世界の12の先住民族の物語を紡いでいく旅。ドキュメンタリー映画「響き 〜RHYTHM of DNA〜」
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DNA
12の先住民族
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ABORIGINAL:アボリジナル
CELT:ケルト民族
ALASKAN TLINGIT:アラスカクリンキット族
HOPI:ホピ族
TAIWANEE HILLTRIBE:台湾の原住民族
NATIVE HAWAIIAN:古代ハワイの先住民族
AINU:アイヌ民族
UNKNOWN:未知
Native Hawaiian 〜古代ハワイの先住民族〜
撮影手記
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「HIBIKI 第6章 〜ネイティヴ・ハワイアン〜」取材クルーの移動。ハワイ島 2015年12月26日〜2016年2月1日。※主なロケ地。
(*すべて現地時間。ハワイ島と日本の時差: -19時間)
2015.12.26   成田からハワイ島に向けて出発。
2015.12.26   ハワイ島・コナ到着。

いつもなら、何月何日に、こと細かくレポートするが、今回はそれが不可能であることに気づいた。

ネイティヴ・ハワイアンの旅、37日間で走った距離は、約6,000km。

地元の人に、どう走れば、この島でそれが出来るか不思議がられた。

ハワイ島、全島を、東西南北、行ってない場所はほとんどない。

ネイティヴ・ハワイアンの祈りを探し求めて、ただただ走った。

ハワイ島の神々に導かれるがままに走った。

この撮影手記を通して、そのストーリィを残そう。

2016.01.31   ハワイ島・コナ出発。帰国の途につく。
2016.02.01   成田・帰国。
祈りの旅
マウナケア頂上。雲海から登る2016、新年の初日の出。

響き第6章ネイティヴ・ハワイアンの旅は、これまでと明らかに違った。

12の先住民族を旅する響き、今回でちょうど折り返し時点。

峠を越える手前の坂が、一番キツイように、大きな壁が立ちはだかって来た。

それは、、、

「何も起こらない」

いつもなら、旅がはじまって一週間以内には、奇跡が起こり、一気に流れに乗る。

すべてを神様に委ねる旅、響き。

「何も起こらない」とは、旅の頓挫を意味する。

旅の残りが、2週間を切っても、一向に動く気配がなかった。

僕は覚悟した。

ハワイ島は、日本の四国の約半分の大きさ。

響き第6章ネイティヴ・ハワイアンの旅、37日間で走った距離は、約6,000qに及んだ。

朝は日の出前から一日をはじめ、深夜を回るまで、走りに走った。

ネイティヴ・ハワイアンの「祈り」を探し求めて、、、

居ても立ってもいられなかったのだろう。地元の人も驚いたこの距離が物語っている。

僕はただただ、祈り続けた。

そして、今出来ることは何かを問い、ベストを尽くした。

響き第6章ネイティヴ・ハワイアンのテーマは、「祈り」。

それをまず、汝が実践せよ、と神様が試したのだろう。

ハワイ島で走った6,000q、それは、天に届く祈りとなった。

旅の残りが十日を切って、一気に動き出す。

次から次へと起こって来る奇跡と奇跡。

今回の旅で紡ぎたかったもの以上が、神様から与えられた。

「ベストを尽くそう。それは祈りとなる」

以下、ディレクターズ・ノートより

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【ディレクターズ・ノート:響きの進化】

現地時間 2016 1.21 0:00

キラウエア。女神ペレと思うほどの夕日。真の祈りは「行動」となって、それは「希望」を生み出す。

しかし、エゴに傾く願いは、「期待」となる。

希望と期待は、全く別もの。

祈りは希望であって、期待ではない。これが祈りの本質であろう。

響き第6章ネイティヴ・ハワイアンのテーマは、「祈り」

神様は、祈りを実践せよ、それが響き第6章となろう、と僕に命じたのではないだろうか。

これまでの先住民族は、一貫して、一期一会。

出会ったその時に、すべてが決まると言っても過言ではない。

僕はこれまで、それこそ、大自然そのもの、野獣のような長老たちとまっすぐに向き合って来た。

それは、魂と魂の出会い。一瞬にして、何万年という歳月を分かち合う。

これが、響きがいきなり先住民族の奥深いところまで入って行って、彼らに先祖代々伝わる叡智を紡いで来た真髄である。

しかし、ネイティヴ・ハワイアンに、野生性の「一期一会」は、通用しなかった。

それは、Nさんはじめ、ハワイ島にいるみんなが言う、アメリカナイズされたネイティヴ社会の現状。

人が人に会うのに、シンプルではない。西洋化された手順を踏まなければ出会うことすら出来ない。

僕にしてみれば、これまでやって来たものが通用しない事態に陥ったのだ。

神様は、響きが得意とするものを封印させ、祈りなさい、祈りだけでやりなさい、と言って来たのである。

それが、第6章のテーマだろうと言わんばかり。

そして、僕は祈りに祈った。しかし、どう足掻いても祈るしか出来ない日々が続く。

願うエゴに陥らないよう、心を平安に保つことに集中した。

今出来る行動にベスト尽くしては、すぐに手放す。

神様は僕にどこまで強くなりなさいと言っておられるのか。もう良いではないか。

しかし、神様は答えて下さらない。

でも、僕は祈り人。

例え、何も得られないまま帰国になっても、それを自分の全責任で、受け入れよう。それが道なのだから、、、。

そんな日々を積み重ねたある時、ふと気づいた。

キラウエア・ボルケーノ自分自身の目を。それは、大きかった。

とても強く柔らかく遠くを見つめている。

この世界に恐れるものが何ひとつない。

あるのは、たったひとつの感覚、、、

それは、「僕は、ここにいる」

極めてシンプルな心境に到達した。

静かな喜び。そして、響きが変化した。それは進化である。

神様は待ってたよと言わんばかり、その瞬間から、すべてが一気に流れ出す。

女神ペレもその息吹で、さらに加速させる。

帰国を二週間切って、洪水のようにやって来る偶然の一致、その奇跡。

出会う人は、みんな、神様の使われ人。

風、光、香り、、、街の騒音ですら、すべてが、僕へのメッセージ。

僕は、これほどに素直な自分を未だかつて経験したことがない。

帰国までのスケジュールが一気に決まる。

響きに、もはや意味づけも必要ないだろう。

響きは、ただこの世界に、ある。

チャント
プラクティス(フラの練習)の前にも、チャントを唱える。

チャントとは、今、自分がいる「場所」とつながることで、大自然とつながり、先祖ともつながる、そのお祈り。

ネイティヴ・ハワイアンのクム(マスター)たちは、何をやるにも、まずはじめにチャントを唱える。

この世界のどこに行っても、大いなる存在とつながり、私たちは、海になることも、太陽になることも出来ると言う。

これは、ネイティヴ・ハワイアンに限らず、世界の先住民族に見られる共通点で、自分たちが「今ここに存在する」その意義を祈りに見出している。

先住民族が持つ知恵は、何千、何万年前から、今に伝えている。

「知識」は頭で理解するもの。しかし、「知恵」は、先祖が痛みを伴って学んだもの。彼らは子孫繁栄の為に、それを大切に伝えて来た。

「知恵」は、先祖の「命」そのものと言っても過言ではない。

その知恵の多くが、「口伝」というカタチを取っている。

「無文字文化」とも言うが、それはあえて「文字を使わなかった」と理解したほうが正しい。

「知恵」が「文字」になることで、それだけが残り、そして生まれた勝手な解釈により、戦争が起きたり、時の権力者に利用されて来たりした。

先住民族の先祖たちは、それをよく知っていたので、多くの知恵を「口伝」した。

確かな者から、確かな者へ。

「知恵」は時空を超えて、今に生きる先祖の命である。

ハワイアン・太鼓ネイティヴ・ハワイアンの「チャント」もそうであるが、言葉の「意味」より、その「響き」が重要である。

この宇宙は「音」ありきで始まった、と多くの先住民族の伝承にある。

彼らは、人が呼ぶ、話す、その振動に、魂が宿ると言う。

言魂だ。

ともすれば、現代社会を生きる私たちは、「言葉」の大切さを忘れてはないだろうか。

空気の有り難みが分からないように、自分が話す一言、一言に意識を向けたほうがいい。

これまでの響きの旅を通して、学んだもののひとつに、

美しい言葉を紡ごう、、、それは、自身を美しくする。

その意識こそ、祈りである。

また、美しくあることは、丁寧に生きることであり、私たちは、存在そのものが「祈り」であると思う。

祈り、そして、つながり、この世界を体験する。

ネイティヴ・ハワイアンの「チャント」とは、その「意識」ではないだろうか。

フラ
フラ

古代ハワイのポリネシアン系先住民により、古くから踊られてきた伝統民族舞踊を、「フラ」と言う。

現在、ハワイに伝わるフラには大きく分けて2つのスタイルがある。

「カヒコ」と呼ばれる古典フラと、「アウアナ」と呼ばれる現代フラ。

「カヒコ」とは、「古い」、「はるか昔の」という意味である。

文字を持たなかった古代ハワイの先住民族、ネイティヴ・ハワイアンは、オリ(祈り)、メレ(踊りを伴う歌)、フラ(踊り)という手段で、大切な意思、様々な出来事を伝えて来た。

この古代フラの流れを受け継いだのが、古典フラ「カヒコ」である。

響き第6章ネイティヴ・ハワイアンでは、「カヒコ」を取材した。

カヒコは、神聖な宗教儀式に奉納されるものであった。

自然や神様への賞賛、心の祈り、神話や伝説など歴史の継承という重要な役割をも、踊りによって伝えている。

カヒコはメロディアスな音楽ではなく、チャント(詠唱)や太鼓の音とともに踊られる。

その踊りはチャントの内容を体験する。

それぞれの手の動きが虹や雨、花、風に揺れるヤシの木、波の動きなどを意味し、踊り自体が一つの物語を構成しており、すべての動きに意味を持つ。

メレ(踊りを伴う歌)の楽器は、サメの皮でできたドラムをたたいたり、ひょうたんを叩いたりする。

ネイティヴ・ハワイアンは、こうして古来ハワイの文化や生活様式などの歴史を、チャントやカヒコに記録し、後世に伝えている。

カヒコは、ネイティヴ・ハワイアンのスピリッツ、そのもの。

まさに踊りは祈りであり、大切な口伝なのである。

『フラは心の言葉であり、ハワイアンの鼓動である』  デイヴィッド・カラカウア王

カナカオレ
クム・ケクヒとクム・マナイ

古典フラ、カヒコと言えば、「カナカオレ」。

と、誰もが口を揃えて言う。

響きは、カナカオレ・ファミリーの、クム・ケクヒと、クム・マナイを取材した。

「カナカオレ」は、ボルケーノ・キラウエアにいるとされる女神ペレの、代表的な子孫。

彼らは、女神ペレに自分たちを紹介する為にチャントを唱える。

このようにして、カナカオレは、伝統を次の世代に継承して来た。

「人も、自然の一部である。その要素である。それを伝えるのがカヒコ。なので、私たちネイティヴ・ハワイアンの伝統的な名前には、自然とのつながりが現れている。例えば、雷だったり、噴火だったり、その人が生まれた時の自然現象が名前に入っているのだ」

と、クム・マナイ。

このようにネイティヴ・ハワイアンは、自然とのつながりをとても大切にする。

「なので、フラは口伝のカタチ。カヒコは大自然そのものを表している。例えば、火山の爆発を踊りで表現することで、私たち自身が、火山にもなれる、そのものになれるのだ。それがフラ。人が自然そのものになれる」

と、クム・ケクヒ。

フラは祈り。フラの時は、神々に祈りをきちんと伝えることにすべてを集中する。なので、フラをひとつ、ひとつ、丁寧に、毎日繰り返し行い、積み重ねることが大切。そして、それが次の世代への継承となる。

また、フラを踊るとは、先祖とひとつになり、大自然の一部になる、その「意図」をはっきり持つことでもある。

ひとつになることは、美しい。

と、彼らは続いた。

ネイティヴ・ハワイアンは、次の世代に「伝える」ことを、常に意識して生きている。

それが、フラ。

以下、ディレクターズ・ノートより

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【ディレクターズ・ノート:カヒコ、それは祈り】

現地時間 2016 1.18 10:30

今日も日の出からはじめる。

マウナケアが日の出に染まってゆく。ゆっくりと淡いピンク色に染まってゆくマウナケアが、朝の潮の香りと共に、僕の心に優しく染み込んで来る。

今、この瞬間、岩場にすっと立っている自分を、魂が認識している。
とても柔らかい気持ち。

そして、世界にこの色とこの香りを届けたい。きっとみんな癒される。

昨日起きた奇跡も、舞う風となって、世界のひとりひとりに届き、喜びの毎日を生きるエネルギーとなりますように。

カナカオレの本気。その威厳を見た。

クム・ケクヒと、クム・マナイのインタビュー。

時空を超えて、今に蘇るカナカオレの物語。

DNAの力を目の当たりにした。

出会うまでは、遠い道のりだったけれど、いったんインタビューが始まったら、空気までもが唸り出した。

それはまるで、前世、いやもっともっと前からの長い歳月が流れての再会を喜び合うような、離ればなれになった時間をとにかく埋めるような、世界のあらゆるものが凝縮された「場」となった。

クム・ケクヒインタビューも終盤に差し掛かった時、

「踊りは祈りだと思います。ケクヒさんはどう思われますか?」

と、聞いたら、

「Yes ! Dancing is praying.」

だけを、強くまっすぐ、優しく返し、これがすべてよと、微笑んだ。

このケクヒのシンプルな言葉を聞く為に、響き第6章の旅はあったと言っても過言ではない。

ご縁をつないで下さったRさんの、同時通訳が、場のリズムを止めることなく、むしろ加速させた。

ケクヒ、マナイ、Rさん、そして僕。

一同は、ひとつの存在となって、先祖から伝わる叡智、その祈りの世界を、響きキャメラに記録させた。

インタビューの前に、チャントを唱えるケクヒとマナイ。

神々に許しを乞い、先祖をこの場に降ろし、ここにいるひとりひとりに大自然のエネルギーを宿らせる。

チャントには、地名、、、山や川などの名前が入っている。

その名を呼ぶことで、神々のエネルギーが、ここに宿るのだ。

言魂。

「このチャントによって、あなたが撮る映像にも、神々が宿るのよ。なので、映像を通して見るひとりひとりにも、大自然のエネルギーが与えられるわ」

まさに、僕が新しい時代の映像の役割と思っていたこと、響きの映像がやりたいことを、ケクヒがズバリ言ったのだ。

僕は響きを撮る時、祈る。風景を撮る時も、人を撮る時も。

映像は光の集合体。その波長に祈りを込めて、見るひとりひとりに愛のエネルギーを届けるのだ。

この他にも、あまりにも多くの共通点があって、またこれまで旅して来た先住民族が言っていることと、同じことを、ネイティヴ・ハワイアンの立ち位置から、カナカオレは語るのだ。

これは、「普遍」である。

人類は、同じ山を違う登山道で登っているに過ぎない。

それぞれの登山道は、「役割」とも言えよう。

しかし、同じ山の頂上に登った時、人類は同じ景色を見るだろう。

それは、愛。

予定していた時間を遥かにオーバーして、3時間以上のロングインタビューになった。

クム・マナイ最後のほうは、ケクヒとマナイが、自らカヒコを歌い踊っても下さった。

僕は時間が気になり、迷惑をかけまいと、質問を切り上げようとしたら、ケクヒとマナイのほうから逆に、もっと話ししたいと言って下さった。

今回のインタビュー、、、日本に帰って、みなさまがご用意下さっているいくつかの講演会、その中で全部お伝え出来るかどうか、もうすでに自信がない。

響きという「視線」が、カナカオレの奥深いところにあるスピリッツを、この世界に引っ張り出したと思う。

出会うまでは、忙しいという口実だったけれど、それもハワイ島の神々の洗礼だったのだろうと思う。

そして、今、僕は女神ペレに愛された。それを肌で感じる。

ノートで、カナカオレから学んだことを綴るのは、もはや不可能。

帰国したら、僕の言葉を通して、女神ペレが子孫のカナカオレを使い、伝えて来たメッセージをみなさまにお話しようと思う。

それらはすべて、響きのキャメラに記録された。

神々のエネルギーが宿る映像として、、、。

カヒコ、それは祈り。

ケクヒの言葉、「Yes ! Dancing is praying.」が、今も僕の耳で鳴り響いている。

その言魂は、永遠なり。

クム・ケアラ・チン
クム・ケアラ・チン

クム・ケアラに、はじめて会った時、彼の声の美しさに心を奪われた。

シークレットなクレンジング・セレモニーを撮影させて頂いたり、子供たちにフラを教えるお稽古も撮影、クム・ケアラが主催するフラのフェスティバルも取材した。

気がつけば、ハワイ島にいる間、多くの時間をかけて、クム・ケアラに密着していた。

天使のような優しいボイス。

未来の子どもたちを見つめる暖かいまなざし。

クム・ケアラの溢れる愛に包まれながらの取材になった。

「フラは、過去とのつながり、未来とのつながり、自然とのつながり、家族とのつながり、祖先とのつながり。フラは、人の生き様である」

と、クム・ケアラ。

ちなみに、「クム」とは、先生、またはマスターのことで、様々な分野に「クム」がいる。

フラを教えるクムを、「クム・フラ」と呼び、ケアラ・チンは、これにあたる。

以下、ディレクターズ・ノートより

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【ディレクターズ・ノート:クム・ケアラ(Kumu Keala Chin)】

現地時間 2016 1.4 13:00

僕は今、ヒロに着いた。

西のコナと東のヒロを結ぶ道路は、何本かあるが、島の真ん中を突っ切る道を走ると、2時間もかからない。

早朝6:00に起きて、小田まゆみさんと瞑想をし、一日をはじめた。

小田まゆみさんと一緒に過ごしたのは、3日間だけだが、無限の時間を旅しているようだった。
深く話しあい、多くを分かち合えた。

朝食を済まして、7時に出発。

小田まゆみさんの、とても深くて暖かいハグで、送り出され、ヒロでは、これから約一ヶ月間、お世話になるNさんが、愛に溢れた熱いハグで迎えて下さった。

つい4日前にお会いしているにもかかわらず、とても長く離れていて、久しぶりに帰って来る、そのような感覚があった。

部屋に荷物を運び入れ、ひと息。

今日からヒロでの生活がはじまるが、今、この時点では、ナラニさんが響きの取材に応じて下さるかどうかは、まだ分からない。

今は、連絡を待つ時。

どの道も道。神様の良き計らいのままに。

クレンジング・セレモニー昨日、行われた、クム・ケアラ(Kumu Keala Chin)のクレンジング・セレモニー。

クムが、祈りを捧げ、人々の浄化を行う。

とても神聖な儀式なので、撮影するのは難しいと言われていたが、クムが僕に理解を示し許して下さったのだ。

素晴らしいセレモニーだった。

クムの祈りは、神々に捧げる、旋律を撫でるような美しい詩のようだった。

参列のひとりひとりに祝福を与えるクム。

僕も祝福頂いた。

クム・ケアラは、凛としていて、でっかい存在。近くにいるだけで癒される。

声も美しく、心に優しく伝わって来る。

僕がとても印象に残ったのは、儀式の後、参列の方々が持ち寄った食べ物で、宴がはじまる。

振舞われたものをみんなが食べている時、クムは、ウクレレと歌で、宴を盛り上げていた。

そして、クムは、残った食べものを、一番最後に口にした。

その姿勢に、とても感銘した。

愛に満ち、真に強いリーダーを見た。

クム・ケアラの笑顔は、大きくて、暖かい。

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【ディレクターズ・ノート:希望】

現地時間 2016 1.31 7:30

昨日のクム・ケアラのインタビュー、素晴らしかった。

クム・ケアラと未来の子供と一緒に彼が紡ぐ一言、一言も、女神ペレに使わされたのだろう。彼らの先祖がどのように子孫を愛し、世界をつないで来たかがよく分かった。

「人を魚に例えると、頭が先祖で、尻尾が子孫。そして、それらをつなぐ胴体が僕たちである。なので、頭と尻尾がよくなるような生き方をしなければならない」

クム・ケアラのこの言葉は、オーストラリアの先住民族アボリジナルのドリーミングと同じ思想だ。

一匹の魚、つまりその「命」は、「先祖:過去」、「僕たち:現在」、「子孫:未来」のエレメントで成り立っている。

世代が「つながって」、はじめて「命」

先祖を大切にしない行いは、自らの頭を切り落とし、魂を汚す。

子孫のことを考えない行いは、自らの尻尾を切り落とし、舵取りを不能にして、進めべき道を失う。

僕たち「胴体」が、独りよがりして、両方を失ってないだろうか?

それが、今の時代の歪みのもっとも深層にある原因ではないかと思う。

クム・ケアラが、フラの稽古で子供たちに注ぐまなざしは、先祖から受け継がれて来た愛のカタチ。

そんなケアラの愛は、また子供たちによって、次の世代へつながってゆく。

「フラとは、過去とのつながり、自然とのつながり、家族とのつながり、未来とのつながり」

と、クム・ケアラ。

つまり、それは「祈り」である。

最後に記念撮影しようとなって、クム・ケアラが近くでインタビューを見ていたご家族の赤ちゃんも一緒にいいかと聞いて来た。

クム・ケアラと僕と「新しい命」

この小さな赤ん坊のまなざしは、「希望」

ひとりひとりが出来ることを全うし、良い時代を築き上げ、この小さな命が輝ける地球を残そう。

クム・プアとマウナケア・プロテクト運動
マウナケア頂上・天体望遠鏡群

響きがハワイ島で取材している時、ネイティヴ・ハワイアンに大きな出来事があった。

マウナケアの頂上に、TMT(巨大な天体望遠鏡)を建設する計画があって、ネイティヴ・ハワイアンは、これに反対していた。

なぜなら、マウナケアは、彼らにとって、聖なる山であるからだ。

現在、日本の「すばる」をはじめ、世界各国の天体望遠鏡が、12基あるが、元々は、ハワイ王朝のカメハメハ大王の土地で、ハワイ州とネイティヴ・ハワイアンの間には、協定が結ばれており、その中で設置されている。

しかし、TMTは、ネイティヴ・ハワイアンとの協定を無視して、一方的に計画が持ち上がり、工事に入ろうとしていた。

このTMT、約1600億円かけて建設される、世界最大の天体望遠鏡。

高さは18階建て、地下も深く、口径30メートルの光学赤外線望遠鏡である。

当然、TMTを建設すれば、マウナケアの自然環境が破壊される。

ネイティヴ・ハワイアンは、TMTに立ち上がり、建設反対運動を展開した。

クム・プアと一緒に。マウナケア。彼らは、これを、「マウナケア・プロテクト運動」と呼ぶ。

「反対」ではなく、「愛」をもった「プロテクト運動」

これには、ネイティヴ・ハワイアンの「アロハ」の深い精神性が表れている。

長い期間をかけた運動の末、逮捕者が出たり、社会問題に発展していったが、裁判所がTMTの違法性を認め、工事の中止命令を出した。

結果として、ネイティヴ・ハワイアンのプロテクト運動が勝利。

彼らは、この奇跡を、「愛で世界を包んだ」と表現した。

響きは、リアルタイムでこれに触れて、ネイティヴ・ハワイアンの祈りの力、愛の力を目の当たりにした。

取材したクム・プアは、「マウナケア・プロテクト運動」の中心的リーダー。

彼女から、ネイティヴ・ハワイアンの深い愛の精神を学んだ。

カフナ・イカイカ
薬草を摘む カフナ・イカイカ

カフナとは、ネイティヴ・ハワイアンのシャーマンのことである。

取材したイカイカさんは、ハワイアンの神、ロノの子孫であり、先祖代々から伝わる、薬草の継承者でもある。

カフナは、「すべてを知る者」という意味を持っていて、生まれながら選ばれし者。

古くから人々を導くマスターとして、ハワイアンから深く尊敬されて来た。

また、古代王朝時代は、王様の相談を受ける、神官でもあった。

「祈りとは、信ずる心を疑わないこと。明確な意図を持つことである」

と、イカイカさん。

実際に薬草を摘みながら、僕に多くを教えてくれた。

「薬草を使うことは、相手がそれによって、癒やされることを信ずる行為。信ずる心は、力となる。我々は、先祖と守護霊と一緒になって、祈るように薬草を紡ぐ」

イカイカさんから、発せられる一言一言が、僕の魂に直に届いた。

その中でも、とても印象に残ったのは、カフナは、一生にたったひとりのマスターしか持たないと言う。

それは、マスターと弟子の関係の中で、両方とも成長しながら、「人を信ずる力」を養ってゆくのだそうだ。

素晴らしい取材になった。

以下、ディレクターズ・ノートより

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【ディレクターズ・ノート:ハワイ島のマジック】

現地時間 2016 1.23 13:30

今度は、ハワイ島の大自然も、奇跡を起こしはじめた。

ハワイ島に、ある種の周波数帯があるとするならば、僕の波長がそのチャンネルに完全にロックした、と思うくらいシンクロして来た。

奇跡が止まらない。

あまりにも分かりやすくやって来るので、CGですべてを作る映画でも、ここまでは出来ないだろう。

女神ペレは名監督。

「ハワイ島は、マジック」と、Nさんが、僕に何度も繰り返し言っていたのがよく分かった。

今朝は、イカイカさんが薬草を紡ぎながら、伝承を話すシーンを撮影。

カフナ・イカイカと一緒に素晴らしかった!

このシンプルな言葉以上に、表わしようがない。

野草を紡ぐ前のプレ(pule、祈り)から、撮影は始まった。

そして、それはどのように先祖代々から伝わって来たか、また、次の世代に伝える為には、どうすればいいのか。

薬草のことは、門外不出のギリギリのところまで、教えて頂いた。

響きのキャメラに、カフナ(シャーマン)の魂が刻まれてゆく。

カフナとは、ネイティヴ・ハワイアンを、今の時代まで導いた偉大なる神官なり。

多くが記録されたが、印象に残っているのは、薬草に敬意を払うイカイカさんの姿勢だ。

「カフナは、カフナを信ずる人々の心が力となる。カフナが紡ぐ薬草を、100パーセント信ずる力が、癒やしとなるのだ。それがカフナという存在である」

イカイカさんは、古くからカフナを継承して来た家系の子孫。

そのDNAの力を見た。

そして、ハワイ島がそれに応える。

まず、人には滅多に近寄って来ない、ハワイ島を代表する鳥、「ネーネー」が二羽、僕たちの至近距離までやって来て、しばらく戯れた。

キャメラをズームインする必要がないところか、逆に遠ざがらないと撮れないくらいだった。

マウナケアから伸びて来た虹そして、突然、イカイカさんが叫ぶ。

「おい! あっちを見ろ」

イカイカさんが差すほうを見上げて、その美しさに心を奪われた。

遠くマウナケアの頂上から、虹がすっと伸びて海まで落ちてゆく。

風はランダムに吹き、小鳥たちは一斉に唄いはじめた。

女神ペレの祝福、、、。

彼女の愛をはっきり感じた。

すべてが響きキャメラに記録される。

カフナ・イカイカは、別れの最後に、僕を座らせ、頭に手を当てて、祝福の祈りをして下さった。

彼の唱えるハワイ語の響き、僕の中で永遠に生きよう。

カヒコ
キラウエアで女神ペレに捧げるカヒコ

【ディレクターズ・ノート:奇跡のボルケーノ】

現地時間 2016 1.22 08:00

ぐっと抑えて来た表現がある。

しかし、ここぞとばかりに、それを解き放とう。

いや、もう叫ぶしかない。

奇跡! 奇跡! 奇跡! おぉおおおおお!

うぉおおおおおお!

「・・・・・・」

叫び足りない。

あまりにも劇的過ぎて、これをこのまま映画にしたら、それこそリアルティを著しく欠けてしまうほどの、どんでん返し。

数々の奇跡を経験して来たけれど、あまりにも鮮やかに決まった今回のは、さすがに有り得ない。

あぁー、生きるがファンタシー。

この世界にうっとりする。

魂も身体も、喜びに沸騰してしまいそう。

落ち着いて、昨日の、地球の成層圏まで達した、奇跡のボルケーノを、ここに記そう。

昨日は、夕方までにヒロに戻った。

ネイティヴ・ハワイアンに古代から伝わる薬草を、今に受け継ぐカフナをインタビューする為だ。

現代社会、日本に限らず世界各地で起きていること、、、それは、薬草がただの雑草に変わっている。

薬草は、先祖代々から伝わる人類の叡智。

それが、継承する人がどんどんいなくなり、その叡智が失われ、ただの雑草に変わっていってるのだ。

僕は、先住民族の旅で、薬草について出来るだけ触れるようにしている。

ハーブは、人類にとってとても重要。

響きは、その意識を取り戻すお手伝いもしたい。

そして、Rさんと待ち合わせしている、メリーモナーク(世界最大のフラの祭典が行われる会場)に車を止めた。

いよいよその時が来たのだ、、、奇跡のボルケーノ、噴火。

Rさん、僕に会うや否や、

「としさん、クム・マナイが、キラウエアのボルケーノで、お弟子さんたちを連れて、カヒコと儀式をやって下さると連絡がありました」

「?!」

あまりにも想定外で、突然だった。

カナカオレは、諦めていた。完全に。

大自然の中で、カヒコの儀式を撮影するのは、如何に難しいか、彼らと交流してよく分かった。

僕は自分の耳を疑った。

というか、完全にフリーズ。

Rさんは、とても冷静にそのことを僕に伝えて下さっているが、それは、彼女自身もびっくりして、その喜びをぐっと抑えての表現であることをすぐに感じ取った。

「何が彼らを動かしたのでしょうか、、、」

と、Rさんも俄かに信じられない様子だった。

僕のフリーズも、少しずつ解凍されて来て、心の深いところから、湧き上がって来る、いや吹き出て来る喜びを、どう扱えばいいのか、、、

奇跡が噴火した。

祈るだけしか出来なく、何度も何度も足を運んだキラウエア。

入口のゲートの係員に顔を覚えられ、今ではパスを提出することもなくなった。

女神ペレに祈る毎日だった。

カナカオレは、女神ペレの子孫。

女神ペレは、僕の祈りがホンモノであるかどうかを見極め、自分の子孫を遣わしたに違いない。

響き第6章ネイティヴ・ハワイアンのテーマは、「祈り」

僕自身がまず実践せよ、そう求められた旅。

そして、女神ペレによって、求めた「すべて」が与えられた。

奇跡と奇跡、そして、奇跡。

奇跡のボルケーノ。

響きの奇跡、健在なり。それは、旅を重ねる度に加速している。

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【ディレクターズ・ノート:カヒコ】

現地時間 2016 1.24 19:30

プロ失格かも知れないが、はじめて撮影しながら涙した。

キャメラが震えるのを抑え切れただろうか?

もう、そんなのは問題ではない、僕も、祈ってる、カヒコを踊ってる、そのカタチが「キャメラを回している」だけに過ぎない。

響きの祈りのカタチ、、、記録される映像、そのものが祈りである。

カナカオレ、クム・マナイ率いるハーラウと一緒に。台湾の原住民族の祈りのカタチ。カナカオレ、クム・マナイ率いるハーラウが、キラウエアのボルケーノで、女神ペレにカヒコを捧げた。

マナイの唱える祈りは、鷹を呼び、女神たちのカヒコは、分厚い雲を裂き、太陽の光をこの地に注ぐ。

ボルケーノから吹き出る煙も、女神ペレの子孫たちのリズムに従う。

大自然と人とか完全にシンクロしたのを目の当たりにした。

人間、、、これが人間の持つ力か。

「祈り」は、人間が持つ力を最大限に引き出すのだろう。

「祈り」以上に、この世界で確かなものはあるだろうか?

「祈り」こそ、人類の叡智。それは、リズム。

「祈り」は、「RHYTHM of DNA」

このシーンを撮る為に、響き第6章があると言っても過言ではない。

踊りは、祈り。

響きに記録された。

撮影が終わって、みんなの前で、スピーチした。

「世界にネイティヴを、、、」

話しに、涙するハーラウ。

僕も堪えるにやっとだった。

でも、この涙と涙は、希望のもの。喜びのもの。

富士山の麓で開催の、「響き先住民族音楽フェスティバル」での再会を約束して、一同と別れた。

「タイム」は、「ドリーミング」

時空を超えて、それはやって来るだろう。

最後の記念撮影に、台湾の原住民族の祈りのカタチをお願いしたら、喜んで受けて下さった。

この写真を台湾の原住民族に送り、ネイティヴ・ハワイアンの愛を届ける。

世界をネイティヴで、、、彼らが何千何万年と大切にして来た普遍の叡智で、愛でつなげよう。

神々のラボ・ハワイ島
シルバ・ソード(銀剣草) 一生に一度だけ、花を咲かせる。

【ディレクターズ・ノート:神々のラボ】

現地時間 2016 1.9 12:30

僕は、今、マウナロアの山頂付近、キラウエア火山を見下ろすところにいる。

遥か上空の雲を突き破って、煙が昇ってゆく。

すごいな、地球。

キラウエアにいると、母なる大地の鼓動が聞こえて来る。

一昨日から二日間、ハワイ島を東から西、南から北へ走り回っている。

日本の四国の約半分くらいの大きさだが、完全に距離の感覚が麻痺して来た。

毎日の日の出から撮影を始め、日が暮れるまで、走り回っている。

ハワイ島の自然と対話しながら、景色の撮影。

地球にある13の気候のうち、11もここにあると言うが、それを肌で感じて来た。

昨日のクム・プアのカヒコが行われたビーチ、「Kawaehae Pua Ka Ilima sarf park」は、北西に位置するが、目的地までヒロから北側をぐるっと回った。

そのあたりの山には、なんと、杉などの針葉樹もあって、驚いた。

また、アイルランドの牧草地のような丘が連なっているところもあって、馬と牛が放たれていた。

神様がまるで、この世界に「気候」を解き放つ前に、これでいいのかどうかと、実験を繰り返す為に、ハワイ島をお造りになったのではないだろうか。

アカカ滝神々のラボ、ハワイ島。

その総責任者が、女神ペレなのだろう。

昨日のクム・プアのカヒコは、夜の海辺でそのお祈りが捧げられた。

小さなフットライトからの明かりだけが、カヒコを、辛うじて暗闇に浮かび上がらせた。

僕の脳裏を、先日の台湾の原住民族、プヌンの人たちによる、月夜のハシププ(八部合音)が、よぎった。

暗闇に行われる祈りのカタチ、ハシププ。そして、カヒコ。

僕たち人類は、気の遠くなるような年月をかけて、神々とのコンタクトを学んで来たと思う。

クム・プアとお弟子さんたちによる歌と踊りは、波の音と一緒に、天まで届いたと思う。

喜びと感謝に満ちた素晴らしい祈りだった。

微かな光を頼りに、響きキャメラがそれらを記録した。

セレモニーが終わって、クム・プアにかけより、お礼を申し上げたら、言葉ではなく深いハグで返して下さった。

まるで母なる大地に抱かれるようだった。

女神ペレの思し召し。その呼吸に僕のを重ねよう。

奇跡の再会
台湾の16原住民族の長老たちと一緒に。キラウエア。

【ディレクターズ・ノート:奇跡の再会!】

現地時間 2016 1.29 12:30

「とし、我の子孫に伝えた叡智をよくぞ紡いでくれた。そなたにご褒美を与えよう」

と、女神ペレは僕にそう言ったに違いない。

今朝は、キラウエアの頂上から一日をはじめた。

噴火口を見下ろすジャガーミュージアムの駐車場に、一台の大型バスが止まった。

しばらくして、そこから降りて来るシルエット。

朝陽に照らし出されるその影だけで、僕はその人が誰だか分かった。

台湾の原住民族、プヌン族の長老、卓溪郷長の呂必賢さんだ。

郷長さんも、僕をすぐに見つけて、

「タリマ!」

と、叫ぶ。

タリマ、、、台湾の原住民族、プヌン族の長老から、僕に授けた彼ら一族の英雄だけが持つ名前。

その名に意味はない。ただ偉大な響きである。

昨日は、約一ヶ月お世話になったNさんの厚いハグで、ヒロに別れを告げた。

「響きの旅が終わったら、ハワイ島に帰って来い」

と、Nさん。力強い愛に溢れた言葉。

長い時間ハグし合った。

それから、車を走らせ、コナの小田まゆみさんのところに向かった。

帰国までの3日間、お世話になる。

実は、昨年の12月、台湾に講演会で訪ねた時、偶々、郷長さんはじめ、原住民族の長老たちが、ハワイに視察に行くことが分かった。

それも、僕がハワイ島にいる時だ。

偶々、、、偶々、、、

さすがの僕もそんなのあり? と、俄かに信じ難かった。

タイミングがあえば、会えるだろうくらいの約束を郷長さんと交わしただけだった。

しかも、オハフ島が主な視察先。

そして、だいたいの日にちを教えて頂いていた。

昨晩、その日程を思い出した。

しかし、それが、台湾の時間なのか、ハワイの時間なのか、分からない。

「29日の午前中にキラウエア」

僕が知っているのはこれだけ。

台湾の29日なのか、ハワイの29日なのか。

その上、午前中何時なのかも分からない。

郷長さんに会いに行くにしても、せっかくコナまで来たのに、またキラウエアに戻らなければならない。

車で往復4時間。

僕は、クム・ケアラの取材でいっぱいのスケジュール。

早朝、ジンジャーヒルで瞑想を終えて、僕の直感が、「行こう」と言って来た。

直感のままに従おう。これまでそうして来た。

それが、響き。

仮に往復4時間かけて、会えなかったとしても、それが答え。

車のエンジンをかけた時は、一切の迷いはなかった。

キラウエアに着いてすぐに、女神ペレに、またお会い出来た喜びと感謝をお祈りした。

「郷長さんに会えるかどうかは分かりません。でも、必要があればそうなさって下さい」

と、最後に祈って、駐車場に戻った。

その時、ほんとうにその瞬間に、一台の大型バスが入って来たのだ。

僕のアンテナがフルに働き、このバスの中にいるかもしれない、そんな予感がした。

そして、、、

プヌン族の長老、呂必賢さんと一緒に「タリマ!」

と、僕を呼ぶ声。

太平洋のど真ん中で、二人は再会を果たした。

その喜びは、天まで届いた。

とにかく、とにかく、何度もハグしあった。

この喜びをどう伝えれば良いのか分からない二人。

「神様、神様が、この時をプレゼントして下さった」

二人ともこればかり。

しかも、、、

郷長さん一同は、なんと台湾の16の原住民族の長老たちオールメンバーだ!

みんな、いる、いる、いる。

昨年の夏に取材した長老たちが、ここハワイ島に、みんな、いる。

ひとりひとりとハグしあった。

喜びは、もはや天を突き抜けて、宇宙のはじまりの時まで届いたと思う。

すぐに次の視察があって、一緒にいられたのは、ほんのわずか。

しかし、無限の時間を共にした。

少しのタイミングがズレていたら、会えなかっただろう。

神様の采配は、いつの時も鮮やかに決まる。

あぁ、、、素晴らしきこの世界。

神様の成す業は、すべてにおいて、美しい。

去ってゆくバスを見えなくなるまで送った。

ネイティヴ・アース
ネイティヴ・アース

【ディレクターズ・ノート:ネイティヴとは】

現地時間 2016 1.15 11:00

これまで先住民族を旅して学んだことに、ネイティヴとは、「その意識」だと思う。

必ずしも、「血」の継承だけではない。

むしろ、「外側」から来た人が、その土地のネイティヴの気づきを促し、スピリッツを継承して行くケースを多く見て来た。

そして、混ざり、次の世代へ。

それは、融合と調和をこの世界にもたらし、世界平和を実現可能にする。

また、真のネイティヴは、混ざることを恐れない。

自分たちの魂を信じ切っているからだ。真に強い。

変わるものと変わらないもの。それをよく知る者を、ネイティヴと言えよう。

「血」を受け継ぐ者だけを選ぶ民族は、滅びる。

なぜなら、どんなに優れたものでも、自分たちの世界だけでエネルギーが回っていると、それはやがて濁り、終わりを迎える。

地球の歴史がこれを証明して来た。

僕たちは、「地球人」

「ネイティヴ・アース(地球)」なのだ。

これが、「ネイティヴの本質」と言っても過言ではない。

僕たちの手で、ほんとうの姿の「ネイティヴ・アース」を取り戻そう。

きっと出来る。

不思議と、各ネイティヴの伝説によくあるストーリィとして、

「時代が混沌とした時、船に乗って、あるいは空から、世界に秩序をもたらす者が現れる」

と、ある。

つまり、自分たちの「外側」から、「救世主」が現れるのだ。

ホピをはじめ、どの先住民族もこのようなストーリィを持っている。

救世主と言うと大袈裟になるが、つまり、失った真実を写し出す「鏡」が、この世界には必要であるということだ。

「外側」からやって来る者が、自分たちのほんとうの姿を写し出す「鏡」となる。

そして、それは、眠っていたスピッツを蘇らせ、ほんとうの自分たちを知ることになる。

ネイティヴの目覚めだ。

これを拡大すれば、「ネイティヴ・アース(地球)」の目覚め。

その為に、この時代は、僕たちを写す「鏡」が必要となる。

僕は、響きがそのような「鏡」になれればと願い、旅を続けている。

そして、これも不思議と、ネイティヴの土地で活躍されている日本人を多く見て来た。

ともすれば、ネイティヴよりネイティヴ。その意識が素晴らしい。

それは、日本人は、「和」の人だからだと思う。

その土地のカルチャーを、スピリッツに尊敬を払い、学ぼうとする。

つまり、「鏡」だ。

「ネイティヴ・アース(地球)」において、日本人の役割があるとすれば、僕は、「鏡」だと思う。

神社にはどこも、己を写し出す鏡が祀ってある。

僕たちの先祖が残してくれたメッセージだと思う。

「己を写せ。それは神々。そして世界平和となろう」

HIBIKI Color 赤:太陽 黄:月 白:宇宙 これらの色を合わせて「世界」を意味する。