を感じた。

太陽はカオスそのものだ。

何もかもが混ざって、それでも混ざって、臨界点を越えても混ざり続け、そのエネルギーはいよいよ「光」になるしかない。

太陽は、だから絶対的な「光」なのだ。

どのような存在も自身の「光」で、染めてしまう。あまりにも眩しすぎる。

太陽は、ともすればバランス感覚に疎い。闇を嫌う。

しかし、太陽は自身が完全でないことを知っている。

でも、それを自身で完結しようとせず、「他」に委ねた。

それとは、「陰」である「月」だ。

月がいて、自身のバランスが取れるのを、太陽も長い時間をかけて学んだのだ。

闇から光が生まれ、太陽となった。

そして、光から生まれた闇が、月となって、太陽を抱く。

以下、ディレクターズ・ノートより

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【ディレクターズ・ノート:太陽の国】

現地時間 2016 10.31 08:00

僕は今朝、山岳にあるマヤの村、「トドスサントス・クチュマタン」で、目覚める。

山の谷合の遠くに見える村が、トドスサントス・クチュマタン昨日、グアテマラシティ国際空港に着くや否や、レンタカーを借り、12時間、車を走らせた。

途中から、片側が深い崖の山道を、これでもかと走った。

明るいうちに村に着きたかったが、叶わず、途中で真っ暗闇に、しかも濃い霧に出会った。

視野は数メートル。目と鼻の先まで行かないと、道の輪郭すら見えて来ない。

のろりと走ってるうちに、霧に包まれた村が突如現れた。

ぐんぐん奥に入ってゆくと、民族衣裳に身を包んだ人と人が急に増えて来て、賑わっている。

今日(10月31日)行われる死者の日の前夜祭の、前夜祭なのだろうか。

霧が演出してか、彼らがあの世の人たちに見えた。

今朝、目覚めて、窓から見渡す景色、、、
どこまでも広がる青空と山間の集落、やっぱり僕はおとぎ話の世界にいるんだと思った。
すべてが美しい。

今日から3日間、トドスサントスに滞在して、死者の日を取材する。

今を生きるマヤの人々の表情に触れてみようと思う。

しかし、高度が高いからだろう、持って来たビニール類はパンパンに腫れ上がって、今の気温は、10度を切った。

グアテマラシティに降り立った時のあの暑さから一転。僕はすぐに防寒着を取り出した。

しかし、グアテマラ、この国はなんだろう?

妙に、でもって、あまりにもしっくり来る。

とても懐かしい感じがする。

チキンバスアンティークのブリキ製のオモチャのようなバス(通称チキンバス)は、暴走を超えて、完全にねこバス化しているし、それに人が乗っていると思いきゃ、バスの外側に何人もがぶら下がっている。

バスが停留所で止まったら、さぁ、たいへん。

どこから湧いて来るのか、四方から、ジュースや食べ物を持った子供たちが、バスにわっと駆け寄って、乗客に売り込む。

みんな必死だ。

しかし、みんな輝いている。

トウモロコシをいっぱい、それこそ人間の限界に挑戦するかのように、頭にヒモを引っ掛け、背負って歩くマヤの女性たち。

犬かと思いきゃ、羊に首ヒモをぶら下げて散歩する人。

それらを、まっすぐに上から、これでもかと、サンサンと照らす太陽。

道の両脇には、人間の背だけを遥かに越えて伸びているトウモロコシ。

みんなが、みんな、太陽に両手をいっぱい広げて、命を受け取っている。

マヤのこの国、、、

僕は、太陽の国に来たに違いない。

響き第8章マヤをはじめよう。

さて、昨日の一日で、いくつかの重要なトラブルが起きたが、それは旅ゆえ起きる想定外。

それを僕はトラブルと言わず、「自分が置かれている状況を知ることで、気づく事柄」と思っている。

それは、すでに「そこにある」のだ。

ものごとは飛び込んでみないと分からない。

今旅も、響きの環境適応能力、アジェンダ・レスと、みなさまから届く祈りが、僕を導くだろう。

みなさま、無事にグアテマラ、最初の取材地に着きました。

たくさんのお祈りをありがとうございます。

いつものことながら、このあと何も決まっていませんが、祈りと共に、導いて下さい。

共に。

死者の日
死者の日。泥酔い馬レース。

響き第8章マヤの取材開始のタイミングは、「死者の日」に照準を合わせた。

グアテマラ、メキシコにおける最大の祭り、「死者の日」

毎年、全土で、10月31日(前夜祭)、11月1日、2日と、開催される。

ラテンアメリカ諸国における祝日の一つで、日本でいうお盆のような日であり、先祖のお墓参りをする。

死者の日は、カトリックのお祭りではあるが、今に生きるマヤのスピリッツを、垣間見ることが出来る。

この時代に生きる先住民族の多くが、近代の波に呑まれ、クリスチャンとなった。

しかし、彼らは混ざることを恐れない。

なぜなら、先住民族は、「変わるもの」と「変わらないもの」をよく知っているからだ。

真に強いとは、自身に流れるスピリッツを信じて疑わないことである。

マヤを旅して思うことは、彼らはとても信心深い。

カタチは変わって、クリスチャンであるけれども、その祈りの本質は古から伝わるマヤ、そのものであった。

以下、ディレクターズ・ノートより

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【ディレクターズ・ノート:死者の日】

現地時間 2016 11.2 04:00

トドスサントス・クチュマタン、この村は不眠だ。

眠らないことを恐れず、村が丸ごと、酔い痴れている。

この陽気、そうまさに太陽の陽に気、そう呼ぶに相応しい民であろう。

太陽の民、マヤ、それをいきなり肌で感じることが出来た。

しかし、死者の日、このネーミングからは想像すら出来ない、天を突き抜けて宇宙のオリジンまで届きそうな、一点の曇りのないこの喜びと喜び。

神様に届ける最高の祈りは、喜びではないだろうか。

まさにそれを目の当たりにした。

泥酔い馬レース会場、スタート付近。空高くホイッスルが鳴り響いた。

死者の日のメインイベント、泥酔い馬レースが始まった。

コースは、高盛りの土でキレイに整備されていたが、それが粉々に崩れるのに時間はかからなかった。

何頭もの馬が地面を蹴散らしながら、至近距離で撮影する僕の前をどっと駆け抜けてゆく。

ドドドドドドッ。

地面が轟く。

馬に跨り激しくムチを打つ男たちの奇声、歓声。

手にはお酒。浴びるほど飲みながら、中には、感極まってか、大泣きしながら、とにかく、馬に跨ってる本人たちも、きっと訳わからずに走っているんだろうと思う。

馬がコースの向こう側に着いたと思いきゃ、またすぐにホイッスルが鳴って、今度は来た方向に駆け戻る。

コースを右から左、左から右へ、行ったり来たり。

これを何組か入れ替わりながら、永遠に繰り返す。

僕の前を通り過ぎる度に、空から土の大雨。まさに土砂降りとはこのことか。

酔っ払ってか、命知らずなのか、こんなに高速で駆け抜けてるのに、落馬して、地面に叩きつけられ、びくとも動かない人が何人もいた。

思わず、救急車とあたりを見渡してみるも、このような山岳地帯にある訳がなく、近くに病院もないようだ。

倒れた人を、大勢の人がわっと駆け寄ってコースの外に運び出す。

その様子があまりにも慣れていて、心配する僕のほうが虚しくなるほどだ。

コースの外側にも、人、人、人。

この地帯のどこからこんなに沸いてきたのか不思議に思った。

ケガした人、いやもしかしたら生死に関わるかもしれない。でも、コースの外で野次馬たちに囲まれた彼らは、このあとどうなるのか、僕には知る由もない。

しかし、なんというバイタリティ。

馬、馬に跨る男、民族衣裳の美しいマヤの女性、ここでも物売りの子ども、馬を制する長老、人、人、そして人、、、

ここにいるみんな、みんなによって、この空間に宿る力強さは、すべての一瞬一瞬を、スローモーションにさせるのに十分であった。

時がまるで止まったかのように過ぎてゆく。

マム族男女によるダンス。なぜ、泥酔い馬レースが、先祖供養の死者の日のお祭りなのか、よく分かった。

我々人というものが、この世界に生まれて来て、そして、誰もがいつかは死んでゆく。

生死は、自然摂理に過ぎない。

その中で喜び、悲しみ、それらすべては、人が生き抜く為のエネルギーであろう。

生きる者から死者への最高の供養は、一生懸命に生きる、生き抜くことではないだろうか。

響き第8章マヤ編、いきなり凄いクランクインになった。

今日はマヤの人々の墓参りがあるようで、それを取材する。

そして、明日の3日の朝には、ここから約10時間の距離にあるアンティグアという町に移動する。

余談だが、今旅、神々の息吹を肌で感じる。

僕は、彼らに守られていることがとてもよく分かる。

泥酔い馬レース、大勢の観客の中に、オランダ人の女性がスリにあって、泣き喚いている。

警戒中のポリスに駆け寄るも、それがどれだけ虚しい行為か、本人も分かっているだろう。

他にもスリにあった観光客が何人もいた。

もちろん、スリは犯罪だし、決してよくない。

しかし、僕はこれを、この地の洗礼であると思う。

僕にもスリらしき人が近寄って来たが、ふと気づいて難を逃れた。

彼らはプロのスリ集団のようで、各地のお祭りを渡り歩いてるようだ。

僕もとても用心している。

しかし、細心の注意を払ってもやられる時はやられるようだ。

その、「ふと気づく」が、神様からのお守り。

今旅も、マヤの地に立ち入るにあたり、土地の神様に許しの祈りを捧げた。

まず、感謝とリスペクト。

すると、神様のお目に留まり、女神の吐息が顔にかかるのだろう。

そして、僕はマヤと同調してゆく。

それと、もうひとつ、とてもはっきり感じるものがある。

みんなから届く祈りだ。

これまでの旅もそうであったが、殊に今回はすごく感じる。

みんなから届く祈りが、この地のすべてとシンクロして、僕を守っているのだ。

みなさん、ありがとうございます。

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【ディレクターズ・ノート:お墓参り】

現地時間 2016 11.2 22:30

生と死を楽しく学べるエンタテインメント、お墓参り!

今日の一日に、キャッチコピーを付けるなら、これしかないだろう。

ここに、「生きる」がすべてあり、「死ぬ」もすべてがある。

ともすれば、現代社会は、人類史上、かつて無いほどに、死生観を失ってるのではないだろうか。

「死」を、負けのように扱うネガティヴな価値観が、この世界に綻び、それは「生」までを濁す。

昔、社会が小さかった頃は、昨日は隣のお母さんが赤ん坊を産めば、次の日は、その隣のおじいちゃんが亡くなった。

「生」と「死」が、僕たちのすぐそばにあった。

子どもたちは、その狭間で成長し、そして自分もいずれ「死ぬ」ことを知る。

現代社会の多くの歪みは、この死生観の欠如によるものと、僕は考える。

ものごとの深層に何があるかを、僕たちは知らなければならない。

トドスサントスの死者の日、お墓参り。

まさに現代社会が失ってしまったものが、ここにあった。

お墓参りの取材とあって、慎重に慎重にと、墓場へと足を運んだ。

しかし、そんなことは一瞬でぶっ飛ばされた。

墓場の前でどんちゃん騒ぎ。昨日の泥酔い馬レースで、友だちになった酔っ払いが、今日はまともな感じで、偶然、僕を出迎えてくれた。

どうも昨日とは様子が違っていて、若い者にあれやこれやと威厳をもって指図している。

僕は彼がどのような存在かすぐに分かった。

この村の長老なのだ。

だいたいネイティヴの長老は、飲んべえで、酔っ払い。これまで旅して、これには例外がない。

昨日、僕がビールを彼にご馳走した。

それを長老はよく覚えていて、僕のカメラを指差して、「お前の好きに撮りなさい」と、そのような仕草で迎えてくれたのだ。

それで、墓場の入口の前はというと、、、

サーカスが来たのではないかと思うくらい、どんちゃん騒ぎ。

マリンバは、あっちこっちで、その透明な音色を奏でていて、群衆の誰もが揉みくちゃにされながら、踊っている。

出店なのか、何なのかよく分からないが、お酒とお酒、お酒ばかり売っている。

どんだけ飲むんや?

食べものを探すほうが、遥かにたいへんだった。

道に落ちている無数のゴミとほぼ変わらず、酔い潰れて寝転がっている人と人。

とにかく、この雰囲気だけでテキーラを一気飲みした感じだった。

踊りをさっと撮影して、とにかく、墓場の入口を潜った。

これでやっと静寂になれる、、、

しかし、しかし、、、

お墓の上でマリンバの演奏に踊る人々。お墓の上を、走りまわる子どもたち。

お墓の上に、マリンバを置いて演奏する人たち。

お墓の上で、踊り出す人たち。

お墓の上で、酔い潰れてる人たち。

ここにも物売りの子ども。

叫び声をあげて泣いているお母さん。お芝居でもここまではやらないだろう。

そのすぐ側では、小さい子どもがそんなお母さんを哀れみに思うのだろうか、とても冷やかな視線を送りながら、お菓子を食べている。

赤ん坊から少年少女、そして大人から年寄りまで、みんな、みんながここで「楽しんでいる」

全世代型エンタテインメント、お墓参り。

みんながここで輝いている。

多分、幽霊も、ここでは輝いている、と思う。

マヤの人は、死人を埋葬する。

多分、死んだばかりだろう、その墓はまだ土だけが盛り上がっていて、きっと何年か後に地中から掘り起こして、立派なお墓に入れるのだろう。

しかし、まだ土だけとはいえ、みんなその上を普通に踏んで歩いている。

「・・・・・」

お墓参りの様子。ここにいると、人間という存在は、生も死もその中に抱擁出来ると、誰もが思うだろう。

昨日の泥酔い馬レースで、観光客はほとんど帰ってしまった。

今日、ここにいるのは、間違いなく、僕以外は、ほぼ全員がマヤ。

昨日の泥酔い馬レース、そして、今日のお墓参りがあって、「死者の日」なんだと、よく分かった。

トドスサントス・クチュマタンの人々が、いつまでも健康でありますように、いつまでも幸せでありますように、感謝を込めてお祈りさせて頂き、墓場を後にした。

さぁ、明日からは、アンティグア。

マヤの神々の導きあれ。

ドン・アレハンドロ
ドン・アレハンドロ

偉大なネイティブの長老に出会った。

「ドン・アレハンドロ」

カミナルフユ遺跡でのセレモニーの撮影。そして、インタビューは二度にも及んだ。

「私のメッセージが、世界の隅々まで行き渡ることを願い、今日のインタビューを受けさせて頂く」

と、アレハンドロの祈りからインタビューははじまった。

この祈りの言葉通り、アレハンドロによってもたらされたメッセージは、とても重要なものになった。

響きは責任をもって、このメッセージを、未来の地球に続く子孫たちに伝えてゆく。

しかし、響きがアレハンドロを取材出来たのは、いくつもの偶然が重なったからだ。

神様は、アレハンドロを撮れと言うのだ。その為の準備はすでに出来ていると。

これまでの旅でもこのようなことは、よく起きた。

そして、それを「奇跡」と呼んだ。

しかし、旅を重ねて来て今、この「奇跡」とは何かを知る。

「奇跡」とは、「すでに、もうある」ことに、「気づき、知る」行為である。

神様は、奇跡をもたらすのではなく、「そこにもうある」ことに人々を気づかせるのだ。

響きは、今旅で大きな気づきを得た。これは、これからの旅の新しいエンジンとなる。

「人事を尽くして、そして心穏やかに、天命を待つ」

これが奇跡と共に生きる、有り方だと思う。

以下、アレハンドロのプロフィールと、ディレクターズ・ノートより、取材に至るまでのいきさつを掲載。

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【ドン・アレハンドロのプロフィール】

◆Don Alejandro Cirilo Perez Oxlaj

マヤ文明の末裔であるキチェ・マヤ族の第13代高位神官。

グアテマラのマヤ民族長老評議会(マヤの伝統的文化を正しく継承する275人の男性長老と、175人の女性長老から構成される)の代表であり、北米・中米・南米すべての先住民の長老・精神的指導者評議会の代表でもある。

マヤ族を統べる人物。

アレハンドロ氏は、マヤ文化について紹介する国際的な立場であり、2008年1月にはグアテマラ新大統領就任式においてスピーチを行った。

マヤ名は、“Wakatel Utiw”「ワカテル・ウティウ(さすらう狼)」

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【ディレクターズ・ノート:奇跡の音色】

現地時間 2016 11.9 13:00

響き、この旅で出会う奇跡には、音色がある。

それを、例えると、
お山に雨が降って、少しだけ出来た水溜り。

それを覗き込むと、この世界のどの鏡よりもクリアに自身の顏が映る。

その透明さは、自身の心までを見せてくれる。

そこに、雲と雲の間から、一筋の光が差し込んで来て、無色透明な水溜りが、一瞬にして、虹色に染まる。

色は元々そこにあったのだ。

神様はそれを見せる前に、僕の心の状態を確かめる。

「水溜りが無色透明に見えてますか? なら、虹色を見せましょう」

と、神様。

これが、響きが起こす奇跡の音色である。

響きが、今旅マヤもいよいよ神懸かって来た。

いつものことながら、鮮やかに決まる。

だからと言って、これには決して慣れることはない。

なぜなら、いつの時も、僕がどんなに経験を積んでも、想定を遥かに超えてやって来るからだ。

何をやっても、神様の手の平の上。

完璧過ぎる神様の計らいに脱帽せざるを得ない。

トドスサントス・クチュマタンの死者の日を、取材したのち、僕はまっすぐにアンティグアに向かった。

十字架の丘から見下ろすアンティグアの街並み宿と車を停める場所を確保してすぐに、イツモトラベルの松本さんを訪ねた。

取材の相談をする為である。

僕はいつものように、響きに思いを乗せて、お話しさせて頂いた。

松本さんのお話から、マヤの長老を取材するに、僕が置かれている状況からして、いろんなことをクリアにしなければならない、現実に出会う。

ひとつに、通訳。

英語を話せる長老もいるが、僕はスペイン語で取材したい。

魂のさざ波に触れるような撮影が、響き。

言葉のニュアンスは、とても重要で、ただその言葉を理解するだけではなく、その言葉に宿る命を撮りたいのだ。

しかしながら、通訳を雇うにしろ、1、2回は出来ても、それ以上は、響きの旅ではとても難しい。

また、ティカル遺跡などで、実際にセレモニーをやってらっしゃるシーンも撮りたい。

すると、そこまでの交通費、宿泊費、それこそ、夢のような話し。

松本さんのお話しを聴きながら、

「神様、どうか私をお仕え下さい。私のエゴからではなく、ただあなた様の道具でありたいのです。今日のお話が例え、進展がなくても、それは神様のお御心。もしそうなっても、私の心を濁させない力をお与え、ただただそれを受け入れさせて下さい。すべては神様の美しい時の中。導きあれ」

と、祈った。

すると、その直後、松本さん、

「そう言えば、沖縄の比嘉さんご夫妻が 、マヤの長老と一緒に、祈りとセレモニーを捧げる為に、グアテマラに、今月の21日からいらっしゃいます」

比嘉さんご夫妻とは、比嘉良丸さん、比嘉りかさんのこと。

響き第7章アイヌ民族の旅の時、アシリ・レラさんから、比嘉さんご夫妻のことをお聞きしており、一緒にセレモニーもなさっている。

「それでなんですが、私が聞いた話し、そのセレモニーを記録したく、カメラマンをお連れする予定が、うまくいかなくなったみたいです」

と、松本さんが続く。

「それで、思ったのですが、そのカメラマンを担って頂いて、そして互いに条件があえば、そのセレモニーの旅にご同行出来るかもしれませんね。如何でしょうか? もしよろしければ、おつなぎします」

「!!!」

神様は人を遣わす。神様が松本さんを遣い、僕を導いて下さっているのだ。

目の前の松本さんが、神様に見えて、思わず手を合わせたくなった。

カミナルフユ遺跡でセレモニーを行う、ドン・アレハンドロとエリザベスそして、そのマヤの長老とは、ドン・アレハンドロと、エリザベス。

世界各地でセレモニーを行なって来た有名なマヤの長老である。

僕は興奮気味に、松本さんのオフィスをあとにした。

そして、二日という時間が流れる。

しかし、不思議だ。

これまでの僕は、このような場合、二日間という時間が、期待に期待が膨らんでは、同じくらいの不安が襲って来たり、それを繰り返した。
これこそ、神に祈る気持ち。

いくら響きの旅を重ねて来ても、僕も人の子。

響きはだいたいワンチャンス。たった一つの、どっかかりがすべてになる。

しかし、今回、僕の内側は、とても静かだった。

自分自身も、あれ? と思うくらい静かなのだ。
少しの揺れも感じない。

溢れて来る感謝の気持ちは、どこまでも穏やかである。

そして、昨日は、マヤの神様がいるところに行って、この地に立つことへの許しとその感謝の祈りを捧げようと思い、アンティグアから一番近い、カミナルフユ遺跡に行った。

「死者の丘」という意味。

境内に足を一歩、踏み込んだ瞬間、はっと思った。

とても気持ちのいい風がすっと吹いて来て、身体にまとわりつく。

僕はこの風を知っている。
これまでの先住民族を訪ねて、彼らの聖地に入った時に吹くそれなのだ。

ここはおそらく、マヤにとって、とても重要な場所であると思う。

そして、マヤの地に生きる今の子孫たちの幸せと、僕にお祈りを届けて下さっているひとりひとりの健康と心の平安、そして、世界平和をお祈りし、響き第8章マヤの旅の祈願とさせて頂いた。

エリザベス
エリザベス

エリザベスは、グランマザー。

今旅で多くの時間を共に過ごした。

エリザベスの愛は、大きく、優しく、柔らかく、一緒にいる時は、まるで深い海の中にいるようだった。

グアテマラの旅の終わりに、エリザベスと共に過ごした時間を、ディレクターズ・ノートに記している。

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【エリザベスのプロフィール】

◆Elizabeth Araujo

エル・サルバドール出身。

マヤ民族長老評議会のコーディネータ及び、通訳として世界中を旅し、各地でのセレモニーや会議へと招聘されている。

エリザベスは神聖なる火と共にマヤ伝統の癒しのセレモニーを行ったり、聖なる場所へのスピ リチュアルな旅のガイドも行っている。

マヤ名は、Julaju Ak'Aba「フラフ・アカバル」

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【ディレクターズ・ノート:エリザベス】

現地時間 2016 11.30 15:30

今、僕の脳裏には、エリザベスの笑顔が花咲いている。

エリザベスと過ごした時間は、温かくて深い海の中。

すべてを安らぎに変える彼女の笑顔は、母なる大地の愛、そのものだ。

グランマザー、エリザベス。

出逢えて、よかった。僕は幸いである。

エリザベスは、もうすぐ80歳。しかし、彼女に会ったら、誰もがそうは思はないだろう。

誰よりも元気で、誰よりもやんちゃで、誰よりも笑う。

でもって、すべてが愛に満ちていて、発する言葉は、即、それに触れる人々の癒しとなる。

ドン・アレハンドロは、エリザベスによって、育てられたと言っても過言ではないだろう。

偉大なる母である。

ヤシャ遺跡で行われたエリザベスの儀式は、この大地に生きるすべての命を丸ごと包み込むような、どでっかい愛、そのものだった。

ヤシャ遺跡でセレモニーを行うエリザベスそして、ひとつひとつに向き合うその素朴さ。

僕は男であるが、このように歳を取りたい。

歳を取るのが、まるでサンタさんのクリスマスのプレゼントを待っているかのような、ワクワクな心になる。

エリザベスが、永遠に生きてほしいさえ思う。

カミナルフユ、博物館、コパン遺跡、キリグア遺跡、ヤシャ遺跡、ティカル遺跡、アンティグアと、一緒に過ごした時間は、神様からの贈りもの。

旅の間、たくさん話しあって、考え方など、多くの重なり合いを互いに気づき、それは天まで届く喜びとなった。

世界の先住民族の長老、共通の知人も多く、きっとこのタイミングで、エリザベスと出会ったのは、「運命」であろう。

ひとつ驚いたのは、エリザベスに、僕のマヤカレンダーを見てもらったが、前回、カクチケル族のレジスさんに言われたことと、ほぼ同じだった。

「あなたは世界を旅し、彼らをつなぐだろう。それぞれの違いを真に理解し、それを争いではなく、調和に変える叡智をもった聡明な人である。そしてさらに、あなたには世界の人々とそれを共有出来る力がある。それはあなたの運命なのです」

エリザベスが丁寧に紡ぐ一言一言に、僕は響きの担い、その信念が益々透明になっていった。

マヤカレンダーは、迷いを消す。

エリザベスとの最後に、深く、厚くて、温かいハグを交わし、再会を約束して別れた。

違いは叡智である

ドン・アレハンドロは、僕の問いに、「違いは叡智である」と、答えた。

響き第8章マヤの旅は、この一言にすべてが集約する。

「世界の食文化、言葉、肌の色、生活、この違いこそ、失ってはならない叡智である。みんなそれぞれの役割に機能している」

と、アレハンドロは続いた。

ドン・アレハンドロとエリザベスと一緒に現代社会は、行き過ぎたグローバルリズムに陥ってないだろうか?

光が強くなり過ぎると、同じくらいの闇が、「内側」に知らず知らず育つ。

それは臨界点を超えると、正義を名乗って、「違う者」を排除しはじめる。

「ひとつ」になろうと、スローガンを掲げ、世界平和を訴える。

その正義は、やがて怒りに変わり、反対側にいる人たちに向かう。

善悪は、立場が変わるとひっくり返る両極の世界。とても脆い。

そもそも、僕たちは、「ひとつ」になろうとしなくて良いのだ。

「赤色」が、「青色」にならなくて良いのだ。

七つの色がそれぞれあって、はじめて「光」になる。

水と油は、混ざらなくてもいい。混ぜようともしなくていい。それぞれの役割に機能すれば良いのだ。

「愛」と「平和」に、もうひとつのエレメント、「調和」が必要。

世界平和は、みんながみんな、自分とは「違う価値観」を、互いに認め合うことで、はじめて実現するのではないだろうか。

「違い」こそ、人類の「叡智」であるのだ。

叡智について
マヤの仮面

アイヌの長老、アシリ・レラさんは、日本に古くから伝わる三本足の八咫烏のことをこのように言った。

「黄泉の国から、杖を持った知恵者がやって来る」

杖、二本の足、合わせて「三本の足」。そして、杖は、知恵のシンボル。

八咫烏の正体は、「知恵」を持つ者なのだ。

ドン・アレハンドロは、「救世主とは、人類が持つ叡智を擬人化したものである」と、言った。

これまでの旅で出会った先住民族の長老たちは、皆同じことを言っている。

「この地球に叡智を受け継ぐ者がいる限り、それは希望だ。先祖を大事にしなさい。叡智はそこにある。先祖を大事にしない国は、滅びに向かう」

と、アレハンドロは続いた。

響きは、この地球に古から伝わる叡智を紡いでゆく旅。

そのメッセージを、次の未来を担う子孫たちに伝えよう。

マヤの旅を終えて、響きの信念は、ただただ、まっすぐである。

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【ディレクターズ・ノート:4人の賢者】

現地時間 2016 12.1 10:30

僕がいるアンティグアも、街を少し歩けば、小さな赤ちゃんを抱えて道端に座り、物乞いをしている若いお母さんに出会う。

ひとりふたりではない。

僕は自分の食事を出来るだけ節約して、彼女たちの手にお金を握らせるが、この行為が意味があるのか、それすら分からなくなる。

仏教で言う、お施餓鬼供養があるくらい、飢餓は、この世で最も厳しい苦しみで、体験した人しか分からないだろう。

ゆえ、現代、殊に先進国に生きる人々にとって、飢餓に対しての理解が乏しい。

僕は、神様が役割として人に、貧困も富も与えているならば、それは受け入れよう。

しかし、飢餓に苦しむ人々がこの世界に多くいる現実は、僕たち人類が力を合わせて乗り越えていかなければならない問題ではないだろうか。

貧困の定義は曖昧で、人はその中に幸せを見出すことも出来る。

しかし、飢餓はそれとは全く異質で、命そのものを蝕み、人の尊厳を激しく奪うものである。

ドン・アレハンドルの2回目のインタビュー。

儀式で使う供えもの。これを燃やす。今回もマヤに伝わる、4人の賢者について話された。

4人の賢者とは、マヤの創造主で、人々に知恵を与え、食することを教える。

人に食することを教えたマヤの4人の賢者が、飢餓に苦しむ人々が大勢いるこの世界を見たら、どう思うだろうか?

マヤの創世記には、今の人類が出来るまで、幾度も失敗し、その都度リセットして来たと言う。

今回の我々も失敗で、またリセットされるのだろうか?

いや、僕たちは神々にそのように思われる前に、自身の力で良き世界を築きあげる力を持っていると思う。

自分だけの幸せ、自分だけの悩みばかりに目が向かないで、僕たちは真剣にこの地球のことを思い、今、出来ることがあることに気づこう。

行動は、神々に届く祈りである。

「人生は木と同じ、焦らず、ゆっくり育ちなさい。そして、自分の信ずる道を疑わず、信念をもって取り組みなさい」

と、アレハンドル。

「マヤのことわざに、昨日の人間も、今日の人間も、明日の人間も、同じである」

と、続いた。

僕たちは今、自分の出来ることに目を向けて、ひとつひとつを丁寧に、そして行動すれば、未来を変えるところか、過去さえも変えることが出来るだろう。

今日のノートをもって、グアテマラの旅の記録を最後とする。

マヤ・カレンダー
マヤのステラ(石碑)

ゼロの発見に代表される高等数学。20世紀の科学水準に匹敵する高度な天文学。巨大なピラミッドの建造。

マヤはどのようにして、古代にこのようなハイテクノロジーを発展させて来たか?

取材を通して見えて来たものは、「科学」のあり方であった。

「現代のテクノロジーは、独りよがりで未熟。私たちマヤの先祖が築き上げた科学のほうが遥かに優れていると思うわ。すべてが大自然との調和を重んじて存在する。例えば、マヤ暦は人がその循環の中に生きる為の指針、テクノロジーなのよ」

と、マヤにとって「科学」とは何かの問いに、キチェ族の長老、ナナはこう答えた。

また、エリザベスは、マヤ・カレンダーのことを、

「マヤ・カレンダーは特別なものではなく、私たちにとっての道徳なのよ。人が、自分の特性を最大限に生かし、人生の迷いを消して、幸せに生きる為に手助けするもの」

と、言う。

そして、ドン・アレハンドロは、

「予言とは、先祖がこの地球を歩いた、過去の道を探すものである。それは、賢者の言葉、叡智のことを指す」

このようにマヤは、予言も科学のあり方のひとつとして捉える。

ともすれば、現代科学は、「自然」を「克服する」為に、進化を遂げて来たのではないだろうか?

それによって、高度に発達した物質文明は、限りある地球資源を過度に消耗させ、環境を破壊し続けている。

しかし、マヤから垣間見る科学のあり方は、自然との調和を重んじ、人が優しく生きる為に手助けする指針であるのだ。

現代科学とマヤの科学、この両者が歩んだ道は、全く違う世界へと別れて行った。

「人も自然の一部である」

この立ち位置に帰って、科学が進む方向を定めることで、それこそ無限のイマジネーションをこの世界にもたらし、豊かな地球へと真に進化を遂げるものになるのではないだろうか。

カクチケル族
カクチケル族の祈り人、「Regis Cuma」

マヤ、カクチケル族の祈り人、「Regis Cuma」さんとの出会いも、奇跡そのもの。

もっとも響きの旅では、よく起きることではあるが、決して慣れることはない。

神様はいつの時も、人の想定を遙かに超えて来る。それをあるがままに受け入れ、旅するのが響きのスタイルである。

以下、ディレクターズ・ノートより。

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【ディレクターズ・ノート:響きの加速】

現地時間 2016 11.11 03:30

響き第8章マヤ・グアテマラ編、旅が始まって12日が過ぎ、ほぼ全スケジュールが決まって来た。

この加速感、、、まるで摩擦がない。

それはリニアモーターカーが、少しだけ地面から浮いて滑り出すように。

響きの旅をはじめた第1章アボリジナル編と、今とではまるっきり違う。

第1章では、響きのエンジンをかける為に荒いエネルギーが必要だったが、旅を重ねてゆくうちに、「摩擦」がどんどん消えていった。

この「摩擦」の主な原因になっていたのは、「期待」だと思う。

「期待」はエゴから来る。自分の運命にまだ中途半端で、それは「不安」と背中合わせ。

お祈りし、ベストを尽くす。あとは寝て待て。

ただ行えばいい。そして、天に委ねよう。すると神々の風が吹くだろう。

Don't worry be happy.

これまで奇跡と呼んでいた事柄も、とても静かにやって来る。まるで当たり前のように。

僕は神様の計らい、そのストーリィを完全に受け入れられるようになって来たと思う。

誰もが神様の子。

僕は一日一日を、神様の道具でありたいと祈り、目をまっすぐに見据えて、この世界を見れば良いのだ。

そして、今日、ステキなご縁があった。

マヤ、カクチケル族の「Regis Cuma」さん。

日本でご縁を頂いた、Mさんから、ネイティヴ・インディアンのへメスプエブロの母「Florence Yepa」さんにつながり、彼女が先住民族会議で出会ったマヤの「Regis Cuma」を、ご紹介下さったのだ。

そして、事前にメールのやり取りをしていたが、google翻訳を頼りのスペイン語で、ほんとうにこの広いマヤの地で会えるのか、半信半疑だった。

しかし、奇跡が起きる。

僕がアンティグアのシティーショットを撮っていた時、聖フランチェスコ教会の前で僕を見たと彼女から連絡が入ったのだ。

「Regis Cuma」は、アンティグアにいる!

神様は見ているのだ。

そして、昨日、彼女のいる店を訪ねて、お会いした。

「Regis Cuma」さんから頂いた、マヤカレンダーとカクチケル族のお守り素晴らしい時間を過ごした。

通訳はいない。

しかし、僕たちにはハートとハートと、心をまっすぐに見る目があった。

それで十分過ぎるほどのコミュニケーションが取れた。

もちろん、通訳が入って、きちんとした「言葉」を知ることも大切。

でも、何も介さないで、ありのままを見せ合うコミュニケーションは、永遠の信頼関係を得られる。

「Regis Cuma」さんから、マヤ暦とカクチケル族のお守りをプレゼント頂いた上に、マヤ暦で、僕の生まれた日から、僕の運命を見て下さった。

「あなたの運命はとても興味深いわ。あなたは世界の真実を運び歩く役割を持って生まれて来たのよ」

ぞっと鳥肌が立った。

響きがそうであるかどうかは分からないが、そうありたいと願い、旅を続けている。

とても嬉しかった。

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【ディレクターズ・ノート:マヤ・カクチケル族の祈り人】

現地時間 2016 11.14 21:00

今日は、マヤ、カクチケル族のRegis Cumaさん(以下、レジスさん)を取材した。

レジスさんは、カクチケル族の祈り人。語り部でもある。

アンティグアから車を走らせること、30分。

カクチケル族の聖なる山「アグア火山」の麓の村、サンタ・マリアに彼女はいる。

朝の8時に、村の中心地でレジスさんと待ち合わせた。

さすがにグアテマラの道の運転に慣れて来たものの、どの村も細い道が迷路のようになっていて、一方通行も多く、いったん迷ったら、永遠にバックで戻るしかない。

村人が行き交う細い道をバックで戻るには、度胸というより、抜け出すまで額から冷や汗が止まらない。

レジスさんの村も例外ではなく、なんとか待ち合わせ場所まで辿り着いた。

すぐに自宅に招き入れられ、レジスさんのお父さん、お母さん、ご兄弟に紹介頂いた。

大きくて、立派なお家。日本で言うところの多世帯住宅。

そして、二階の一番立派な部屋に通された。

そこはレジスさんファミリーのご先祖様が祀ってあった。

ここは撮らないでほしいとのことなので、写真はないが、キリスト教色が全くない。多分、古くからのマヤの祭壇がそのままにあった。

これまで見たものは、何かしらキリスト教の様式と混ざっていたので、レジスさんファミリーの祭壇の迫力には度肝を抜かれた。

そして、ここにもマヤ暦。

エリザベスさんが言うように、マヤ暦は、人々の日常に普通に浸透していて、道徳そのものになっているのが、よく分かった。

レジスさん、祭壇の周りの至るところに貼ってあるマヤ暦の絵(日本で言うところの干支のようなもの)を見て、今日はどのような日かを教えてくれた。

それから、レジスさんに、儀式を行う聖なる場所に連れられて行った。

「Regis Cuma」さんのセレモニートウモロコシ畑をしばらく分け入ったところに、急に開けた空間が現れた。

石で丸く囲んだマヤの祭壇。

レジスさんが、用意したロウソクに火を灯して、儀式がはじまった。

これまで儀式を撮影させたことはないが、あなただけは特別だと言い、響きのキャメラを回すのを許して下さった。

僕も撮影に先立ち、レジスさんのご先祖様に許しの祈りを捧げた。

レジスさんの祈りは、古いマヤの言葉。

スペイン語とは全く違う。

これまでに旅で出会った先住民族の言葉に例えると、アラスカのクリンキット族の発音と似ていた。

レジスさんの祈る姿に、太陽の光が降り注ぎ、また背後のアグア火山がそれを見守る。

この神々しさ、ここにいれば誰もが神々の存在を肌で感じることが出来るだろう。

素晴らしい儀式だった。響きのキャメラがすべてを記録。

続いて、インタビュー。

昨日、インタビュー項目を、グーグル翻訳を使って、スペイン語にしていたので、それに答えて下さるカタチで進行した。

レジスさんが何を言っているのか、よく分からなかったが、伝わる言魂に、僕のすべてが振動した。

日本に帰って、検証するのが楽しみである。

明らかに、レジスさんとは言葉を超えたコミュニケーションが取れたと思う。

インタビューの間、蚊ではなく、殺人的なアリの集団に襲われ、多分、20ヶ所以上噛まれたと思う。

僕はいったんキャメラを回すと呼吸すら止めるくらいビクともしない。

噛まれるととても痛い。身体中を服の中から巡っているのが分かっていたが、そのテイクが終わるまで動かなかった。

宿に帰って見たら、おへその中まで噛まれていて、腫れがちょっとひどい。

痛みと痒みが同時にやって来る妙な試練。

持ち込んだ抗生物質を飲んだので、熱は上がらずに済んだ。あとは腫れが引くのを待とう。心配はない。

蚊には注意していたが、まさか地面から這い上がって来るアリに、こんなにやられるとは思わなかった。虫除けも彼らには効かない。

今後気をつけよう。

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【ディレクターズ・ノート:レジスさんの祝福】

現地時間 2016 11.15 18:30

グアテマラシティーは、大都市だ。

今日は市内にある、国立考古学博物館とポポルヴフ博物館を訪ね、マヤを古代まで遡った。

今から一万年前の精巧に出来た土器を見て、日本の縄文を思う。

僕たち現代人は、きっと多くを知らない。

自分たちの器だけで、古代を見ている。

ここの博物館に来るとそれに気づくことが出来るだろう。

古代のマヤが残した品々に触れて、いにしえの香りがどことなく漂って来た。

しかし、グアテマラシティーの渋滞は酷い。

30分で抜ける道が、2時間はかかってる。

車が渋滞、または赤信号で止まったら、さぁ、たいへん。

物売りが一気に押し寄せて来る。

中には、片足がない者、手や指がない者、スリ減った服を着て赤ん坊を背負った若い女性、老婆、 、、

彼らも一斉に運転手に駆け寄る。

手に持っている小さなお皿に銭を恵んでもらう為だ。

車のウィンドウを降ろし、それに小銭を落とすドライバーも多々。

この世界はいろいろある。70億人、それぞれの役割。

しかし、貧困や身体の不自由で、苦しんでいる人たちが大勢いる今の時代を、百年後、いや千年後の子孫たちが見たら、どのように映るのだろうか?

子孫たちが平和な世界を生きて、先祖にそんな時代があったけれど、彼らの頑張りで、今がある。先祖に感謝しなきゃ。

と、そう言われるような、先祖に僕たちもなろうではないか。

時代は、我々が、今、作っているのだ。

ひとりひとりが出来ることがある。

アンティグアに戻って、レジスさんのお店に立ち寄った。

「Regis Cuma」さんの店にて昨日の取材の御礼を申し上げたかった。

それと、日本に帰って、マヤの服を着て講演会などでお話しをしたいとレジスさんに相談した。

すると、それなら、店で売っているような土産の服ではなく、カクチケル族の聖なる儀式で着る服を、僕に贈りたいので、少し待って下さい、あなたがメキシコに発つ、12月5日まで間に合わないかもしれないが、頑張ってみる、と、レジスさん。

たいへん光栄なお言葉を頂いた。

そして、

「私の祖先は、あなたのことをこう言いました。あなたは光の戦士として、宇宙の存在を人々に知らしめすであろう。あなたが持つ魂は非常に重要で、母なる大地は、あなたの計画の2020年に合わせて、すでに聖なるエネルギーを解き放ち、その道を開きました。なので、あなたは安心して旅を続けなさい」

グーグル翻訳で、シンプルな言葉を短くして、丁寧に伝えて下さるレジスさん。

なんか、、、畏れ入るお話しを頂戴したが、僕はレジスさんのお言葉通りで、100パーセント、すべてを天に委ねて響きの旅を、この先も「ただ行う」だけである。

仮にそのよう意味があるとしても、それは神様のお仕事である。

僕は、レジスさんからの祝福のお言葉として、有り難く頂戴したいと思う。

さて、明日は早朝の2:30に出発。

真っ暗闇での運転。安全第一。

キチェ族
キチェ族

【ディレクターズ・ノート:キチェ族の儀式】

現地時間 2016 11.17 10:30

昨日の早朝1:30にアンティグアを出発。

さすがに道は空いていて、パナハッチェルのアティトラン湖の辺りの村、サン・マルコスに着いたのは、6:00頃。

7:30に、「アジャラ」の聖子さんをピックアップして、キチェ族の村に行く。

幸運にも、アティトラン湖の日の出に間に合い、今日一日の祈りを込めて、撮影させて頂いた。

絹のようなきめ細かい肌の水面に走って来るサンロードは、天国まで伸びる黄金色の絨毯。

時間になって聖子さんを訪ねたら、アジャラで前日の夜に開かれたパーティに参加した、海外青年協力隊のさきさんが撮影に同行したいとのことで、3人でキチェ族の村に向かった。

さきさんは、マヤの子どもたちに算数を教える先生。

この日の撮影クルーは、正確に言うともうひとり、「ひめ」という聖子さんの愛犬も一緒だ。

道に迷いながらも、キチェ族の村に辿り着いたら、すでに儀式の用意がなされていて、僕たちを待っていた。

11月16日、この日は、マヤ暦の13の日。新しい始まりの時に先祖に捧げる儀式を行うことは重要な意義を持つようで、響きのタイミングの良さは健在である。

僕も自己紹介をし、儀式がはじまった。

男性のマスターには、「タタ」という敬称を付けるに対して、女性のマスターを「ナナ」と呼ぶ。

今回は、ナナが取り仕切る儀式のようだ。

彼女がキチェ族の古い言葉で祈りはじめた。

すると、いきなり不思議なことが起きる。

炎の中心に向かって光が射して来た。儀式の炎が燃え上がる中心に向かって、一筋の太陽の光が差し込んだ。

それもど真ん中。

これには、さすがに驚いた。

ナナの祈りに、マヤの大自然が即、反応。

小さい子どもから、お祖父さん、お祖母さん、すべての世代がここにいて、つながって、ひとつの命を織り成している。

そしてその命の生きる喜びを先祖に、天に捧げる儀式、、実に素晴らしかった。

聖子さんが通訳して下さるインタビューも、キチェ族の宇宙観に迫る深いものとなった。

「現代のテクノロジーは、独りよがりで未熟。私たちマヤの先祖が築き上げた科学のほうが遥かに優れていると思うわ。すべてが大自然との調和を重んじて存在する。例えば、マヤ暦は人がその循環の中に生きる為の指針、テクノロジーなのよ」

と、「科学」とは何かの問いにナナはこう答えた。

それから、ナナの娘さんたちに村を案内して頂いた。

村にある巨大な岩は、とても神聖なる場所で、遥か昔からここで儀式をやっていて、今でも続いている。

印象に残っているのは、岩の上に登らせて頂いた時、儀式をする場所がそこにあって、妙なくぼみがふたつあった。

娘さんが、そこに跪いてみせて、

「遥か昔から、ここに、こうして跪いて来たので、こんなに固い岩でも、くぼみが出来たのよ。この跡は、私たち、キチェ族の祈りの歴史そのものだわ」

実際に僕もそこに跪いてみて、とても固く、膝が痛かった。

でも、その痛みは祈りとなって、神様に届いたのだろうと容易に想像できる。

また、村の至る中に薬草が生えていて、娘さんたちは、僕たちを案内する途中、あっちこっちに立ち止まっては、これは何に効く、これは浄化にいいとかの説明をして下さった。

「私たちにとっての薬草は、先祖からの恵み。私たちの命、そのものなのよ。今でもとても大事に受け継がれているわ」

と、娘さん。

先祖からどのように教わったかを聞くと、

「私が子どもの頃、病気の時に、親が一緒に山に行って薬草を摘み、そしてそれを頂くの。私も自分の子どもたちにそうしている。教えるも何も、私たちは、先祖代々からずっとそうしているから、この先もずっと続くと思うわ。西洋の薬は使わなくても、みんな健康だわ」

マヤ暦もそうだが、薬草も、儀式も、これらの古の叡智は、今に生きるマヤの、普通の日常生活に脈々と生き続いている。

ちなみに、子どもが生まれたら、50種類の薬草を用意する習わしがあり、家族総出で摘みに行くそうだ。

マヤの薬草を取材したかったので、神様が用意して下さったのだろう。

日常生活に根付いている薬草のシーンが撮れた。

他にもたくさんあるが、とにかく、マヤの叡智を肌で感じることの出来る素晴らしい取材となった。

ラカンドン族
ラカンドン族の長老

「森の民」と呼ばれる、ラカンドン族を取材した。

これもいくつかの偶然の一致が連続し、可能となった。

ラカンドン族との出会いは、マヤの神々の導きを強く感じた。

そのいきさつと合わせて、以下、ディレクターズ・ノートより。

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【ディレクターズ・ノート:前兆】

現地時間 2016 12.16 20:00

よし。ラカンドン族の取材が決まった。

パレンケから車を走らせること、3時間。

ボナンパク遺跡のすぐ手前を曲がって、ラカンドン族の村、「Lacanja Chansayab」に着く。

この村を目指したのは、いくつものの前兆が連続して現れて、響きを導いたからだ。

マヤナッツの大田美保さんが、メキシコ・カンクンで開かれている「COP13(国際生物多様性会議)」に参加していた時のこと。

ちょうど、美保さんが会議を途中で切り上げて、響きに合流して下さることが決まった頃、僕は、大阪のミゲールさんのご紹介で、彼の兄である、メリダ在住の文化人類学者のカルロスさんに、ラカンドン族の取材を打診していた。

しかし、その筋からはラカンドン族には、繋がらなかった。

でも、その結果を聞く前から、僕の心の中では、カルロスさんからの返事がどっちになっても、メリダの後に、ラカンドン族の村を訪ねようと決心していた。

彼らから、先祖代々から伝わる「森のメッセージ」を紡ぎたい。

アジェンダ・レス。神様に委ねよう。

そして、その夜、美保さんから驚きと喜びが入り混じった短いメールが入る。

「今日のパネルディスカッションに登壇したのが、なんとラカンドン族! 話しもしたわ。エンリケさんと言うの」

この時、これは神様の導き、その前兆であることにすぐ気づいた。

神様がラカンドン族を取材しなさいと言っている。

でも、これで終わりではなかった。

メリダで合流した美保さんと、カルロスさんの案内で、撮影を進め、そして、次の目的地のパレンケに向かった。

町に着いたその夜、早めの夕食を取り、僕は長時間の運転もあって、疲れていたのか、すぐに宿に戻り、眠った。

夜中の0時を回った頃、ふと起きて、携帯を見たら、美保さんからまた驚きと喜びが入り混じったメールが入っていた。

「あれから町を散歩していたら、ラカンドン族の人に会って、エンリケさんのことを聞いてみたら、彼とファミリーだと言うの! ラカニャという村にいるようだわ」

美保さんは、完全に神様からの前兆を運ぶ人になった。

マヤナッツの大田美保さんと一緒にそして、翌日、パレンケ遺跡の撮影に向かった。

ゲート近くで、入場チケットとビデオ撮影の許可に必要なお金を払い、僕はトイレを済ませようと思い、美保さんと離れた。

戻って来たら、ゲート付近のマヤのショップから、興奮気味で、僕の名前を呼ぶ、美保さん。

「町で昨日あった、ラカンドン族の人がいるわ!」

店に入って行ったら、ラカンドン族の人が、エンリケさんがいる村の地図を出して、僕たちに教えて下さった。

というのは、エンリケさんがいるラカニャという村は、グーグルマップでも分からなかったので、すごく助かったのだ。

そして、パレンケ遺跡の撮影の翌日の今日、教えて頂いた村を目指して、車を走らせた。

道の途中で何人かに聞いたが、すぐにエンリケさんがいる家に到着。

そして、家の人と話しているちょうどその時、COP会議のエンリケさんのお父さん(長老)が、そこに現れたのだ!

簡単に自己紹介をし、午後3時からお時間を頂き、お話しを聞いて下さることになり、、、

そして、僕は響きの思いをまっすぐに伝え、美保さんがそれを通訳して下さった。

エンリケさん、僕たちの話しを深く頷きながら聞いて下さり、、、

取材オッケー。

明日の朝の8時から、ラカンドン族の森を案内して頂きながら、撮影。その後、インタビュー。

ラカンドン族からの森のメッセージを紡がせて頂く。

前兆とは、神様が人を導く時に張る伏線。

ともすれば、この世界は、前兆、そのメッセージに満ち溢れていて、あとはそれに気づくかどうかなのだろう。

それを運んで下さったマヤナッツの大田美保さんに、この場をお借りして深く感謝申し上げます。

明日からの取材が楽しみだ。

食事を取るレストランでWiFiに繋がるので、ノートをアップ出来る。

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【ディレクターズ・ノート:森からのメッセージ】

現地時間 2016 12.17 20:30

ラカンドン族に古から伝わる物語にこうある。

「森の木をひとつ切ることに、星がひとつずつ大地に倒れて来る」

木の根っこは、「すべて」のものとつながっている、というラカンドン族の世界観。

ラカンドン族の長老、エンリケさんの案内で、彼らの聖なる森に入っていった。

ラカンドン族の聖なる森を案内する長老森を歩きながら、彼の木に対する思い、そして薬になる樹皮や、食べられるもの、服になるもの、家になるものを教えて下さった。

そう、人が生きてゆくに必要な、「衣食住」のすべてを、森が与えてくれる。

キレイな空気も、水も。そして、命さえも与える。

森の恵みをこんなにも肌で感じたのは、はじめてかもしれない。

それは、古から今も変わらず、森に生きるラカンドン族の有りのままの姿に触れたからだと思う。

それは、「森を守ろう」の活動ではない。

彼らは、「森に生きている」のだ。

それは、この先の遠い子孫にまで永遠に続くだろう。

彼らの生き様、そのものが、全人類に対しての、「森からのメッセージ」である。

実に素晴らしい取材となった。

ラカンドン族の今日の取材をもって、人が絡むシーンを撮り終えた。

ほっとしたのか、身体から一気に疲れが吹き出た。

あと、もう少し。

よし。最後の最後まで気を引き締めてゆこう。

マヤナッツの大田美保さんとは、これでお別れする。

明日の朝、グアテマラとの国境近くの遺跡、ヤシチュランまで行き、僕は遺跡の撮影に入り、美保さんは国を越えて、グアテマラに入る。

それぞれの旅が、互いにもう少し続く。

カンクンのCOP13会議を途中で切り上げて、響きに合流頂き、約1週間、全力でサポートして下さった美保さんに、今一度、深く感謝申し上げます。

「あなたはもう、私たちの家族ですよ」

と、最後にラカンドン族の伝統衣装を、プレゼント頂いた。

嬉しくて、嬉しくて、、、ただただ嬉しくて、

この世界が満ちるほど、感謝の気持ちが溢れて来る。

再会の約束を固く交わし、厚いハグでお別れした。

マヤ遺跡
ジャングルの中にひっそり佇むマヤ遺跡

響き第8章マヤ編で旅した遺跡は、グアテマラとメキシコのユカタン半島を合わせて、16ヶ所にものぼる。

グアテマラのティカル遺跡や、ユカタン半島のチチェン・イッツァ遺跡など。

古のままに、今もなお呼吸を続けているマヤの遺跡群。

以下、ディレクターズ・ノートより。

*グアテマラ

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【ディレクターズ・ノート:ティカル神殿】

現地時間 2016 11.12 20:30

21世紀の現在でも、グアテマラで最も高い建築物でもある、ティカル4号神殿。その頂上。

ティカル遺跡の日の入りここから世界を見る者は、誰もが太古へと誘われるだろう。

「太古のマヤ人が見るように見、感じるように感じ、嗅ぐように嗅がせて下さい」

と、祈りながら、日の入りを待った。

すると、眼下に広がるジャングルが少しずつ溶けて消えてゆき、大勢の人と人が行き交う大都市が現れた。

想像なのか、太古の記憶なのか、僕は遥か昔、確かにここに立っていた。

その時に見ていた先と今とが重なって来て、不思議な感覚を覚えた。

響き第8章マヤから、先住民族の叡智を求める旅から、存在そのものを問う旅に変わってゆく。

太古のマヤの人が、見ていた先を旅しようと思う。

ここティカルを、明日の早朝の4:30に出発。

12時間、来た道を戻ってアンティグアへ。

いよいよ、マヤの今に生きる子孫たちの取材が始まる。

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【ディレクターズ・ノート:太陽と月(※再び、ティカル遺跡)】

現地時間 2016 11.27 19:00

僕は今、ティカルからの帰り、フローレス湖の辺りで、夕日を撮影。

日が落ちるとあっという間に暗闇に染まる。

今度は、月の世界だ。

ティカルのメイン・プラザの中央を挟んで、向き合っている二つの神殿。

ジャガー神殿(第1号)とムーン神殿(第2号)

そのひとつのジャガー神殿(第1号)は、太陽のシンボルであり、王様、男性性を表す。

もうひとつの、ムーン神殿(第2号)は、名前通りの月のシンボルであり、王様が妃の為に造った。女性性を表す。

太陽と月。

陽と陰。

男性性と女性性。

世界は二つの「間」にある。

両方を知りそのバランスに生きるセンスを持つことで、葛藤は消え行き、心を平安に保てるだろう。

相反するものは、反発し合うものではなく、両方が互いを認め合い、同じ時空に存在することで、これも人が学び成長する為の叡智であると思う。

マヤは、自然との調和を重んじ、今でも、日々の生活の中に、マヤカレンダーを取り入れているのは、その旋律の美しさを知っているからではないだろうか。

古に生きる人々、マヤ。

彼らが今、この地球にいることは幸いである。

21日、ドン・アレハンドロとエリザベスの儀式から始まった、一同の旅も、今日の夜、グアテマラシティーに帰り、明日の28日、ドン・アレハンドロの2回目のインタビューをもって終わる。

深夜の2時に起きて、寝るのも0時を回るハードな一週間でもあったが、ティカルは電波が全く届かず、唯一のWiFiが使える遺跡内のレストランも、トラフィックが混み合っていて、メールチェックくらいが精一杯。

しばらく、ディレクターズ・ ノートもご無沙汰になってしまった。

これから、この一週間をノートに記録して行こうと思うが、マヤの大地とシンクロし、そして起きた出来事に、それをどう述べれば良いのか、途方に暮れてしまう。

すべてが終わって、29日からのアンティグアで記そうと思う。

今日は、僕の安否の確認のご報告も兼ねて、ノートを書く。

というのも、僕がしばらくご無沙汰だったので、何人もの方々からメッセージを頂いた。

みなさまにご心配をおかけしました。

でも、そのメッセージがとても嬉しく、みんなと一緒に旅をしているのを肌で感じるものとなった。

響き第8章にして、大きな節目を迎えている。

これまでの旅と、何かが明らかに違う。

それを、自身がはっきり知りはじめた。

そのことも、みなさんと共有してゆこうと思う。

これから、空港に向かいます。

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11月21日からのスケジュールを記録。

11月21日:カミナルフユにて、ドン・アレハンドロとエリザベスの儀式。沖縄の比嘉さん一同と一緒に参加。午後から、ドン・アレハンドロのインタビュー。
11月22日:一同、博物館巡り。
11月23日:コパン遺跡。
11月24日:キリグア遺跡。
11月25日:ヤシャ遺跡にて、エリザベスの儀式。
11月26日:ティカル遺跡。
11月27日:ティカル遺跡からフローレスに移動。夜のフライトでグアテマラに帰る。
11月28日:ドン・アレハンドロの2回目のインタビュー。

*メキシコ・ユカタン半島

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【ディレクターズ・ノート:古の息吹】

現地時間 2016 12.10 3:30

カルロスさんとのミーティングの翌日の、一昨日から、ユカタン半島・メリダ周辺の遺跡撮影に入った。

7日:カルロスさんとミーティング
8日:チチェン・イッツァ、セノーテ・イキル
9日:ウシュマル、カバー、ラブナ
10日:エクバラン、マヤパン、シビルチャルトゥン

メリダ周辺の遺跡で、撮り残しもあるが、ひとまずここまで。

ここユカタン半島のマヤ遺跡は、グアテマラとは、また違う。

僕は、マヤ遺跡の専門家ではないので、歴史を含めて、詳しくは分からないが、ユカタン半島のものは、磨かれたモダンな感じがする。

ティカル遺跡に代表するグアテマラのほうは、まだ古のままに聳え立っていて、ある日、突然、そこに住んでいた人々が忽然と消えてしまった、そのような出で立ちだ。

チチェン・イッツァ遺跡、ククルカン神殿チチェン・イッツァをはじめとするユカタン半島の遺跡は、かなり観光地化されているが、まるで、これを創った古のマヤの人々は、未来の今を見ていたのだろうか、訪れる多くの人々の目に応えるべくしてその存在を示しているさえ、思う。

彼らは美しい。とても洗練されている。

チチェン・イッツァのククルカン神殿、ウシュマルの魔法使いのピラミッドなどは、完璧過ぎる。

そのなか、昨日の最後に訪れた「ラブナ遺跡」が、僕はとても気に入った。

小さな遺跡だが、あまり整備されておらず、古から流れている「時」が、そのまま残っていて、場所も不便なところにあるからなのか、人もほとんどいない。

気づいたら、ラブナ遺跡にいるのは、僕、だったひとり。

その時だった。

風なのに、まるでシルクのような柔らかい空気の流れがひとつ、僕の身体を纏わりついた。

とても懐かしい香りを持った風。

僕はこの風を知っていると思った。

記憶を運ぶ風なのだろうか、、、

風は、時空を越えて存在するのだろうか、、、

すっと、ひとつ、風を吸い込んでみた。

僕の回りに急に現れた古のままのマヤの人々。

今は廃墟であるけれど、ここがかつて繁栄していた時の、多くの人々が行き交う、その様子が見えた。

時空を越え、古の記憶を運ぶ風。その息吹。

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【ディレクターズ・ノート:エクバラン遺跡】

現地時間 2016 12.11 10:30

ここはあまりにも気持ちいい。

エクバラン遺跡は、チチェン・イッツァからさらに車を走らせること1時間、ジャングルの奥深くにある。

今でこそ、舗装された道が走っているが、よくぞこんなところに文明を開いたなと思う。

マヤの遺跡を歩いて不思議に思うことは、車輪を持たなかった文明が、ひとつだけで何トンもするような石を、それも天文学的な量のこれらを、どこから、どうやって運んだのか。

また、地平線の向こう側まで見渡せるこの高さまで、どうやって積み上げたのか。

現代人の我々が想像出来る範囲を越えていると思う。

何か古代のテクノロジーがあったに違いない。そう思うほうが理に適っている。

エクバラン遺跡で最も高い神殿、アクロポリスは、高さ33mもある。

頂上まで、古代のままの階段を歩いて登ることが出来る。

急勾配の階段は、途中で下を振り返ったら、目が眩むほどだ。

頂上に登って、古のマヤの王様が見渡したであろう風景に、自身の目を重ねてみた。

エクバラン遺跡・アクロポリス神殿の頂上から彼はここで何を見ていたのだろうか?

ピラミッド、、、人が天空に立つ。

人はその高さを自分たちの力で得るのに、どれくらいの犠牲を払ったのだろうか。

そして、その頂点に立つ王様の威厳と、そして責任を思う。

国を子孫に残してゆく、その繁栄こそが、生きる道であっただろう。

人間が神々と共に生きた、命の記録がピラミッドではないだろうか。

頂上に吹く風があまりにも気持ちよく、撮影を終えてから、しばらく瞑想状態に入った。

ずっとここにいたかった。

いや、ずっとここを探していたようにさえ思う。

遠くを見ると、近くの「人間」が見えて来る。

地平線を挟んで、天と地。

人とは、その間に存在するのだろう。

天と地と人。

その「間」を感じる感性を持っているから「人」

「人間」という存在意義が、ここに立つと見えて来る。

古のマヤの王が見つめた先に、自身を投影出来たと思う。

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【ディレクターズ・ノート:石と森】

現地時間 2016 12.16 02:00

枯れてゆく命も、美しい。

生きるだけが輝くものではなく、この世界に永遠があるとすれば、それは時空を越えて「存在」に宿る美しさであろう。

響きの旅で、多くの遺跡に出会った。

「遺跡」とは何か?

ジャングルの中のパレンケ遺跡それは、保存ケースに入れられて、命の美しさを奪われるものではなく、そこに宿る生きたメッセージを現代に運ぶもの。

枯れ果ててゆく、その「時の流れ」も、「遺跡」ではないだろうか。

アラスカ・クリンキット族。

彼らのシンボル、トーテムポールは、木で出来ている。

しかし、彼らはそれを保存しない。

「時間」の流れと共に、人間がつくったそれも、ゆっくり時間をかけて、枯れてゆき、やがて自然に帰ってゆくことを良しとする。

そして、トーテムポールはやがて消えてゆき、しかし、それがこの世界に存在した証として、人々の記憶に刻まれ、物語として、子孫から子孫へと伝わってゆく。

日付をまわっているが、今日、訪ねた、パレンケ遺跡は、実に素晴らしかった。

遺跡とジャングル、、、石と森が、共に共存しあっていた。

古代の息遣いを、感じられる。

響き第2章ケルトの旅、、、

彼らも石と森の文明。

人間がつくる「建造物」も、その時代を生きる人々が死に行き、そして、「石」だけが残る。

そして、その石もゆっくりと緑に覆われてゆく。

自然とは、人間が一生のうち、感じることの出来ないくらい、ゆっくり、ゆっくり時間をかけて、「生」も「死」も、輝くものにする。

森に埋まっているパレンケは、生きていた。

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【ディレクターズ・ノート:マヤの創造神ククルカン、現れる】

現地時間 2016 12.22 19:00

コパ遺跡、ノホック・ムルの大ピラミッド。

コパ遺跡、ノホック・ムルの大ピラミッド高さ42mと、ユカタン半島北部では最も高い。

2016年冬至の日の入りを、大ピラミッドの頂上で迎えた。

昼間、賑わっていた観光客も、辺りが暗くなりはじめ、ほとんどいなくなった。

さらにしばらく時間が流れて、眼下に広がる大ジャングルを、独り占めに出来た。

とても静かな時間がやって来た。

人の騒めきに代わって、今度はジャングルの住人たちの番だ。

モンキーに、鳥に、鳴き声からは想像も出来ないような動物たち。

空に輝く太陽は、西色に輝いていて、あと少しで緑の水平線に落ちる。

冬至とは、北半球で最も昼間(太陽が昇っている時間)が、短い日。

次の日からは夏至に向かってゆく。

先祖たちは、四つの変化をよく知っていた。

春分、夏至、秋分、冬至。

大自然は、このサイクルにある。

マヤの5200年のサイクルも、ある意味、この四つをよく熟知していて、もっと長い時間をかけて観察したものだろう。

5200年を観察するとは、想像を超えているが、今も古に生きるマヤに触れて、納得。

先祖から子孫に伝えてゆくという、人類の叡智の力を確かに感じる。

世代間の「継承」とは、もはや「命」そのものの「伝達」である。

冬至だからと言って、特別なことが起きる訳ではない。

長いサイクルの中の通過点に過ぎないのだ。

しかし、先祖たちは、このゆっくりした変化の中に、それに気づいたのだ。

僕も冬至の日の入りを撮影するからと言って、ビジュアル的に何か特別なものを望んでいる訳ではない。

いつもと変わらぬ一日の終わりの太陽。

しかし、人は、地球のエネルギーが変化する、この「四つの点」を意識することで、自分たちも、大自然の一部として、活かされていることを知ることになるのだ。

そして、2016の冬至、ジャングルに沈んで行く太陽を、ファインダー越しに見ていた僕は、あまりにの光景に、絶句した。

太陽と雲が、どんどん変化し、マヤの創造神、ククルカンが、空に現れたのではないか!

僕の脳裏に、ネイティヴハワイアンの聖地、キラウエアで、これも夕日を撮っていた時、人生初めてのグリーンフラッシュを経験したのちに、女神ペレが空に出現したのが、過ぎった。

そのあと、僕の撮った映像を見たネイティヴハワイアンたちが、みんな口を揃えて、これは女神ペレが現れたと言った。

春分、秋分の日に、チチェン・イッツァのピラミッドに現れるククルカンが、今、僕の目の前の空に現れた。

久々に、身震いするほど、興奮した。

響き第8章マヤの旅も、もうすぐ終わる。

マヤの神様からのメッセージ、確と受け取った。

一生、忘れられない冬至となった。

実は、トゥルム遺跡、トゥルムの海岸での、冬至の日の出も、素晴らしい撮影になっていて、そのこともお伝えしたかったが、ククルカンの出現にすべてを持っていかれた。

この世界で、僕が伝えられる限界を感じる。

でも、ひとつだけ、、、

グラン・セノーテ今日のグラン・セノーテ。

光が炎となって、揺らめくのを捕らえた。

その光は、例えようがないが、、、ひとつ表現出来るとしたら、

それは、魂が僕たちの人間の目に見えるとしたら、このような光を放ち、揺らめくのだろう。

さて、僕は今、カンクンの宿にいる。

本当のところ今日は、二つのセノーテを撮影する予定だったが、グランセノーテで切り上げた。

いよいよ身体が思うように動かない。

多分、疲れが蓄積されて来てるのもあると思うが、ビタミン不足をはじめ、軽く栄養失調だと思う。

でも、心配はない。明日から三日間、休養を取り、帰国する体力を取り戻そうと思う。

みなさまに、次にメッセージを送り出来るのは、カンペチェのカラクムル遺跡の撮影のあとになると思う。

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【ディレクターズ・ノート:王様の帰還】

現地時間 2016 12.28 05:00

カンペチェ、カラムクル遺跡は、ジャングルの奥深くにある。

幹線道路から逸れて、森を切り分けながら走る道は細く、緑の地平線の向こう側まで永遠に続いていた。

朝が早く、まだ獣たちの時間なのか、走る僕の前を、シカ、猿、見たこともないような鳥、ウサギ、などなど、多分、カラムクル遺跡に一番乗りの僕にびっくりして、みんながみんな、一瞬目があうものの、一目散に散ってゆく。

僕は、ジャングルを切り分け疾走する風とひとつになった。

木も動物も、そっとよけて道を作ってくれる。

それに朝陽が差し込んで、光のカーペットまでひいてくれた。

この風は、かつてこの大地を収めたマヤの王様。

ジャングルの住人たちは、王様が帰って来たと大喜び。

シカとウサギのダンスは、夢の世界。

そして、姿を森に潜ませていた巨大な命が、蠢きはじめた。

彼が最後に、王様を迎える。

轟音を鳴り響きかせ、お生い茂っていた木たちが外側に開きはじめた。

それでもその巨大さから、全容を知ることは出来ない。

カラムクル遺跡大地の王様が、風に乗って帰って来た。

空も喜び、雲から光のカーテンを地上に下ろし、命あるものを抱く。

王様はこの地に帰って来るという約束を果たしたのだ。

カラムクルは、ジャングルから眠りに目覚めたばかりの遺跡。

光と陰に溢れていて、命に満ちている。

実に素晴らしい撮影になった。

響き第8章マヤ、クランクアップ。

最後のカットを撮り終えた時、不意にも熱いものが胸の中から込み上がって来た。

走り続けた2ヶ月間が、フラッシュバックされる。

出会った多くの方々、起きた奇跡、出来事。

今回の旅ほどに、神様の完全なるストーリィを感じたのは、これまであっただろうか?

響きの旅をいくら重ねても、僕も人の子。

少しは期待もするし、ドキドキもする。

しかし、今回は、それが無い。

僕は、完全なるサレンダーを体験し、それを得た。

起きてくる奇跡に驚くのではなく、美しさを感じる。

この旅は、僕を次の世界に連れてってくれた。

神々の美しい時が流れる世界、僕は今、そこにいる。

響き第8章マヤ、ミッションコンプリート。

ムチャス、グラシアス!

グアダルーペの「褐色の肌の聖母マリア」
グアダルーペの「褐色の肌の聖母マリア」

響き第8章マヤの旅に、もうひとつのストーリィがある。

それは、聖母マリア様。

以下、ディレクターズ・ノートより。

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【ディレクターズ・ノート:巡礼】

現地時間 2016 12.7 15:30

メキシコシティに着いて一泊し、昨日の早朝の3時に出発。

響き第8章マヤ・後編メキシコ、最初の目的地のメリダに到着したのは、22時を回っていた。

ガソリンを入れる時のほんの少しの休憩を除いて、ぶっ通しで19時間を運転した。

途中で思考能力は停止、本能だけが僕のハンドルを回した。

こんなに長時間を連続で運転したのは、はじめて。

無事に着いたこと、神様に、そして祈りを届けて下さるみなさまに、感謝。

しかし、道々に検問の多いこと。

空港で荷物が出て来るのがとにかく遅いので、何だろうと思っていたら、麻薬犬が、飛行機から降ろされるひとつひとつの匂いを嗅いでるのだ。

入国までに、何重にもチェックを受ける。

メキシコの麻薬問題の深刻さを肌で感じたが、これは序の口だった。

メリダに着くまでに、検問が14回以上はあった。

しかし、不思議と僕は、一度も、車を止められて、トランクを開けることもなく、全部スルーした。

僕のすぐ前の車だったり、後ろだったりは、止められて、車に積んである荷物を根刮ぎ調べられていた。

もちろん、僕も調べられて問題はないが、それで時間をロスしてしまうので、すべてをスルー出来て、とてもラッキーだった。

ちなみに、メキシコはジュネヴ条約に加盟してない為に、国際運転免許証は使えない。

しかし、メキシコ国内の法律で、他国のライセンスを有効とするので、日本の免許証があれば問題ない。

レンタカーを借りる時に、いろいろともらう書面も、信頼となる。

車を走らせ、ユカタン半島にさしかかった時、急に暑くなった。

肌を焦がすような強い太陽に、迫って来る高温の湿気。息を吸うと、空気が肺に届く前に蒸発してしまいそうだ。

でも、この感じ、僕は好き。沖縄の真夏日に似ている。

道もだんだん慣れて来た頃、路肩を、妙にのっぽなものを背負って、自転車を漕いでいる集団に、幾度も出会った。

相当な人数が、これに参加しているのが分かる。

で、背負っているものをよく見ると、聖母マリア像である。

最初は自身の目を疑ったが、こんなにも大きいものを背負って、バランスを崩さないでよく自転車を走らせるなと感心した。

しかも、高速道路の路肩。すぐ隣を時速110キロを越える車がびゅんびゅん走っている。

多分、何日も自転車を漕いでいるのだろう。

グアダルーペの「褐色の肌の聖母マリア」みんな埃だらけで、あたりが薄暗くなって来たら、顔も身体も回りの色と同化していた。

また、聖火をもってマラソンをしている集団にも何度も出会った。

彼らはみんな、カトリックにおける聖母マリアの出現、三大奇跡のひとつである、グアダルーペの「褐色の肌の聖母」をプリントした服を着ていた。

ちなみに、バチカン教皇庁公認の聖母出現は、世界に幾つかあるが、その中でも三大奇跡と言われているのが、他に、フランスのルルドの聖母、ポルトガルのファティマの聖母がある。

聖火マラソン、聖母マリア像を背負って走る自転車、、、クリスマス、聖誕祭が近いから、多分彼らは、「巡礼」をしているのだろうと思う。

「巡礼」を辞書でひくと、「諸方の聖地や霊場を参拝してまわること」とある。

響きの旅は、とにかく先住民族の大地を歩き回る。

昨日は19時間も、マヤの大地を走った。

僕は大地を歩くことは、それが祈りになることを、旅を通して学んで来た。

その祈りが大地とシンクロして来た時に、奇跡が起き始める。

響きに起きる奇跡を一言で言うならば、「よく歩く」からであろう。

その大地に立つことへの許しを、感謝をもって歩けば、すべてが奇跡に変わる。

巡礼とは、その実体験ではないだろうか。

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【ディレクターズ・ノート:聖母マリア様の導き】

現地時間 2016 12.13 07:30

さすがの僕も、まさかこのような展開になるとは、想像すら出来なかった。

いつもながら、神様の計らいは完璧で美しい。

どのような時も、人の思いの遥か上を鮮やかに越えて来る。

人がどんなに必死に頑張っても、すべては神様の手の平のうちなんだろう。

響きの旅で、僕が身に染みるほど学んだことは、「サレンダー」

すべてを、天に委ねる。人事を尽くして天命を待つ。

メキシコシティからメリダまでの道のり、19時間。

前のノートにも書いたが、マリア像を背負って走る自転車、聖火ランナー、彼らは僕の走る19時間を、ずっと一緒だった。

煤だらけの格好から、何日もこうして走っているんだろうと思った。

聖母マリアの出現、三大奇跡のひとつである、グアダルーペの「褐色の肌の聖母」

その巡礼の人々だ。

僕はそれからメリダに入り、遺跡の撮影を続け、すっかりそのことは頭の外にあった。

そして、昨日、文化人類学者のカルロスさんとマヤナッツの美保さんとが合流し、いよいよ、メリダの周辺のマヤの取材が始まった。
と、思いきゃ、、、

案内のカルロスさんが、僕たちを連れていったところがどうも変だ。

カルロスさん、マヤどころか、メリダの郊外の町のど真ん中に、僕たちを連れていって、道にいる警察官を捕まえては、ここで撮影をしたいので、その許可をして欲しいと言っている。

警察官が無線で本部とやり取りし、どうも撮影の許可が降りた様子。

「さぁ、これで撮影の許可が降りた。この街はほとんどがマヤ。好きに撮りなさい」

と、カルロスさん。

「・・・・・・」

と、僕の喉の奥から、あの〜、と突っ込みたくなったが、辛うじて引っ込めた。

しょうがない。ここで撮れというのだから、やるしかない。

しかし、見渡す限り、普通の町。どこをどう撮ればいいのか途方に暮れた。

そこに、見覚えのあるものが!

無数の人々が、道端に寝転がって、休んでいるのではないか。

その隣には、例の高速道路を走っていた聖母マリア像も一緒になって転がっているのだ。

走る聖母マリア像の写真を撮りたかったが、何せ車の運転中で出来なかった。

よし、せめてここで撮って、みんなとシェアしようと思い、この町で取材許可が降りたのだから、ついでにいろいろと聞いてみようと、彼らに近づいて行った。

この巡礼は、期間の長い人で、自転車で37日間かけて、メリダから、メキシコシティのグアダルーペ寺院までマリア像を取りに行って、故郷に帰って来るという、約3000キロの旅。

どうしてこの巡礼をするのかと、何人かにインタビューしてみた。

「神様との約束を守る為」

と、みんなから返って来る。

神様との約束を果たした時に、奇跡が起きて、願いが叶うと言うのだ。

その約束が、「巡礼」である。

あるひとりの少年は、グループではなく、単独でこの巡礼を成し遂げたが、彼は病気のお母さんが治るという奇跡を信じ、この巡礼に参加したと言う。

それを語る彼のピュアな目に、僕はぐっと惹き込まれていった。

そして、なんと、この巡礼のクライマックスが、今日で、「CAUQEL」という町がゴールになっていて、そこで盛大にフィナーレを祝うという。

それを聞いた僕たちは、タクシーに乗って急いでその街に向かった。

いる! いる! いる!

僕が、メキシコシティからメリダまでの19時間、ずっと横で走っていた彼らが、続々とここに集まって来るのではないか。

それを迎える町の人々で、大きなお祭りになっていた。

ちなみに、彼らの巡礼の途中の宿や食事などは、道々の人々に世話になると言う。

四国の八十八ヶ所巡礼と似ている。

巡礼のクライマックスに、続々と広場に集まって来るそして、巡礼のフィナーレに、教会の境内に設置してあるマリア像の前で、旅のグループごとに祈りを捧げるのだが、みんなの目には涙が。

長い巡礼をやり切った、その達成感と、またそれぞれの願いが叶うという、これから起きる奇跡への希望と喜びが入り混じっていた。

僕の脳裏には、先ほどインタビューした少年の姿が走った。

彼のお母さんの病気が治りますようにと、撮影しながら一緒に祈った。

しかし、気がついたら、マヤの取材が、グアダルーペ、褐色の肌の聖母マリアの巡礼に、変わっていた。

まぁ、いいか。

今回記録した映像は、とても貴重なものになるだろう。

偶々、この巡礼のフィナーレに立ち会った、その記録。

地元のメディアはどこにもなく、観光客も誰ひとりしていない。

彼らの熱心な信仰心に触れることが出来た。

神様は最後にちゃんとオチまで用意して下さっていて、実は、巡礼の彼らのほとんどがマヤなのだそうだ。

人は何かを本気で信じ、生きることはとても大切。

信心深く生きることは、生に潤いを与える。

台湾の原住民族もそうであったように、マヤ、彼らにとって、神様を信ずるスピリッツは変わらず、ただ、「外枠」そのカタチが、キリスト教になっただけに過ぎない。

この先、100年、1000年後、キリスト教に取って代わる何かが現れても、彼らはすっと順応するのだろう。

ネイティヴとは、変わるものと、変わらないものを、よく知っている。またその為の叡智を持っていると思う。

今回の巡礼から、マヤの「信ずる力」を取材出来た、素晴らしいものになった。

また、僕がグアテマラからメキシコに来た時から、この巡礼の取材に至るまでの、マリアさまの導きがすでに始まっていたのだろう。

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【ディレクターズ・ノート:グアダルーペの聖母マリア様】

現地時間 2016 12.29 15:00

響き第8章マヤの旅、ディレクターズ・ノート、ラストアップ。

僕は今、グアダルーペ寺院にいる。

グアダルーペ寺院いつもなら、空港でラストメッセージをアップするのだが、今旅は、聖母マリア様のところでお届けする。

グアテマラからメキシコシティに着いたその足で、ユカタン半島のメリダに車を走らせた。

その道中、ずっと一緒だったのが、グアダルーペのマリア様。

巡礼の人々が、マリア様を担いで自転車を何ヶ月も走っていたのだ。

しかも、その巡礼のクライマックスにも立ち会った。

今旅は、マリア様のお守りを強く感じた。

しかも、きめ細かい。

昨日も、思った以上に、高速代とガソリン代でお金を使い果たし、残りがほとんどなく、メキシコシティの予定の宿に着いたものの、ちょっとしたピンチが訪れた。

しかし、現金でしか払えない宿が、支払い済みになっていて、一難を越えた。

なぜ? という思考は、僕にはもうなく、それは神様のお守りであることを知っている。

間違いなく、マリア様の計らい。

ノートには書いてないが、今旅の至るところに、このような神様のきめ細かいサポートがあったのだ。

礼拝堂で、マリア様に感謝のお祈りを捧げた。

そして、日本から響きの旅にお祈りを届けて下さる皆さまに、神様の祝福がありますように。

そしてまた、マヤの大地に住む、そして出会ったみんなに、祝福のお祈りを。

そして、そして、、、世界のみんなが平和でありますように。

皆さま、今旅も祈りと共にいて下さいまして、深く感謝申し上げます。

これから日本に帰ります。

マヤ、、、

太陽の国を旅しました。

HIBIKI Color 赤:太陽 黄:月 白:宇宙 これらの色を合わせて「世界」を意味する。