「メモを取ってはならない。スケッチを描いてもならない。写真を撮ってもならない」
ホピ族居留地における定め。HIBIKIは、これを知って取材に入った。
取材前に、ホピをリサーチしていて、違和感に覚えたことがある。
それは、これまでの先住民族と違って、とても政治色が強いからだ。反戦、反政府、反原発。
そもそも両極の概念が薄い先住民族が、このような「怒り」をベースに生きて来たのだろうか?
また、「ホピの予言」でも知られるホピ族。これも、これまでの取材では、先住民族の多くは「予言」という概念を持っていない。そこにあるのは「ティーチング」、つまり、先祖代々伝わる「知恵」である。
「予言」とは、「時間」に支配された世界。
「今」に永遠に生きる先住民族に、「予言」とはどういうことだろうか?
代表的なのは、オーストラリアのアボリジナル。彼らの「ドリーミング」という思想は、「過去」も「未来」も存在しない。あるのは、「今」という永遠である。
HIBIKIは、ホピ族居留地に飛び込んで、取材を進めるうちに、ホピの真実と出会う。
そこには、歴史的背景によって、ねつ造されたホピのストーリィがあった。
HIBIKIにこのことを記録しようか、どうか、、、とても迷った。
しかし、ここに意を決して記する。
それは、ホピは真に素晴らしい民族。HIBIKIとして、それをただまっすぐに伝えたい。彼らは決して「怒り」に生きていないのだ。
また、これは「告発」ではなく、愛の「告白」である。
時代が作り上げたイタズラ(ねつ造)を許し、ホピの真の姿を知ってほしい。
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すべては、ホピ村のひとりの男からはじまった。
その名を、トーマス・バニヤッカ(Thomas Banyacya 1909〜1999)
バニヤッカが死んだ時、ニューヨークタイムズが、大きく追悼の記事を出すくらい、インディアンの英雄として、知られている。
バニヤッカは、とても賢い男。当時のホピの中では、英語がとても堪能だった。
そして、時は1972年。政治色の強いヒッピーたちが、ホピ村のホテヴィラにやって来た。
ここから、ホピのねつ造がはじまる。
時を同じくして、ヒッピーの神様と言われた「グレートフル・デット」。彼らのところに大きなお金が集まるようになって来た。
「グレートフル・デット」は、そのお金をヒッピーたちに配っていた。
バニヤッカは、ヒッピーと組めば、そのお金をホピ村に入れることが出来ると思ったのだろう、彼らを招き入れたのだ。
バニヤッカは、歴史上では、一般に知られている、西洋文化と戦った英雄であるが、元々は、BIA(内務省インディアン管理局)出身で、西洋の学問を学び、ホピ村を繁栄させたかったのだろう。
しかし、そもそも、ホピの人たちに、西洋的な価値観(お金)が必要だったのだろうか?
バニヤッカは、西洋の「学び」から、自分たちを「貧しい」と思ったのだろう。
バニヤッカは、そんな自分たちの文化を知りながらも、西洋的な価値観によって、その本質を見失ってゆく。
そして、1972年、多くの政治色の強いヒッピーたちを、ホテヴィラに招き入れることに成功し、お金がホピ村にどっと流れた。
しかし、最初は、ホピ村の為であったが、「お金」の前に、バニヤッカが「欲」に陥るのに、時間はかからなかった。
多くのお金が、バニヤッカを通るようになると、彼が「ホピの顔」になる。
そのうち、お金やトラックターなどの寄付が、バニヤッカの私服を肥やすようになる。
そして、事件が起きた。ヒッピーたちは、ホピの伝統的な儀式まで邪魔するようになった。
それまでのホピは、スネークダンスなど、いくつかの儀式は、外に向けて発信していたが、これを機に一切やめる。
また、「ホピの予言」は存在せず、あるのは、「ティーチング」。つまり、「叡智」が、先祖代々から伝わっているだけである。
HIBIKIにしてみれば、真の叡智は、予言にもなろう。
そこには人が大自然の中で生きてゆくに必要な知恵が詰まっているから、「そんなことすれば、こうなるよ」は、言えて当然だと思う。
ヒッピーたちは、自分たちの思想の根源になるものを、ホピに求めた。
そして、ホピに先祖代々伝わる「知恵」を、エスカレートさせて、「ホピの予言」として、自分たちのエネルギーにしていったのだ。
「黒い灰が詰まったひょうたん」は、反原発のシンボルに。
「予言の岩」は、反戦のシンボルに。
「雲母の家」(国連のこと)は、反政府のシンボルに。
などなど。
ヒッピーたちによって、ねつ造されたものだ。
しかし、すべてがねつ造された訳ではない。「ホピの予言」を、「ホピの叡智」に戻すならば、半分は真実、半分はねつ造と言えよう。
HIBIKIは、今に生きるホピを目の当たりにして、彼らの真の素晴らしさを知る。
日々、笑い、伝統を重んじり、尊敬し合い、シンプルに生きているホピの人たち。
ヒッピーたちは、ホピをねつ造する必要はなかったのだ。ありのままのホピで十分に素晴らしいことを、ヒッピーたちは信じ切れなかったのだ。
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この記録の最後に、、、
しかしながら、バニヤッカは、英雄には変わらないという。
彼の功績は、インディアンの魂に溢れるものであった。それらも、すべて「事実」
しかし、彼自身も、インディアンに本来なかった「西洋的な価値」に、知らず知らず蝕まれていったのだろう。
結局、晩年の彼は、ホピに村八分にされ、家族も離れていった。
行いの信念は、「内側」に探すものであって、「外側」に意味付けを求めると、このようなことが起きる。
HIBIKIにとっても、大きな学びとなった。 |