アミ Amis(阿美族)
響き第5章で主に取材対象となる原住民族。詳細は上記参照。
タイヤル Atayal(泰雅族)
台湾原住民の中でも2番目に多い8万5000人の人口規模を持つ民族集団。居住地域は台湾の北部から中部にかけての脊梁山脈地域である。
タイヤル語は固有に文字を持たないため、その表記にはカタカナやローマ字を用いる。日常的にはタイヤル語、北京語、日本語が混用される。
口承伝承に基づくアニミズムがあり、樹木や岩石などが現在でも神格化されている。
日本統治時代の皇民化教育では神道が布教されたが、現在では鳥居や石灯籠など神社の遺構が残されている程度。信者はほとんどいない。
伝統的には焼畑農業と狩猟によって自給自足的に生計を立てていたが、日本統治時代以降、近代的な農業生産方式の普及が進んだ。
ただ、タイヤル族の居住地域はほとんどが急峻な山岳地域であり、水稲栽培など平地向けの農業は不向きである。
そのため現在では果実、茶、ビンロウなど商品作物の栽培が広く普及している。
パイワン Paiwan(排湾族)
台湾南部に住むインドネシア語系に属する原住民族。
広義にパイワン族と呼ばれるものには、北部より山地のルカイ族と北東部より平地のプユマ族とが含まれ、南部山地に分布するのが狭義のパイワン本族で、
その北西部を除けば自らパイワンと称する。
粟の栽培が儀礼的にも重視されるが、タロイモの畑地栽培も盛んである。
六年祭(五年後祭)
人神盟約祭で降臨した神が5年後に神界に戻ったのち、一部の精霊がなおも地上に留まり、6年目に神界に戻るという伝承にしたがって執り行われる祭り。
ブヌン Bunun(布農族)
南投県信義郷、仁愛郷、花蓮県卓渓郷、万栄郷の山岳部を中心にその他高雄市桃源区、ナマシャ区、台東県海端郷、延平郷などにも分布している。
人口は約5万人。独自のブヌン語を有する。ブヌンとはブヌン語で人を意味する言葉である。
社会組織は、長老制度による父系氏族大家族社会で、長老者会議各家族の長老たちが集まり村の政策決定を行なう。
民族意識が強く、民族の固有言語を保っている数少ない台湾原住民族である。主に中央山脈の両側に住み、典型的な高山民族といえる。
「小米(粟)の豊作を祈る歌」など八部和音唱法の歌をもつことで知られる。
ルカイ Rukai (魯凱族)
中央山脈南部の霧台地区、屏東県、高雄県に約15000人が分布している。
パイワン族と類似した貴族制度を有し、会所制度を有す父系社会である。独自の言語のルカイ語を有す。
畑作を中心とした農耕を行うが、畑は住居よりやや離れたところにある。これは他部族との交戦やトラブルをさけるため。
住居は層状にはがれる鉄兵石を使った、石造竪穴式住居。
昔はツァリセン族(Tsarisen、澤利先族)とも呼ばれた。「ツァリセン」とは「山の人」を意味する呼称である。
プユマ Puyuma(卑南族)
台東の西側の平原、卑南郷に住む。人口は約1万人。
規律正しい一族として知られている。全盛時代には「山地王」と称されるほど立派な社会組織と軍隊があった。
ツォウ Tsou(鄒族)
ツォウ(鄒族、曹族)は、南投県、嘉義県、高雄県に6千4百人が散在している。「ツォウ」とは人の意。
ツォウ語を母国語とする。人口約6500人。
好戦的な狩猟民族だったが、後に農耕や漁労を営むようになった。現在はタケノコやワサビ、高山茶を生産している。
ツォウ社会は、クバと称される男子集会所を中心とした厳格な父系社会である。各氏族の長老によって村落全体の問題を解決する合議制が採用され、頭目が実務を担当する社会構造となっている。
美男美女ぞろいとのイメージが強い。男性は雉の羽がかざられた皮の帽子、皮ズボンという勇壮な姿。女性も細やかな図柄を刺繍した胸当てなどを着用し、両性とも赤色を基調とした衣装を身につける。粟をまくミヤポ、粟の収穫祭のホメヤヤのほか、トフヤかタッパンのクバで2月か8月に交互におこなわれる男性の成年加入式と戦闘の神をたたえるマヤスビなどの祭祀が知られる。
サイシャット Saisiyat(賽夏族)
人口5400人、台湾原住民族でも少数の民族。
台湾の北西部の山地、新竹県と苗栗県の境界にまたがって居住している。
典型的な父系社会。
タイヤルや客家と隣接して北サイシャット(新竹県の霧峰郷)と南サイシャット(苗栗県の南庄郷と獅潭郷)に方言が大きくわかれる。
祖霊祭のほかにパスタアイ(矮靈祭)で知られている。パスタアイは北と南にわかれて2年に1回、6日間にわたってほぼ同じ過程でおこなわれる。
10年に1回は大祭が催されるパスタアイは、サイシャットに米の耕作や歌と踊りを教えたタアイと呼ばれる小人たちとの交流の伝説にもとづいている。
服装は赤色と白色を基調としていて、全面を貝のビーズで装飾した上着や、目の文様などを精緻に織り込んだ織物など手工芸の評価が高い。
タオ Tao(達悟族)
タオ(達悟族)は、台湾原住民のなかで唯一島嶼部の蘭嶼に住む民族集団。ヤミ(雅美族)とも呼ばれる。人口は3000名あまりで、島内に6つの集落がある。
島に住んでいることと生活全般にわたるタブーが多かったため、原住民族のなかでもっとも文化的な独自性が保たれている。
毎年4月から7月にかけて飛魚祭が行われるなど、漁労や造船にかかわる風習が多く見られる。特にチヌリクランには念入りな文様がほどこされ、船の完成時にはにぎやかに進水祭が行われる。男たちは独特の表情と身ぶりで威嚇し、悪霊(アニト)をはらう。
非常に平和な民で、首狩りの習慣をもっていなかった。
サオ Thao(邵族)
南投県の魚池郷と水里郷にかけて居住する民族で、日月潭湖畔に大半の人々が住む日月村がある。総人口約600名。
台湾の原住民族の中で最も少ない民族である。
年間を通しての主たる祭りは、種まき祭、狩猟祭、豊年祭で、そのほか除草祭と収穫祭がおこなわれている。
クバラン Kavalan(けい瑪蘭族)
クヴァラン(別名、カバラン、けい瑪蘭族)は、長らく漢民族と文化的に融合した平埔族として扱われていた。しかし、1980年代からの粘り強い民族認定運動が実って2002年12月25日に第11番目の原住民族として認定された。人口は約1000人。もともとは宜蘭県の蘭陽平原一帯に居住していたが、漢人と同化が進んだものは宜蘭県にとどまり、残りの人々は南へ移動して独自の言語と習俗を保った集落を形成した。新城郷嘉里村、豊浜郷(磯崎村、新社村、豊浜村)、長浜郷(樟原村、長浜村)などに居住している。シャーマンによる治療儀礼で知られる。
タロコ Truku(太魯閣族)
台湾東部・花蓮県北部の秀林郷、卓渓郷を中心に分布する。
台湾における12番目の原住民。現在、約18,000人から23,000人が存在。
農耕、採集、狩猟を中心とした生活を送っている。
父系小家族社会であり世襲の頭目が村落を取りまとめている。
男女とも16歳から20歳ごろに顔面を中心にイレズミをおこなった。男性のイレズミは狩猟や敵の首をとったことを示した。女性のイレズミは、大人になったことと織物の技術が優れている証として、美しさを増すものとして入れられた。粟を収穫した7月におこなわれる祖霊祭が、重要な祭礼である。
サキザヤ Sakizaya(撒奇ざ雅族)
長らくアミ族と混合されていたが、2007年1月17日に台湾の行政院によって正式に独立した民族と認められた。第13の原住民族。
現在の人口は、推定で5千人から1万人とされている。台湾東部の花蓮県に分布。
祭りには豊年祭、火神祭(Palamal)などがある。火神祭は最も重要な祭祀儀式である。
セデック Seediq(賽檮資ー)
台湾の中部、南投県と花蓮県の境界にまたがって居住している。
2008年4月23日に台湾政府台湾における14番目の原住民とされた。
現在の人口は、推定で5〜6千人とされている。
サアロア Hla alua(拉阿魯哇族)
原住民族のなかでこれまでツォウとされてきた。
ツォウ語を母語とし、曾文溪上流域(嘉義県阿里山郷)を主な居住地とする阿里山ツォウと並び、ツォウという1つの民族に分類されてきた。
阿里山ツォウを「北ツォウ」、サアロアとカナカナブを「南ツォウ」と2つ二分けることもあった。
サアロアHla’aluaは、そのころから「サアロア」と自称してきた。サアロア語を母語とし、ホウ濃渓上流域(高雄市桃源区)を主な居住区とする。推定人口500人程度。
サアロアは神聖な貝を祀るミアトゥグスmiatungusu(聖貝祭)を重要な祭りとする。
カナカナブ Kanakanavu(か那か那富族)
原住民族のなかでこれまでツォウとされてきた。
カナカナブkanakavu(か那か那富)は、大きくツォウに属し、単独原住民族と認定を受ける以前から「カナカナブ」と自称。
カナカナブ語を母語とし、楠仔仙渓上流域(高雄市那瑪夏区)を主な居住地とする集団である。人口は500人程度と推定される。
親族集団で粟収穫を祝うミコンmikong(またはカナイアラkanaiara、米貢祭)を重要な祭りとする。
ヘイホ(平埔族) *現在台湾原住民族申請中
台湾原住民族と同じくオーストロネシア語族で、今から5千年前から2万5千年前に台湾に移住してきた人々。
漢民族と婚姻関係を結んだり、混住したりしていたために融合が進み、文化的に変容した民族を平埔族と総称している。
独自の祭祀や治療儀礼、服装などを大切に伝えている人々もいるが、平地に漢民族とともに混住していたため、自らが平埔族であることを隠して名乗りたがらない人々も多い。
原住民族の民族認定や文化の尊重がすすんだことに刺激を受け、祭祀の復活などを通してアイデンティティを模索したり、民族認定をもとめたりする活動が盛んになってきている。 |