世界の12の先住民族の物語を紡いでいく旅。ドキュメンタリー映画「響き 〜RHYTHM of DNA〜」
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12の先住民族
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ABORIGINAL:アボリジナル
CELT:ケルト民族
ALASKAN TLINGIT:アラスカクリンキット族
HOPI:ホピ族
TAIWANEE HILLTRIBE:台湾の山岳民族
NATIVE HAWAIIAN:古代ハワイの先住民族
AINU:アイヌ民族
UNKNOWN:未知
HOPI:ホピ族
撮影手記
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「HIBIKI 第4章 〜ホピ族〜」取材クルーの移動。アメリカ 2015年4月15日〜2015年5月23日。
(*すべて現地時間。アメリカ西部と日本の時差: -16時間)
2015.04.15   成田からロサンゼルス経由で、フェニックスに向けて出発。
2015.04.15   フェニックス到着。
2015.04.16   ホピ族居留地入り。
2015.04.17 〜 2015.04.20 ホピ族の取材。結婚式の撮影など。
2015.04.21   タオス入り。
2015.04.22 〜 2015.04.23 タオス・ヒッピーたちと交流。
2015.04.23   アルパカーキ入り。
2015.04.23 〜 2015.04.25 ギャザリング オフ ネーションズ(Gathering of nations) パウワウ(POW WOW)の撮影。
2015.04.26   撮影の段取りの為、再び、タオスに戻る。
2015.04.28 〜 2015.05.01 コロラドの旅。サンタフェをまわって、3度目のタオス。
2015.04.28   Pagosa.
2015.04.29   Mesa Verde.
2015.04.30   Santa Fe.
2015.05.01   タオスに帰る。
2015.05.02   タオス・プエブロ、インディアン・フルート奏者のロバート・ミラバル(グラミー賞受賞)の取材。
2015.05.03   タオス・プエブロ、コーンダンス。
2015.05.04   スウェット・ロッヂ
2015.05.06   マウンテン・シャスタを目指して、タオスを出発。
2015.05.07   マウンテン・シャスタ入り。
2015.05.08 〜 2015.05.10 シャスタ撮影。メディスンマン・ジャックの取材など。
2015.05.11   再び、ホピ族居留地に帰る。
2015.05.12   ホピ族とナバホ族のハーレーによる平和のパレードを取材。
2015.05.13 〜 2015.05.14 グランド・キャニオン撮影。
2015.05.15 〜 2015.05.16 モニュメント・バレー撮影。
2015.05.17 〜 2015.05.21 セドナ撮影。
2015.05.22   フェニックス出発。シカゴ経由で帰国の途に着く。
2015.05.23   成田着。
ネイティヴ・アメリカン、ホピ族

フォーコーナーズ地域

 アリゾナ、ユタ、コロラド、ニューメキシコの4つの州が交わるフォーコーナーズ地域を、ホピは数千年にわたって移住をくりかえし、現在の場所に約千年前に定住したとされる。

 高原砂漠地帯の標高約1,800メートルのメサ(高台という意味)と呼ばれる台地の上に12の村がある。人口は約一万人。

 トウモロコシを主食とする農耕民。

カチーナ信仰

カチーナ ホピを語るに、カチーナの存在なしでは伝えられないくらい、彼らの社会に深く根付いている。

 カチーナとは、万物に宿る精霊のこと。動植物、雨や風などの気象、神々。その数は300種類にも上る。

 人々が偉大な精霊マーサウとの約束を守り、良き心で暮らすよう、すべての均衡が保てるように助ける存在。

 仮面と衣装をつけて踊るカチーナ・ダンスが、季節に応じて、規則正しく行われる。

 また、マーサウとは、グレイト・スピリット(偉大なる精霊)の化身で、ホピに予言を授けたとされる。

 グレイト・スピリットと交わされた「大地を守る約束」を守り通すことが、ホピの唯一の法であり信条である。

 ホピは、大地と契りを交わし、農作物を育て、自然と宇宙のサイクルに従い、世界のバランスを保つために、宗教儀式を執り行い、祈りを捧げる。

 ホピの口伝には、世界がこれまでに3回浄化されたとしていて、人類が自然の掟に従わず、大地といのちへの尊敬と感謝を忘れるようになれば、再び、「偉大なる浄化の日」を迎えるだろうと、教えている。

ホピとヒッピーのストーリィ
ホピとナバホによるハーレーのパレード。ホピ族の旗。

「メモを取ってはならない。スケッチを描いてもならない。写真を撮ってもならない」

ホピ族居留地における定め。HIBIKIは、これを知って取材に入った。

取材前に、ホピをリサーチしていて、違和感に覚えたことがある。

それは、これまでの先住民族と違って、とても政治色が強いからだ。反戦、反政府、反原発。

そもそも両極の概念が薄い先住民族が、このような「怒り」をベースに生きて来たのだろうか?

また、「ホピの予言」でも知られるホピ族。これも、これまでの取材では、先住民族の多くは「予言」という概念を持っていない。そこにあるのは「ティーチング」、つまり、先祖代々伝わる「知恵」である。

「予言」とは、「時間」に支配された世界。

「今」に永遠に生きる先住民族に、「予言」とはどういうことだろうか?

代表的なのは、オーストラリアのアボリジナル。彼らの「ドリーミング」という思想は、「過去」も「未来」も存在しない。あるのは、「今」という永遠である。

ホピの女性の伝統的な髪型「蝶々結い」HIBIKIは、ホピ族居留地に飛び込んで、取材を進めるうちに、ホピの真実と出会う。

そこには、歴史的背景によって、ねつ造されたホピのストーリィがあった。

HIBIKIにこのことを記録しようか、どうか、、、とても迷った。

しかし、ここに意を決して記する。

それは、ホピは真に素晴らしい民族。HIBIKIとして、それをただまっすぐに伝えたい。彼らは決して「怒り」に生きていないのだ。

また、これは「告発」ではなく、愛の「告白」である。

 

時代が作り上げたイタズラ(ねつ造)を許し、ホピの真の姿を知ってほしい。

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すべては、ホピ村のひとりの男からはじまった。

その名を、トーマス・バニヤッカ(Thomas Banyacya 1909〜1999)

バニヤッカが死んだ時、ニューヨークタイムズが、大きく追悼の記事を出すくらい、インディアンの英雄として、知られている。

バニヤッカは、とても賢い男。当時のホピの中では、英語がとても堪能だった。

そして、時は1972年。政治色の強いヒッピーたちが、ホピ村のホテヴィラにやって来た。

ここから、ホピのねつ造がはじまる。

時を同じくして、ヒッピーの神様と言われた「グレートフル・デット」。彼らのところに大きなお金が集まるようになって来た。

「グレートフル・デット」は、そのお金をヒッピーたちに配っていた。

バニヤッカは、ヒッピーと組めば、そのお金をホピ村に入れることが出来ると思ったのだろう、彼らを招き入れたのだ。

バニヤッカは、歴史上では、一般に知られている、西洋文化と戦った英雄であるが、元々は、BIA(内務省インディアン管理局)出身で、西洋の学問を学び、ホピ村を繁栄させたかったのだろう。

しかし、そもそも、ホピの人たちに、西洋的な価値観(お金)が必要だったのだろうか?

バニヤッカは、西洋の「学び」から、自分たちを「貧しい」と思ったのだろう。

バニヤッカは、そんな自分たちの文化を知りながらも、西洋的な価値観によって、その本質を見失ってゆく。

そして、1972年、多くの政治色の強いヒッピーたちを、ホテヴィラに招き入れることに成功し、お金がホピ村にどっと流れた。

しかし、最初は、ホピ村の為であったが、「お金」の前に、バニヤッカが「欲」に陥るのに、時間はかからなかった。

多くのお金が、バニヤッカを通るようになると、彼が「ホピの顔」になる。

そのうち、お金やトラックターなどの寄付が、バニヤッカの私服を肥やすようになる。

そして、事件が起きた。ヒッピーたちは、ホピの伝統的な儀式まで邪魔するようになった。

それまでのホピは、スネークダンスなど、いくつかの儀式は、外に向けて発信していたが、これを機に一切やめる。

また、「ホピの予言」は存在せず、あるのは、「ティーチング」。つまり、「叡智」が、先祖代々から伝わっているだけである。

HIBIKIにしてみれば、真の叡智は、予言にもなろう。

そこには人が大自然の中で生きてゆくに必要な知恵が詰まっているから、「そんなことすれば、こうなるよ」は、言えて当然だと思う。

ヒッピーたちは、自分たちの思想の根源になるものを、ホピに求めた。

そして、ホピに先祖代々伝わる「知恵」を、エスカレートさせて、「ホピの予言」として、自分たちのエネルギーにしていったのだ。

「黒い灰が詰まったひょうたん」は、反原発のシンボルに。

「予言の岩」は、反戦のシンボルに。

「雲母の家」(国連のこと)は、反政府のシンボルに。

などなど。

ヒッピーたちによって、ねつ造されたものだ。

しかし、すべてがねつ造された訳ではない。「ホピの予言」を、「ホピの叡智」に戻すならば、半分は真実、半分はねつ造と言えよう。

HIBIKIは、今に生きるホピを目の当たりにして、彼らの真の素晴らしさを知る。

日々、笑い、伝統を重んじり、尊敬し合い、シンプルに生きているホピの人たち。

ヒッピーたちは、ホピをねつ造する必要はなかったのだ。ありのままのホピで十分に素晴らしいことを、ヒッピーたちは信じ切れなかったのだ。

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この記録の最後に、、、

しかしながら、バニヤッカは、英雄には変わらないという。

彼の功績は、インディアンの魂に溢れるものであった。それらも、すべて「事実」

しかし、彼自身も、インディアンに本来なかった「西洋的な価値」に、知らず知らず蝕まれていったのだろう。

結局、晩年の彼は、ホピに村八分にされ、家族も離れていった。

行いの信念は、「内側」に探すものであって、「外側」に意味付けを求めると、このようなことが起きる。

HIBIKIにとっても、大きな学びとなった。

Gathering of nations POW WOW (パウワウ)
Gathering of nations POW WOW (パウワウ)

ネイティブ・アメリカンの各部族に、先祖代々から伝わる儀式やダンスは、基本シークレット。

これらが部族の外に出ることは、まずない。

しかし、秘密のベールに包まれた儀式や踊りを、部族間同士で交流し合うのが、POW WOW (パウワウ)だ。

この時ばかりは許される。

POW WOW様々規模のパウワウが一年を通して、各地で行われているが、一年に一度だけ、全米のネイティブ・アメリカンが集まるビッグイベントが、ニューメキシコ州、アルパカーキで開催される。

北米大陸にいるネイティブ・アメリカンの部族数は、約560。そのほとんどが集うのだ。

HIBIKIは、幸運にも、このビッグイベントを取材出来た。

ネイションズのスピリッツが、ここにあった。

これは、ホピ族の結婚式の撮影の時、そこに居合わせたクラン・ウォーターの長老からのお告げ。

HIBIKI第4章 〜ホピ編〜で撮りたかったすべてが、ここにあったと言っても過言ではない。

この時の様子を、ディレクターズ・ノートから抜粋。

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【ディレクターズ・ノート:POW WOW】 現地時間 2015.4.24 16:00

力。

僕が今、ここアルバカーキで目の当たりにしているのは、力。人の力。人間力。

人って、、、それだけで、こんなにも素晴らしい。

人が踊るのに、意味など要らない。
人が歌うのに、意味など要らない。
人は存在そのものが、答え。

人生はシンプルに生きるに限る。そこに辿り着いて悟り。

POW WOW今日のパウワウだけで、響きが伝えたいことが全部あるようだ。

会場の受付で、日本から来たインディペンデントのクリエイターと言ったら、メディア扱いにしてくれて、フロアでの撮影を許された。

あまりにもスムーズにいったので、最初から僕が撮影することになっていたかのようだ。

フロアには、アメリカのメディアとメディア。

彼らと肩を並べて、響きのスモールサイズの4Kキャメラがやけに目立つ。

パウワウ初日の今日は、ミッドナイトまで続くようだ。

POW WOWフロアで友だちになった地元メディアのキャメラマンがいろいろと情報を教えてくれるので、パウワウがとてもよく分かる。

メインイベントは、今日の深夜に行われるスモークダンスのようだ。
深夜までまだまだ撮影は続くが、携帯電話の電池もまもなく切れるので、途中報告。

今日のど迫力を写真でお伝えしよう。

オープニングで、全米から集まったインディアンが一度にフロアで踊った。

鳥肌が立ちぱなし。

もう、、、とにかく、ぶっ飛びのこの迫力と感動。言葉を失う。

よくぞこのお祭りに巡り会えたものだ。

きっと神様が用意してあったのだろう。

アジェンダ・レスの旅は続く、、、

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【ディレクターズ・ノート:POW WOW ファイナル】 現地時間 2015.4.26 7:30

昨日は撮影が終わって、倒れるように眠った。
まるで記憶消失。

朝目覚めてから、少しずつ昨日の余韻が蘇って来て、武者震いする。

メインイベントが終わり、パーティーがはじまるというところで帰って来た。
気持ちはみんなとパッと弾けたいところだが、体力の消耗が激しいのと、僕にはタオスに帰ってからを見据えていた。

POW WOW今回のパウワウは、全米で一番大きなネイションズの集い。(ギャザリング オフ ネイションズ。ギャザリングとは、「集い」を意味する)

それこそ全米の部族が、一度に集まった。

響き主観でこれを言うと、

「神様が一度にすべてのインディアンたちを、響きに出会わせて下さった」

すごい奇跡が起きたと思う。

欲張りな表現だが、こう考えるしか他ない。

ホピの神様の導き。これも僕にははっきりと分かる。ひしひし感じる。
このようなミラクルな業を成せるのは、神様しかいないだろう。

それくらい、響きが求める世界が、「すべて」ここにあった。

早朝からの武者震いもそうだが、完全燃焼した。放心状態。

今のこの感じ悪くない。

昨日、会場からの帰り道に、僕はこの大地に吹く風と一緒になったのを感じた。
風に混ざって来る香りも、そうだと言っている。

僕にとって、今回の第4章ホピ編は、大きな成長となるだろう。いや、自分自身の変化にもう気づいてる。

僕は大きく気づいた。
この地球と、一つになれる。

第4章ホピ編。タイトルを変えようかと車を運転しながら思ったことがある。
例えば、第4章ネイションズ、とか。

POW WOWしかし、パウワウを終えた今、これはホピの神様の計らいだとはっきり分かった。

僕自身も、ホピのスピリッツとなって、今旅を全うする。

旅はまだ始まったばかり。残り1カ月。響き第4章ホピ編は続く。

帰国の頃、僕はどうなっているのだろうか?
この未知数、僕には想像も出来ない。

しかしながら、如何なる時も、響きのコンパス「アジェンダ・レス」が、進む方角を指し示すであろう。

インディアンフルート奏者、ロバート・ミラバル
タオス・プエブロ族 ロバート・ミラバル氏

タオスで、インディアンフルート奏者のロバート・ミラバル氏を取材した。

2006年、グラミー賞を受賞。来日公演も行っている。

撮影の様子を、ディレクターズ・ノートから。

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【ディレクターズ・ノート:ロバート・ミラバル】 現地時間 2015.5.2 24:00

響きが引き寄せる奇跡は、いつも僕の想像を遥かに超えて来るので、そろそろ慣れても良いはずだが、そうはならない。

神様にしてみれば当たり前だろうが、生身の僕は、ついて行くのに必死だ。
辛うじて、神様のスピードに間に合ってる。

うぅ、、、

今日は、唸りたい。

この喜びを叫んでも叫び足りないので、唸ることにした。

昨日、コロラドの旅からタオスに帰ったら、誰もいなくなった敷地内は、遠くのタオス山だけが僕を見ている。

「神様、僕を存分に、そして、使い切って下さい」

と、祈る僕の心は覚悟した。覚悟も決して慣れることはないことを知る。

今日、ミラバルに会う。しかし、この時点で分かっているのは、これだけ。

如何なる結果になろうと、潔くいたい。

ホピの伝統食品「ピキ」午後丁度に、タオス・プエブロの居留地に入って、ミラバル宅を訪ねた。

出迎えるミラバルに、ホピの伝統食品、ピキを渡したら、喜んで下さった。
ピキは、ホピが作る神聖な食べもので、儀式には欠かせない。

アメリカのインディアンたちは、ホピが作るこの食べものをとても喜ぶ。

ミラバルが、タオス・プエブロの先祖を呼ぶ儀式を執り行い、それから撮影がはじまった。
そのあまりにも当たり前に執り行う儀式に息を呑んだ。

そして、なんと、彼らにとっては、とても重要な、サンダンスの儀式に使うピアーシングを、僕の首にかけてくれた。

その様子に同行したヒッピーが驚いてた。

ミラバル氏から頂いた首飾り僕を勇者として認めたのかどうかは分からないが、深く受け入れられたと、ミラバルの表情を見て理解した。
ちなみに、このピアーシング、そのまま僕にプレゼントして下さった。日本に持ち帰ります。

それからというもの、ミラバルと僕は、ひとつにつながったと思う。
インタビューを超えて、魂の深いところで分かり合えた。

ひとつ質問すると、ミラバルはその真意まで理解して下さって、宇宙の真理にまで達するような答えを返す。
僕もそれに応じる。

二人はどんどんシンクロして行った。

そばで見ていたヒッピーが、

「このインタビューはあまりにも美しい」

と、インタビューを終えた僕に言った。

何かが起きたのだろう。それは確かに分かる。
しかし、それは「今」、起きたのではなく、遥か昔から、まるでこの為に、周到に準備されていたのではないだろうか。

フルートも快く演奏して下さった。何度も吹いて下さる。

しかも、その音に吹き込まれているスピリッツも話してくれた。

川辺にしゃがんで、流れる水に語りかけるフルート。
そのあまりにも透き通った音色に、僕までもが透明になっていった。

響きのキャメラがその様子を記録。

他にも、トウモロコシの伝統農法の再生の話し。
そして、娘さんと二人で畑仕事をするところも撮らせて頂いた。

響きは、古き良き時代をやるんではない。今に生きるメッセージを紡ぐ。
まさにそのメッセージを頂戴した。

印象に残ったのは、ミラバルの言葉の端々に、

「シンプル。ライフ イズ ベリー シンプル」

と、出て来る。

そして、今日の最後に、

「とし、お前を、明日のセレモニーに招待する。コーンダンスをやるんだ。撮影は許されないが、とし、お前自身で体感せよ」

心が震えるくらい嬉しかった。

しかし、これだけではない。

プエブロのメディスンマンの撮影が出来るかもしれない。

また、新たにピクルス・プエブロの取材の可能性。

スウェットロッヂの撮影。などなど。

一気に取材の厚みが増して来た。

今日1日だけで、どれだけのことが起きたのだろうか、、、
明日以降も、未知数。

響きのコンパス「アジェンダ・レス」は、僕をどこに導くのだろうか。
僕は祈る。祈り続ける。

マウンテン・シャスタ
マウンテン・シャスタ

【ディレクターズ・ノート:シャスタ、ミッション・クリア!】 現地時間 2015.5.9 22:00

撮ったどぉおおおおおおお、おうぉおおお!

神様は決して楽させてはくれない。

ネイティブの取材が出来なければ、「響き」ビジュアルメッセージとしては成り立たない。

「美しいマウンテン・シャスタ」でしか、伝えられないのだ。

つまり、アリゾナから、2100Kmも離れた、シャスタまで移動したのが、「ビジュアルメッセージ」としては、無駄になってしまう。

というのも、シャスタ、このお山は尋常じゃない。

シャスタに一歩踏み入れた時、僕の全細胞が振動した。

すごい力。

五感をフルに使っても、やっとそれを受け入れられるくらい強烈だった。

しかし、ビジュアルメッセージとして、それを伝えるには、ここに古くからいるネイティヴのメッセージが必要。

僕はタオスで、シャスタに行こうと決めた時、自分の直感を、100パーセント信じた。

シャスタに滞在出来るのは、たったの3日。

その間に、シャスタを捉え切れるだろうか。

シャスタに古くから暮らすネイティヴとコミュニケーションを取って、取材まで持ち込めるだろうか。

僕も人の子。正直、命を削る思いだった。

しかし、僕の「直感」が、ここしかない、シャスタに行け、というからには、僕は「内なる声」に従うしかない。

こんなに身体が疲れているのに、昨日はほとんど眠れなかった。

僕の「内なる声」が、ホンモノかどうか問われるのだ。

今日、取材に至るまで、いろいろあったが、僕は今、完全燃焼してしまって、それらをノートに書く力が、もう残されてない。

短く述べると。

撮影出来た人は、ネイティブの長老で、しかも、メディスンマンだったのだ!

しかも、僕が用意した質問より、深いところまでお話し下さった。インタビューは1時間にも及んだ。

そこには、「シャスタのすべて」がある。

インタビューが終わって、日が暮れるまで時間がまだあったので、「パーニーフォール滝」まで撮影出来た。

そして、明日の早朝、シャスタを離れる。

僕の直感が、ホピ村に帰れと言うのだ。

タオスに戻るより、距離的には、若干短く1700Km。でも、2日はかかるだろうな。

響き、アジェンダ・レス、フルパワー!

グランド・キャニオン
グランド・キャニオン

【ディレクターズ・ノート:グランド・キャニオン】 現地時間 2015.5.14 23:00

僕は今、モニュメント・バレーにいる。日が落ちるギリギリ前に着いた。

早朝、グランド・キャニオンを出発し、アンテロープキャニオンの玄関町、「Page」に着いた。

ところが、アンテロープキャニオンを巡るには、ツアーしかなく、参加料金も高い。

少し様子を見ていたら、トラックターの荷台に乗せられて、わんさと運ばれてゆく観光客。

人がこんだけいたら、キャメラも回せられない。

さっさと諦めて、次に予定していた、モニュメント・バレーに向かったのだ。

車ごと宿泊出来るキャンピング・サイトを、二泊取った。

このあたりのモーテルは安くても、150ドルを超えて来る。キャンピング・サイトだと、一泊、21ドルだ。しかも、シャワーが出来る施設もあって、とても快適。

ひっさしぶりに、シャワーを浴びて、ここはもう天国。

明日は、天気が悪いようなので、二泊にした。

サンライズとサンセット。そして、日中、歩きながらいろんな角度で撮影しようと思う。

以下、帰国までの日程。

15日、16日は、モニュメント・バレー。撮影の進行状況によっては、16日のお昼か、もう一泊して、17日の朝にここを発ち、セドナを目指す。

17日、18日、19日は、セドナの撮影。

20日にフェニックスに戻り、モーテルで一泊し、荷物の整理など帰国の用意。

21日に、フェニックスで洗車を済ませて、夜には空港に返却。

22日の、早朝の4時の便で、帰国の途に着く。

響き第4章ホピ編の旅も終わりに近づいて来た。あともうひと頑張り。

グランド・キャニオンの日の出。谷族から見上げて。

谷底を流れるコロラド川

昨日の、グランド・キャニオンは、日の出から撮影をはじめ、それが終わってからすぐに、谷底に降りて行った。

案内ボードに、とにかく下は熱いから、熱中症には十分気をつけるようにと、注意書きがあった。

確かに、「下」は熱かった。

僕が選んだトレイルコースは、(難)のレッテルが貼ってあり、降りが約4時間、登りが約8時間と書いてあった。

僕は逆で、降りながら撮影したので、行きが約6時間。登りは撮影なしで、約4時間で帰って来た。

やっぱり僕は、山に放たれると、元気が出る。

谷底を歩いて思ったのは、僕でも西部劇を作りたくなる、そんな景色に、喉の渇きを覚えた。

谷底を流れるコロラド川は絶景。

ここからは、写真でレポートしよう。

日の出から時系列。

しかし、今、ここ、モニュメント・バレーを見て、僕はジョーン・フォード監督が見て感じた世界を垣間見る。

モニュメント・バレー
モニュメント・バレー

【ディレクターズ・ノート:モニュメント・バレー】 現地時間 2015.5.15 20:30

今日の撮影は、朝から妙だった。

春夏秋冬が一度に来たら、こんな感じだろうか?

雨と晴れが同時にやって来て、風までもが無風と戯れあってる。

あっちらでは、光のシャワーを浴びている影。

ここはいったい何なんだ?

一緒にいられないものたちが、肩を並べて歌っている。

撮影していると、突然、野生の馬の親子がやって来た。

咄嗟に、こんにちわと挨拶したら、なでなでしてって言う。

なでなでしたら、僕の前で子馬がお母ちゃんのおっぱいを呑み始める。

その背後には、モニュメント・バレーの大自然。

出来過ぎるくらいの絵が撮れた。

僕が動くと、光と雲も一緒に追いかけて来て、私キレイでしょう、撮って撮ってと言う。

大自然が、生きものが、、、すべてが僕とシンクロしているのを明らかに感じた。

それらを、響きのキャメラが記録した。

野生の馬にはさすがにびっくりした。

夕方、激しい雷雨。

しかし、遠くは晴れていて、あまりにも幻想的。

神々が地上に降臨する時って、こんな感じかもしれない。

ジョーンフォード・ポイント。映画「駅馬車」の舞台。

僕にはモニュメント・バレーを代表するこの三つの聖なるメサが、「愛」と「平和」と「調和」の三位一体に思えた。

セドナ
エアーポート・メサから見渡すセドナ

【ディレクターズ・ノート:ボイントン・キャニオン】 現地時間 2015.5.18 9:00

セドナ、ボイントン・キャニオン。

昨日、そこに足を一歩踏み入れた途端、ふわっと甘い香りが漂って来た。

日の出。「Upper RR Loop Rd.」の途中に車を停めて、「Cresent Moon Rec Area」を見渡す。 土の香り? お花の香り? それとも、光の香り?

なんとも言えない美しい香りが、キャニオンを出て行くまで、僕をずっと纏っていた。

昨日は、何ヶ所か回ろうとしたが、ボイントン・キャニオンの素晴らしさに、結局、ここだけの撮影となった。

僕は景色を撮影する時に、決めていることがある。

それは、「行き」の時に撮影する。

最初に出会う、「その感動」を響きに記録するのだ。

一番、フレッシュな感覚をそのままに撮る。

「ここが良いから候補にあげておいて、後で撮ろう」

なんてことはしない。

いきなりやって来る、命の鼓動を鷲づかみするのだ。

そして、「帰り」は、キャメラにレンズキャップをして、今度は、「行き」のおこぼれを、僕の魂に刻む。

これも、響きスタイル。

セドナ、ボイントン・キャニオン。

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【ディレクターズ・ノート:再生】 現地時間 2015.5.19 7:00

地球は、、、再生している。

あぁ、なんて大きな力なんだろうか。僕たち人間の思いを遙かに超えて、再生している。

それは優しく、そして壮大だ。

気の遠くなるような時間をかけて、ゆっくりゆっくり。

まるでそれは、僕たち人間に気づかれないように、そっとそっと、、、赤ん坊を抱くように。

母なる大地、、、

僕は、地球の子で、その大自然の一部であることを、明らかに感じた。

地球は、、、素晴らしく優しい。

昨日は、「カセドラルロック」を、一日かけて撮影した。

大聖堂のような神々しい岩の形が名前の由来のようだ。

お山に入って、すぐに水の流れる音がした。

川だ!

「カセドラルロック

僕は音が聞こえて来るほうに、奥へ奥へと入っていった。

鳥のさえずりが、その音量を増して来たと思ったその時、

僕の目の前に豊かな流れが、飛び込んで来た!

と同時に、冷たくて清々しい香りがふわっと舞って来た。

僕は猛烈に感動した。

「地球は、再生している!」

と、僕の身体の中に、わっと入って来る命を感じた。

「地球の命」

よし、今日は水源を辿って撮影しよう。再生のはじまりに出会いたい。そう願い、頂上へ向かって登っていった。

砂漠、、、

もしかしてここは、遙か昔には、豊かな森林があったのかもしれない。

しかし、何かがあって、その豊かさが消えた。

今の僕たち人類のように、地球の資源を無駄に使い、環境を壊してしまったのだろうか?

そんな想像が巡った。

しかし、地球は、それすら丸ごと抱くように、優しく、ゆっくり、壮大な力で、再生している。

砂漠に突然現れた、オアシスのセドナ。そして、水豊かな「カセドラルロック」は、まさに、「地球の再生」の途中を、僕たちは目撃しているのかもしれない。

鳥や虫、動物、、、植物、、、とにかく、ここは命に溢れている。

それも生き生き、のびのび。

僕は、命のはじまりの時って、このようなエネルギーに満ちていたのかもしれない、と思った。

地球は、、、何度再生している。

僕たちは、母なる大地に抱かれているのを感じ、人間も地球の一部であるんだと知ることが出来る。

地球を、もっと肌で感じたほうが良い。

すると、僕たちも優しく生かされる。

地球が何度も再生出来るように、人間も何度も再生出来る。

今、辛いこと、悩むこと、、、もしかしたら、絶望に陥っている。そのような時もあるだろう。

しかし、僕たちも、地球のように何度も再生すればいい。

再生しようとする人には、神様も、地球も、すべての人も、あなたに寛大である。

 
 
 
HIBIKI Color 赤:太陽 黄:月 白:宇宙 これらの色を合わせて「世界」を意味する。