世界の12の先住民族の物語を紡いでいく旅。ドキュメンタリー映画「響き 〜RHYTHM of DNA〜」
HOME
12の先住民族
ミッション
製作会
賛同者
DNA
12の先住民族
※「撮影終了」の先住民族名をクリックすると、取材済みの撮影手記などをご覧になれます。
ABORIGINAL:アボリジナル
CELT:ケルト民族
ALASKAN TLINGIT:アラスカクリンキット族
HOPI:ホピ族
TAIWANEE HILLTRIBE:台湾の原住民族
NATIVE HAWAIIAN:古代ハワイの先住民族
AINU:アイヌ民族
UNKNOWN:未知
Taiwan Indigenous Peoples
撮影手記
>>> 撮影前のプランはこちら <<<
「HIBIKI 第5章 〜台湾・原住民族〜」取材クルーの移動。台湾 2015年8月25日〜2015年9月21日
(*すべて現地時間。台湾と日本の時差: -1時間)
2015.08.25   成田から台湾・桃園に向けて出発。
2015.08.25   台北市・景文科技大學入り。
2015.08.26   台北市北投・原住民族文化館訪問。
2015.08.27   台湾を一気に南下。屏東市入り。
2015.08.28 〜 2015.08.30 三地門を中心に撮影を進める。
2015.08.28   台湾原住民族行政院、原住民族部落大学、パイワン族の司祭を取材。
2015.08.29   台湾原住民族行政院、王局長インタビュー。お祭りを撮影。
2015.08.30   パイワン族の瑠璃玉伝承者、ルカイ族の大頭目(王様)を取材。
2015.08.31   花蓮縣卓溪郷入り。チームエリス一同と合流。
2015.09.01 〜 2015.09.03 プヌン(布農)族の取材。
2015.09.04   花蓮縣光復市入り。
2015.09.04 〜 2015.09.06 アミ族の取材。
2015.09.07   再び、プヌン族の里、花蓮縣卓溪郷に戻り、八部合音(パシブブ)の撮影。
2015.09.08   タイヤル族の里、宜蘭県大同郷入り。
2015.09.09 〜 2015.09.11 タイヤル族の取材。
2015.09.12   オフ日。
2015.09.13   台北市で、チームエリス一同と合流。都市部原住民族のお祭りを撮影。
2015.09.14   1、十分大瀑布で、滝を撮影。台湾のナイアガラと言われている。
2、野柳風景特定区では、海浜の自然が織りなす造形美を撮影。
3、漁人碼頭では、夕日。
2015.09.15   太魯閣(タロコ)峡谷に移動し撮影。その後、再びアミ族の里、花蓮縣光復市入り。
2015.09.16   数千年前に、アミ族の祖先が台湾島に初めて上陸した地点とされる伝説の場所、「港口光点」を撮影。その後、屏東市・三地門入り。
2015.09.17   ルカイ族の古い集落を撮影する為、三地門郷の山の頂上に向かうが、台風による土砂崩れがあり、途中で断念。夕方から阿里山國家森林遊楽區に向かう。
2015.09.18   阿里山國家森林遊楽區。祝山のご来光を撮影。
2015.09.19   台湾で最も大きい湖、日月潭(リーユエタン)を撮影。
2015.09.20   台北のシティーショット、ランドマークの「台北101」、龍山寺、千と千尋の神隠しの舞台となった油屋「九彬(チョウフン)」を撮影。
2015.09.21   台北・桃園出発。帰国の途に着く。夕方、成田着。

 

調和
プヌン族の子供たちと長老

響き第5章台湾原住民族編は、「調和」をテーマに掲げ、旅した。

彼らの宗教信仰は多神教で、日本と同じように祖先崇拝が主であるが、他の国の先住民族同様、近代、西洋文化の波に宗旨替えが行われて、大部分がキリスト教である。

響きは、全編を通して、「今に生きる先住民族」が根幹にある。

彼らが先祖代々から伝わる知恵を今の時代にどう生かして、次の世代にどう繋いでゆくのか?

「変わるもの」と「変わらないもの」

人類にとって、進化とは何か?

ともすれば、西洋的な価値観から捉えた場合、固げに伝統文化を守ることが、自分たちのアイデンティティの継承であるかのように見える。

しかし、東洋は、「融合」という「進化」を遂げているのではないだろうか。

東洋に限らず、世界の先住民族に多く見られる、融合する力。

外来文化に対して、反発するだけではなく、自分たちの中に取り込んでしまう。

外見は、時代の潮流に呑まれて、まるで文化が消えてしまったかのように見えるかもしれない。しかし、民族に流れるスピリッツは脈々と生きていて、DNAに刻まれた記憶は、次の世代へと受け継がれてゆく。

日本の先住民族、「縄文」も、消えたのではなく、僕たちのDNAの中に確かに生きていると思う。

そして、今回、台湾の原住民族を旅して、「調和」こそ、「進化」であり、「永遠」であることを、確信した。

台湾の原住民族は、16部族(※2015年現在)があり、その中のプヌン(布農)族の長老に、このことを聞いてみた。

インタビューに答えてくれた長老とご家族「我々は、キリスト教がやって来た時に、彼らの聖書をよく勉強した。キリストの神様と、ブヌン族の神様は、同じことを言っている。僕たちは、彼らと融合したまでさ。新しい文化の良いところは受け入れ、自分たちの悪い習慣は正す。これが進化ではないだろうか。僕たちは、今ではキリスト教徒が多いけれど、自分たちの伝統文化を放棄した訳ではない。むしろ今でも大切に守り、次に伝えられるのは、時代の流れを受け入れ、融合することを知っているからさ」

僕は鳥肌が総立ちした。

響き第5章台湾原住民族編のテーマである「調和」、それにいきなり迫るインタビューになったのだ。

ブヌン族は、日々、祈る。どのような場面でも祈る。その「カタチ」が、「キリスト教」に変わっただけなのだ。

もしかしてこの先の1000年後、キリスト教が去り、新たな巨大文明がやって来ては、自分たちの宗教を迫るかもしれない。

しかし、台湾の原住民族は、戦わずして、どのような大きな文明であろう、自分たちの「内側」に、それを融合するであろう。

チーム・エリス

プヌン族の長老、エリス「あなたの歩む道は、常に正しいです」

と、僕の話を聞き終えたエリスからの言葉。

「正しい」、、、このまっすぐな言葉は、実に美しい。

ともすれば、僕たちの現代社会、このような美しい言葉に埃がかぶってないだろうか?

愛、勇気、希望、、、美しい言葉たち。

これらの言葉にかぶった埃は、己の心なり。

エリスが紡ぐひとつひとつの言葉は、まっすぐに美しく、聞く人の魂を優しく包み込む。

台湾原住民族文化産業発展協会 理事長、台北多元文化芸術院院長。プヌン族の美しき長老、エリス。

エリスとの出会いは、もはや響きにとって必然だったのだろう。

「私が声をかけるとみんな手伝ってくれるのよ」

と、微笑むエリス。その通りの旅となった。

また、エリスが率いる一同、「チーム・エリス」

大学の教授に、デザイナーに、コンセプターに、台湾の各分野の第一線で活躍しているスペシャリストたちが、響きの旅を支えた。

この幸運は、神様の導きであり、響きがこの時代に必要なメッセージを運ぶ、その信念をより厚いものにした。

以下、ディレクターズ・ノートより、エリスとの出会いを抜粋。

=======================

【ディレクターズ・ノート:正しい道】 現地時間 2015.8.27 6:00

エリス昨日の出来事は、響きに起きて来る奇跡が、偶然ではなく、必然である確かな証となった。

真のアジェンダ・レスがもたらす世界は、もしかしたらこの次元を超越しているのかもしれない。

台湾に着いて、二日。
この世界では、たったの二日だけれど、響きの時間は無限の中にあるのだろう。

台湾に着いてからすぐに、大学へ駆けつけた時は、約束の李先生はお帰りになられて、いらっしゃらなかった。
しかし、大学の職員室で粘り、なんとか連絡が取れて、昨日の朝の10時に再アポイント。

今思えば、これが奇跡のはじまりだったのかもしれない。

待ち合わせの研究室に行ったら、李先生お一人と思いきゃ、他に二人いらした。

そして、若い方から、いきなり日本語で話しかけられて、びっくりした。

初の中国語圏。李先生にお会いしても、コミュニケーションに苦労するだろうなと思っていた。

しかし、僕もこれまで旅し、魂と魂のコミュニケーションを交わして来た。
きっと今回も、神様の御加護の元、導かれるだろうと信じ、お祈りし、覚悟を決めて、李先生の研究室に足を踏み入れたのだ。

日本語を話す若い彼女の名前は、ブランディー。

ブランディーは、日本に留学経験のある方で、日本語がとても堪能だった。
想定外の展開にいきなり、感動した。

あぁ、神様の計らいは完璧過ぎる。

李先生と自己紹介を交わし、事情を聴くと、僕が通訳も携わらないで来るので心配になって、通訳をお願いしたようだ。

そして、やや後ろに控えめに立っていらっしゃる女性に僕は目が奪われた。

どこまでも透明なまなざし。そして、立ち姿。僕をまっすぐに見据えていらっしゃる。

台湾の原住民族の方であるとすぐに分かった。

世界の先住民族が持っている独特の雰囲気。凛としていて、そこからまるで風が吹いて来る。
それを感じた。

彼女の名前は、エリス。

そして、名刺を交換してさらに驚いた。

エリスさんは、ブヌン族の方で、台湾原住民族文化産業発展協会 理事長、台北多元文化芸術院院長でもいらっしゃる。

あとで、えみちゃんに聞いたら、台湾でとても有名な方だそうだ。
ちなみに、李先生は、エリスさんの秘書長でいらっしゃる。

4人が席に付いて、魂のミーティングがはじまった。

僕は相手が誰であろう、これまでのように、響きの情熱を熱く語った。
そして、エリスさんも熱心に聞いて下さる。

この空間は、もしかしたら別次元ではないだろうかというくらい、力に満ちていて、美しく感じた。
エリスさんもどんどん熱くなって来て、部族に伝わるストーリーも教えて下さった。
ラブリーな、とてもラブリーな時間が心地よく過ぎてゆく。

そして、エリスさん、

「としと私は、すべてにおいて、多くが重なっている。あなたのこと、全面的に協力させて頂きます」

僕は嬉しくて、とにかく、この感謝の気持ちをどうお伝えすれば良いのか途方に暮れた。

エリスさんと僕が交わした話しは、僕がいつも講演会などでお伝えしていること。
エリスさんも同じものを別の立ち位置からお話しされている。
それらが重なるということは、二人は、「普遍」という軸を元に話しているからだと思う。

そして、エリスさんがこう僕に質問した。

チーム・エリス、一同と一緒に「あなたは、どうやって私たちに出会えたの?」

その質問の意図を少し考えてから、こうお答えした。

「多くの方々の支えと導きがありました。神様の良き計らいです」

すると、エリスさん、ぱっと微笑んで、

「あなたの歩む道は、常に正しい。正しい道です」

僕は思わず涙ぐんだ。ここまで分かって頂いたことに深く感謝。神様の導きに感謝。

「私が声をかけるとみんな手伝ってくれるのよ」

と、微笑むエリスさん。

ミーティングの終わりに、資料をいくつもプレゼント頂いたが、至るところにエリスさんがいて、踊っているエリスさん、民族衣装を身に纏って、毅然と微笑んでいるエリスさん。

実に美しい。

エリスさんの言う通り、響きは、「正しい道」を歩んでいるのだろう。祈りと共に、、、。

台湾の原住民族

台湾の原住民族は、言語や文化の異なる複数の民族から構成されており、現在、行政院原住民族委員会によって、16民族が認定されている。

台湾の全人口の約2.1パーセント。

響き第5章台湾の原住民族編では、16民族のうち、ルカイ族、パイワン族、プヌン族、アミ族、タイヤル族の、5つの民族を取材した。

各民族に先祖代々から伝わる叡智は、シンプルな言葉にシンボライズされている。

以下、取材した各民族の叡智。

(※台湾の16の原住民族については、「撮影前のプラン」をご参照ください)

----------------------------------------------------------

ルカイ Rukai (魯凱族)

ルカイ族の主食、「アワ」

中央山脈南部の霧台地区、屏東県、高雄県に約15000人が分布している。
パイワン族と類似した貴族制度を有し、会所制度を有す父系社会である。独自の言語のルカイ語を有す。
畑作を中心とした農耕を行うが、畑は住居よりやや離れたところにある。これは他部族との交戦やトラブルをさけるため。
住居は層状にはがれる鉄兵石を使った、石造竪穴式住居。

昔はツァリセン族(Tsarisen、澤利先族)とも呼ばれた。「ツァリセン」とは「山の人」を意味する呼称である。

ルカイ族の王様叡智は、「共有」

ルカイ族は、その年に、もっとも「分け合った者」に勇者の証の冠を与える。若者たちは、この冠が欲しくて、我こそと競い合う。

これを彼らは「ゆり精神」と呼ぶ。「共有」こそ、もっとも美しい行いとされる。

響きは、ルカイ族の王様にインタビュー出来た。

エリスは、各民族の特徴をひと言で言い表すことが出来ると言う。

ルカイ族の特徴は、「思いやり」

 

----------------------------------------------------------

パイワン Paiwan(排湾族)

パイワン族の代表的な伝統工芸、「瑠璃玉」

台湾南部に住むインドネシア語系に属する原住民族。
広義にパイワン族と呼ばれるものには、北部より山地のルカイ族と北東部より平地のプユマ族とが含まれ、南部山地に分布するのが狭義のパイワン本族で、
その北西部を除けば自らパイワンと称する。

粟の栽培が儀礼的にも重視されるが、タロイモの畑地栽培も盛んである。

六年祭(五年後祭)
人神盟約祭で降臨した神が5年後に神界に戻ったのち、一部の精霊がなおも地上に留まり、6年目に神界に戻るという伝承にしたがって執り行われる祭り。

瑠璃玉伝承者の大先生と一緒に叡智は、「責任」

パイワン族は、「同心団責任制度」という身分制度を持っていて、それぞれの立場における役割を全うすることを、もっとも尊い行いとされる。

大きく分けて、「頭目」、「貴族」、「士家」、「農民」

ともすれば、西洋的な価値観でこれを見ると、差別的な身分制度のように捉えてしまうかもしれない。

しかし、彼らは、「縦軸」の「差別」ではなく、「横軸」の比較のない「身分制度」で、頭目は頭目の役割、貴族は貴族の役割、農民は農民の役割と、「等身大」に生きることを先祖代々から伝えている。

日本も江戸時代までは、主人がいれば、番頭がいたり、それぞれの役割を生きていた。

僕たち、アジアは、西洋的な価値観の「差別」より、「等身大」に生きることを長くやって来ている。誰もが「社長」にならなくてもいいと思うのだ。

「責任」という言葉の響きが、美しい。

パイワン族の特徴は、「芸術」

土器、瑠璃玉の制作など、芸術性の高い民族である。

----------------------------------------------------------

ブヌン Bunun(布農族)

プヌン族の長老たちと一緒に

南投県信義郷、仁愛郷、花蓮県卓渓郷、万栄郷の山岳部を中心にその他高雄市桃源区、ナマシャ区、台東県海端郷、延平郷などにも分布している。
人口は約5万人。独自のブヌン語を有する。ブヌンとはブヌン語で人を意味する言葉である。

社会組織は、長老制度による父系氏族大家族社会で、長老者会議各家族の長老たちが集まり村の政策決定を行なう。
民族意識が強く、民族の固有言語を保っている数少ない台湾原住民族である。主に中央山脈の両側に住み、典型的な高山民族といえる。

叡智は、「礼儀」

プヌン族は、礼儀をとても重んじる民族。礼儀は心の平安をもたらすとされる。

「パシブブ」という倍音、八部和音唱法の歌を持つことでも知られている。

これは、「小米(粟)の豊作を祈る歌」で、雨乞い儀式でもある。

プヌン族の特徴は、「静けさ」

彼らが住む村は、威厳に溢れていて、静かに時間が流れてゆく。

「パシブブ」の様子を、ディレクターズ・ノートより。

=======================

【ディレクターズ・ノート:神の声、八部合音(パシププ)】 現地時間 2015 9.8 12:00

昨晩、タイヤル族の里、宜蘭県大同郷に着いた。
ブヌンの里、花蓮県卓渓郷から、ここまでの道のり、約5時間。

そのうち海岸線の道は、2時間に及ぶヘアピンカーブの連続。
ドリフト屋にとっては堪らないコースだろう。

いろんな国々で運転しているが、これほどのカーブの連続は初めてだ。

しかも、道幅は狭く、地元のドライバーは、対向車線から車が来ようが、突っ込んでは追い越してゆく。
おかげさまで、睡魔もぶっ飛んで、ある意味、安全にここまで辿り着いた。

どこかで一日、オフ日を設けて、身体を休ませたい。でも、きっと帰国までに一気に駆け抜けるだろうなと覚悟はしている。

プヌン族の長老による、「パシププ」車を運転しながら、この日の午前中に撮影した、ブヌンの八部合音が、身体中にまだ鳴り響いていた。

それは、残響でもなく、音の記憶でもない。

僕は今も、紛れもなく、八部合音の中にいる。

神々の声を聞いた。

ひとりひとりの音が重なり、倍音を作り出す。

それが、風に乗って天まで昇ってゆく。

太陽までもが歌い出した。

雲も、木と木も、遠くの田んぼも、すべてを巻き込みながら、静かに、そして、偉大に、それは、世界に響き渡った。

しかも、響きに記録したのは、ブヌンの長老たちによる、八部合音。
なんという迫力。

人は偉大なり。
その偉大さは、自然への畏れと謙虚さであろう。

----------------------------------------------------------

アミ Amis(阿美族)

アミ族が最初に上陸したとされる伝説の場所

アミ族は、台湾の原住民族の中で最大の人口。その数、約18万7000人(台湾の人口は約2300万人)
台湾原住民の総人口の35%を占めている。

主に花蓮、台東の縱谷平原および東海岸に分布していて、「平地原住民」に分類される。

今のアミ族は沢山の異族人と融合し、包容性の高い、外来文化、他族を受け入れやすい民族ということも特徴である。

日本と同じような祖先崇拝があり、多神教。
彼らは「kawas(カワス)」を中心とする固有の宗教を持っている。カワスとは、「すべての存在」という意味。

アミ族の多くがキリスト教徒になった今でも、生活にうまく溶け込んでいる。

アミ族の村長と頭目(右から順に)叡智は、「団結」

アミ族は、「年齢階級制度」という、年功序列の社会組織で成り立っている。

伝統的なアミ族は典型的な母系社会だが、全ての公の物事と重要な祭典は全て男性が中心になって行われる。

また、男性の年齢によって階級があり、厳密な集落組織が形成されている。

礼儀を遵守する民族でもある彼らの年齢階級組織は非常に厳格。

長老が高い地位にあり、絶対的な権威をもっている。

長老たちの会議には否決権があり、年齢階級の法則を一貫している。また、礼儀の訓練も年齢階級教育において最重要課題のひとつとなっている。

これも、ともすれば、西洋的な価値観で見たら、パイワン族の「責任制度」と同じく、年齢による差別的な制度のように見られるかも知れない。

しかし、取材を進めるにつれて、これは、年齢相応に、その中で、人々がのびのびと活躍できることを「許す」ものであることが分かった。

「失敗しても大丈夫」、その安心を保証する制度であるとも言える。素晴らしい「制度」に出会った。

アミ族の特徴は、「祭り」

とにかく、歌と踊りが大好きな民族である。

ディレクターズ・ノートより、年齢階級制度について。

=======================

【ディレクターズ・ノート:永遠の少年、年齢階級制度】 現地時間 2015 9.7 08:00

制度とは何か?

アミ族の「年齢階級制度」に触れて、僕は「制度」の真の役割を心底、理解した。

それは、「人」を助けるもの。「人」を生き生きさせるもの。

これまでの価値観が根っこから引き抜かれた思いだ。

人類は遥か昔から、「制度」、つまりルールを作って来た。
きっと人類の最初の頃のルールは、とてもシンプルだったに違いない。

しかし、何か不憫なことが起きる度に、それを補うべく新しいルールを作って、正して来た。
人類は、それを長い年月をかけて重ね、世界は「ルール」だらけになった。

国と国。人と人。
本来は、人を助けるはずのルールが、人々を争わせるまでに。

アミ族のそれは、「制度」の真の役割を僕たちに教えてくれる。

ともすれば、「年齢階級制度」は、年功序列のような古くて硬いイメージがあるかもしれない。

しかし、そうじゃない。

これは、人を輝かせるエンジンだ。

アミ族は、年齢ごとに区切り、成長の度合いによって、ゆっくり社会に参加させる。

日本にも年相応という言葉があるが、人生の階段を、一段ずつ、確かに踏んでゆく為の、アミ族に先祖代々伝わる「知恵」なのだ。

社会を勉強するにも、参加するにも、無理がない。
それぞれの階級の中で、アミ族の人々は、のびのびとやっている。

「等身大」に生きること、あるがままに生きることを教えている。

昨日は、朝の10時に出発。

アミ族の漁に行くと思っていたら、村長に連れられたところは、、、

森を掻き分けて入って行った、急に開けた場所。

「トムソーヤーの小屋」という表現がもっともしっくり来るだろう。

その小屋に、「永遠の少年たち」が火を囲んで、佇んでいた。

村長の年齢階級の仲間たち「チーム・村長」

村長の年齢階級の仲間たちだ。

話しを聞くと、41歳以上の、年齢階級の中でも、一番上にいる人たち。
とにかく、「永遠の少年」という言葉がぴったりの楽しい、楽しい時間が流れた。

その様子を響きキャメラに記録。
最高のシーンが撮れた。

そして、とても重要なことを話しあった。

「来年の豊年祭に、としを正式に招待し、アミ族の名前を、君に授ける儀式をその中で行いたい」

「また、としを僕らのチーム(年齢階級)に迎え、豊年祭の準備も一緒にやりたい。8月10日から準備が始まって、14日が豊年祭。としはもちろん、準備からすべてを撮影しても良い。但し、名前を授ける儀式や、としにも一緒に踊ってもらうので、それは僕らが撮影する」

僕は突然の申し出に、そして、その内容に言葉を失った。
深い感動がじわっと込み上がって来て、喜びが爆発しそう。

「そして、もう一つ、としに相談したい。今回のアミ族の踊りと歌は、来年の豊年祭を撮影してくれないか。僕たちは、ホンモノをとしに見てもらいたい」

村長が真剣なまなざしで僕を見つめながら言う。
僕の目も大きく見開いて来て、村長のまなざしと重なって来るのを感じた。

少しだけ考えて、はい、是非そうさせて下さい。とお答えし、iPhoneのスケジュール帳に、豊年祭の一週間を抑えた。
村長の心からの言葉が、僕を強く響かせた。

逆の立場だったら、よく分かる。
心の通いはじめた友人に、自分たちのベストを知ってもらいたい。僕でもそうする。

村長と僕は硬い約束を交わした。
来年の8月はどうなっているか分からないが、一週間なら、台湾に来られるだろう。

ということで、来年のアミ族の豊年祭は、村の全面協力体制で、準備から密着することになった。

それから、村長と僕は、「永遠の少年たち」を、トムソーヤー小屋に置いて、網漁をする為に、別の仲間と川に向かった。

----------------------------------------------------------

タイヤル Atayal(泰雅族)

タイヤル族の古い歌を唱う伝承者

台湾原住民の中でも2番目に多い8万5000人の人口規模を持つ民族集団。居住地域は台湾の北部から中部にかけての脊梁山脈地域である。
タイヤル語は固有に文字を持たないため、その表記にはカタカナやローマ字を用いる。日常的にはタイヤル語、北京語、日本語が混用される。

口承伝承に基づくアニミズムがあり、樹木や岩石などが現在でも神格化されている。
日本統治時代の皇民化教育では神道が布教されたが、現在では鳥居や石灯籠など神社の遺構が残されている程度。信者はほとんどいない。

伝統的には焼畑農業と狩猟によって自給自足的に生計を立てていたが、日本統治時代以降、近代的な農業生産方式の普及が進んだ。
ただ、タイヤル族の居住地域はほとんどが急峻な山岳地域であり、水稲栽培など平地向けの農業は不向きである。
そのため現在では果実、茶、ビンロウなど商品作物の栽培が広く普及している。

タイヤル族の長老叡智は、「Ga Ga」

「Ga Ga」は、「祖先教訓」という意味。キリスト教で言う「十戒」にあたる。

タイヤル族は、「規律」をとても重んじる民族。日本の統治時代、最後まで山から下りることを拒んだ民族でもある。

日本で、いわゆる「高砂族」と呼ばれたのは、タイヤル族のことである。

強い精神力と個性を持って、大自然と共存して来た。台湾の原住民族の中でも、1万年以上の歴史を持った太古からの人々。

「Ga Ga」は、彼らのすべてにおいて、絶対的な教えである。

タイヤル族の特徴は、「パーソナリティ」

ひとりひとりの個性を大切にする、気高き民族である。

原住民族委員会 行政院 局長 王慧玲
原住民族ダンサーたちと一緒に

響き第5章台湾の原住民族編の旅で、エリスの他に、キーパーソンになったのが、アミ族出身で、原住民族委員会 行政院 局長 王慧玲さんだ。

台湾の南部の都、屏東(ピントン)市。観光地でも有名な、「三地門郷」に、原住民族の村があり、そこのトップにいるのが、彼女である。

僕のインタビューに、涙を流す王さんの姿は、一生忘れられないだろう。

その涙には、原住民族を愛する彼女の熱い思いがあった。

響きとしては、いきなり台湾原住民族のトップにご縁を頂いて、それだけでも信じられないくらいの奇跡であったが、これで終わらなかった。

王さんの取材を終え、僕はさらに旅を続ける。

日本に帰国が間近となったある日、台北市内で行われた、都市部に住んでいる原住民族のお祭りを取材している時、偶然にも、王さんに再会したのだ。

その意味は大きい。

以下、ディレクターズ・ノートより、王さんのインタビューと、それから一ヶ月後の帰国間近の偶然の再会の記録から抜粋。

=======================

【ディレクターズ・ノート:人情】 現地時間 2015 8.31 8:30

原住民族委員会 行政院 局長 王慧玲「言葉」って、変化してゆく。

それは、「言葉」自体が変わるのではなく、「自分」が変わるからだと思う。

例えば、僕が二十歳前後に使っていた「愛」と、今の「愛」とは、もはや別物と言ってもいいだろう。

台湾に来て、一体僕に何が起きているのだろうか。
一昨日はノートを書く体力をも無くして、気を失うように眠った。

そして、昨日の撮影をもって、台湾南部の屏東(ピントン)から離れ、今日から東部の花蓮(ファーレン)に行く。
この二日間の取材をノートに書こうとすると、途方に暮れる。

どうして、これを可能にするのか、、、

やっと言葉が見つかった。

それは、「人情」

前述の「愛」と同じく、今の僕にとって、「人情」とは、人と人のつながりをもっとも正確に言い表すものになった。

「言葉」に対して、とても素直になってゆく。

「素直さ」は、感謝につながり、「たった一つ」の自分に出会える、もっとも大切な道ではないだろうか。

さて、一気に取材を記録しよう。

29日の朝、ボランティアで通訳をして下さる「鄭さん」と合流。この日は、石先生ご夫妻は別の用事で来られない為、鄭さんと二人。

原住民族委員会行政院から、案内係に若いスタッフを付けて下さった。
この方もとてもプリティーな人で、キャメラの三脚を終始持って下さるなど、僕のアシスタントも担って下さった。

それから、一同、台湾原住民族のダンスパフォーマンスを撮影。

圧巻。DNAが震えた。

殊に、台湾の離島にいる「タウ族」の男性の踊りは、躍動感溢れるもので、鳥肌が立ちっぱなし。
日本のフンドシのようなものを付けて踊る。

これも、行政院の全面協力の元に行われた。

響きのキャメラに原住民族の踊りが記録されてゆく。

「やっぱり」と、自分自身も思ったが、僕も原住民族ダンスにデビュー。ステップを教えて頂いて、一緒に踊った。
これがとても楽しいので、日本に帰ったらみんなに教えたい。

そして、観客が誰もいなくなった後に、ダンサーの方々に、一言ずつコメントを頂いたあと、リーダーにインタビュー。

みんなプロのダンサーではないけれど、原住民族の踊りの継承の担い手として、誇りを持って取り組んでいると言う。

照明や音響付き劇場で行われるが、このように現代の潮流の中で、逞しく自分たちの伝統文化を守り、次世代に伝えて行こうとする情熱に、学ぶものは多い。

ちなみに、今回の取材は、その時々に同行される方々が、僕をとにかく撮って下さるので、これだけ写真が残るのは初めてだ。感謝。

インタビュー後の王局長それから、原住民族委員会の行政院、局長の王さんのインタビュー。

一時間に及ぶものになった。

王さん、インタビュー中に涙を流す。

王さんの深い思いに触れた。

王さんの秘書官が、インタビューが終わってから、僕に彼女の言葉を伝えて来た。

「あなたのインタビューが、王さんの大切に思っていることに触れてくれたので、感動の涙を流したのよ」

僕も、もらい涙になった。こちらこそ、深く感謝。

そして、15:30から、お祭りの開会式を撮影。

なんと、僕の頭に花飾りが載せられ、式典の中で来賓として、紹介された。感謝。

そのあとは、原住民族の料理が振る舞われ、懇親会に。

長い長い一日が終わって、部屋に戻ってから気を失った。

=======================

【ディレクターズ・ノート:神様の計らい】 現地時間 2015 9.14 09:30

響き第5章台湾原住民族編も、残り風景となり、油断していた。

昨晩に起きた出来事は、あまりにも想定外過ぎた。

「奇跡」を超えた世界に僕はいる。その確かな感覚を、いつの間にか持ちはじめている。

それとは、、、

「ただありのままにいられることへの喜びと感謝」

この世界は何ひとつ特別なことはない。ものごとは起こるべきして起こる。それを100パーセント受け入れた時に、体感する世界、、、奇跡を超えた世界、、、無限に広がる喜びと感謝の気持ちだけの、シンプルな世界。

僕は、そこにいる。

その世界で起きる神様の計らいは、あまりにも完璧な上、いつもながら鮮やかに決めて下さる。

都市部原住民族のお祭り昨晩、僕はチーム・エリス一同と一緒に「都市原住民」と言われる人たちの伝統芸能のステージを見に行った。

彼らは、アミ族。

演目の中に、光福で取材したアミのタバラン部族がいたので、嬉しかった。

ふと客席を見渡したら、、、

そこになんと、

台湾南部、屏東、三地門の原住民族村の局長、王さんがいらっしゃるのではないか!?

僕のインタビューに涙を流した彼女の姿は今も鮮明に覚えている。

台湾の原住民族の社会では、挨拶にハグすることはまずない。
しかし、王さんも僕に会えたのがとても嬉しかったようで、たくさんの観衆がいたにもかかわらず、ハグを交わした。

回りにいた人たちも、僕が何者か分からずに、その喜びの波長に飲まれて、拍手が沸き起こった。

原住民族村でインタビューした王さんが、今、ここ、台北の「都市部原住民」の、お祭りにいる。

二つのストーリィが、交差した。

これは、ドキュメンタリーとして、大きい。

三地門の取材と、都市部原住民の取材が、王さんによって、つながったのだ。

神様が、仕込んで下さった。

地元メディアもいる中、僕は来賓扱いで、客席の最前列でキャメラを回すことが出来たうえ、始まる前の楽屋にもお邪魔して、これから本番というエキサイティングなシーンも撮れた。

なぜか、彼らと出会ったその瞬間から、あまりにも普通の友だちで、撮影しているのか身内話しているのか、自分でもよく分からなかった。

本番の終わりに、都市部原住民にインタビュー出来ることになったが、通訳がいないので、どうなるだろうと思っていたら、なんと、エリスさんが、聞きたいことを、僕の代わりにインタビューして下さった。

阿里山
祝山のご来光。雲海。

【ディレクターズ・ノート:始まりの太陽】 現地時間 2015 9.18 14:00

世界は、このように始まったのではないだろうか。

素晴らしさを超えて、完璧。

阿里山國家森林遊楽區。祝山のご来光。

雲海の向こうから昇って来る太陽は、偉大だった。

僕は今、阿里山にいる。

太陽を、台湾語では、「タイヤン」と言う。
タイヤンという響きが、とても気に入った。

昨日は、台湾に最初に着いて、ファーストカットを導いて下さった、石先生ご夫妻と、ボランティアで通訳を担って下さった鄭さんと、屏東(ピントン)で、再会を果たした。

ルカイ族の古い集落を撮る為には、山の頂上付近まで行かなければならないが、今年の台風で道が土砂崩れのオフロード状態。
僕のレンタカーでは、集落に近づくことが出来ず、頂上近くの目の前にして断念。

しかし、一同は、喜びの笑顔に満ちていた。

みんなで再会することのほうが本当の目的のように感じた。

お昼、小籠包を食べながら、再び会うことを約束し、それぞれの道に帰っていった。

鄭さんの夢は、ゲストハウス。

「台湾は、、、台北、小籠包、夜市だけではありません。豊かな自然もたくさんあり、人情深く、それを日本のみんなに知ってもらいたいのです。そのようなコミュニティーハウスを作りたい」

と、熱く語る鄭さん。

僕もその通りだと思う。

不夜城
千と千尋の神隠しの舞台となった油屋が並ぶ、チョウフン

【ディレクターズ・ノート:不夜城】 現地時間 2015 9.20 09:00

眠らぬ街、台湾。

「不夜城」という言葉がぴったりだ。
それは、夜に限らず、台湾の人々のバイタリティーを言い表す。

今の日本がどこかで置き忘れて来たものをここで見る。

みんな、一生懸命に生きている。

道路を走れば、工事の旗を振るお母さん。この暑いなか、その傍では、ツルハシで路面を一生懸命に掘っている顔が日焼けで真っ黒なお父さん。
道を待っている間、よく観察すると、ふとした瞬間に笑顔を浮かべて、何やら真剣に話している。

朝、街を歩くと、あっちこっちの店(台湾では、朝食を屋台で食べるのが普通)で、熱弁を振るう人たち。まるでみんな、舞台役者のようだ。

人が困っていたら、見て見ぬ振りはしない。
お節介、おばあちゃん、おじいちゃんが、すぐに飛んで来て声をかけて下さる。

現代は、社会が大きくなり過ぎて、いろんな歪みが起きていると思う。

小さなコミュニティーの創出が新しい時代の鍵を握っていると思う。
それらが、お互いを尊重し合い、それこそ、ITなどのハイテクでつながれば良い。

ただし、「マニア」になってはならない。

自分たちの世界に没頭し過ぎると、「他」を認めなくなり、「気づかぬ傲慢」に陥入る。
そして、「自分たちと違う人」を非難し、「排除」しようとする。

それだと、どんなに優れたものでも、意味がない。

大切なのは、「他を認める」、「受け入れる」こと。

人間には、「抱擁力」がある。

いちいち、怒りに落ちるではない。「相手」と同じことを、同じ土俵に立って、違う視点でやっているだけである。

今いる世界から、全く新しい価値観にジャンプ、ジャンプして物事を考え、自分が今、出来る行動を起こすのだ。

この「全く新しい価値観」は、作るのではなく、僕たちの「内側」を探求すると、「必ず」出会うもの。
みんなが、しっくり来る世界。

僕たちのDNAに、それは刻まれている。

先住民族の旅をして思うのは、彼らがどうして今も、何千、何万年の伝統文化を、今に受け継いでいるか、その理由のひとつに、このような「価値観」があると言える。

それは、「調和」するセンス。

ともすれば、何がなんでも固気に伝統文化を守ろうとして、滅びた文明は数知れない。

それは、諍いを生み、戦争にまで発展する。

今に生きている先住民族は、「変わるもの」と「変わらないもの」を、とてもよく知っている。
先祖代々からの知恵から学んでいるのだ。

「マニア」になり過ぎると、世界は滅びに向かうのだ。

なにごとも、ほどほどに。
エネルギーは、内側に向かうのではなく、外側に、空に向かってパッと開くものだ。

それが、人類が大自然に抱かれながら生きる謙虚なあり方だと思う。

そして、それを可能にする素は、「愛と許し」

今回のテーマは、「調和」

まさにその通りの旅になった。

台湾は日本の統治時代を、半世紀(約50年)も過ごした。

確かに台湾は、親日が多いが、だからと言って僕たちは傲るではない。

彼らは、先に愛をもって許し、そして、それは感謝にまでつながっている。

「日本人がやって来て、いろんなことが起きた。僕たち原住民族にとっては激変の時代。僕の集落の多くが日本の兵隊に殺された。今も憎い。しかし 、それは昔の話しだ。若いあなたは、新しい世界を生きればいい。けれど、過去に何があったかを知ってほしい。しかし、感謝もしている。学校を作って教育もしてくれた。また、川に橋をかけてもくれた。山に道も作ってくれた。僕たちが今、こうしていられるのは、日本人のおかげだ。ありがとう」

と、流暢な日本語で僕のインタビューに話してくれた原住民族の長老。歳は80を過ぎている。

憎しみも、怒りもある。しかし、愛をもって許し、感謝の意まで伝えて下さった。

「許す」とは、「調和」に生きるにとても重要なセンスではないだろうか。

これが、愛、だと思う。

ドキュメンタリー映画「響き 〜RHYTHM of DNA〜」第5章台湾の原住民族編、彼らに受け継がれている先祖代々の知恵、確かに紡がせて頂いた。

HIBIKI Color 赤:太陽 黄:月 白:宇宙 これらの色を合わせて「世界」を意味する。