2013年5月17日。
ジャビルカに着いたのは夕方も近く。とにかく急いだ。
それは今日中に、イボンヌさんのオフィス「グンジェイッミ アボリジナルコーポレーション」に伺い、ファーストコンタクト、つまり挨拶を済ませておきたかった。
オーストラリアで分かったのは、各機関はだいたい5時に閉まる。今日の夕方までを逃すと明日の朝からの交渉になるのでそのロストは大きい。
車をオフィスの前に急ブレーキで停めた。
オーストラリアで撮影するには、とにかく厳しいハードルを乗り越えなければならない。撮影許可申請を出してから、パーミッションが降りるまでに何週間もかかるし、許可が降りるにも緻密な撮影計画を出さなければならない。ある意味、すべてがマスメディアが基準のルールだ。
ドキュメンタリーにも関わらず、撮る前からディレクターは自分の頭の中の世界、つまり予定調和をきめ細かく企画書に落として、その通り撮る。つまり真の冒険、真のメッセージに出会うには程遠く、想定外の出会い、別の言い方をすれば奇跡に出会うのは非常に難しい。
しかし、それはしょうがないのだ。スポンサーなどの資金が絡んで来るので、その配慮が重要視される。きめ細かい計画がどうしても「事前に」必要なのだ。また、スポンサーに不利な表現は出来ないので、メッセージのかなりのパーセンテージがコントロールされる。
ゆえに、僕のようなインディペンデントのドキュメンタリーは、そのコントロールされない「未開地」の部分をやる。
話しを戻す。つまり、マスメディアの撮影ルールを到底満たすことは、響きには出来ない。もし出来たとしても、その時点で「奇跡」との出会いは遠ざかる。もうひとつは、かなり前から撮影許可申請書を出したとしても、まず通らない。なぜなら、マスメディアが基準なのでそのハードルを超えるのはとても難しい。
響きが出来るやり方はひとつ。「ほどほど計画」して、あとは、突っ込むしかない。
メルボルンに到着してから北上する間、日本でジャビルのイボンヌさんと粘り強く交渉を続けてくださった方々がいる。彼女たちは深い愛で私たちを包み込んでは、イボンヌさんに会うんだという信念をずっと支えてくださった。深く感謝。
僕たちがちょうどジャビルカに着いた時、撮影許可証を送付し終えたという知らせが日本から届いた。
しかし、僕たちがイボンヌさんのオフィスに足を踏み入れたその時、撮影許可証はまだそこに届いてなかった。間に合うか間に合わないか、とてもスリリングな賭けだったが、不安の気持ちは一切なく、むしろ澄み切った信念のようなものが心の中にあるのに気づく。
そう、わくわく。きっと、大丈夫と、自分自身の信念と覚悟を再確認した。
出迎えてくれたスタッフが、しきりなしに「撮影許可証は?」と聞く。門前払いされるかもしれない。しかし、今、この瞬間出来ることをやろうと悟った。
それは、響きに対する信念を伝えるしかない。それしか出来ない。
その思いを今日出会ったえーちゃんがこれもまた必死に訳してくれる。
彼もそんなに英語が得意ではないが、僕と霞末さんのレベルよりは上なのは間違いない。そもそも英語が出来る出来ないのスキルで彼を選んだのではなく、彼のキャラクターが素晴らしいのでお願いしたのだ。とにかく、オフィスのスタッフが分かってくださるかどうかは、もう何も気にならなかった。必死にやった。
そして、、、僕たちの熱意にスタッフがついに折れた。
「明日、こちらから電話するからテレフォンナンバーを教えて。その時に言うけど、明日か明後日かにイボンヌさんに会えると思う」と、笑顔で言った。
奇跡が起きた!僕はもう何も願わない。ただ感謝。ありがとう。そのスタッフに感謝の気持ちでいっぱいになると同時に、この最高の瞬間をプレゼントしてくださった神様にありがとぉと心の中で叫んだ。
また、遠い日本から最後の瞬間まで諦めないで、撮影の交渉に望んでくださった彼女たちの顔が頭をよぎった。それも僕が知る限りのとびっきりの笑顔たちが今、僕の目の前に、すぐそこにいる。
明日、電話がかかって来るまでは分からないけれど、不安な気持ちは一切なく、心はとても静かだ。
深夜が過ぎる今まで、明日、電話がかかって来たらすぐにでもインタビュー出来るよう、聞く内容を紙に書き出す。奇跡を信じて。