文字を持たないアイヌ民族に伝わる口承伝承の叙事詩。
生活の知恵や歴史はすべて口承で伝承されて来た。
明治時代、アイヌ出身の知里幸恵がローマ字表記のユーカラと日本語訳を併記して紹介した『アイヌ神謡集』を出版したほか、金田一京助が長大なユーカラ研究を発表している。
短いものから何日もかけて語られる長いものまである。
ユーカラは、「人間のユーカラ」(英雄叙事詩)と「カムイユーカラ」(神謡)の二種類に分けられる。
人間(アイヌ)を中心として語られるユーカラは、主にポンヤウンペと呼ばれる少年が活躍する冒険譚である。
・アイヌ民族の創造と人祖神降臨
天地(空・島)とカムイは、このようにはじまる。
昔、この世に国も土地もまだ何もない時、青海原の中の浮き油のような物ができて、これが燃え上がり立ち昇って、空となった。
そして後に残った濁ったものが固まって、島(現北海道)となった。
その内、モヤモヤとした氣が集まって一柱の神(カムイ)が生まれ出た。
一方、清く明るい空の氣からも一柱の神が生まれ、その神が五色の雲に乗って地上に降って来た。
五色雲による世界の構築がはじまる。
五色の雲の中の青い雲を投げ入れ、海ができた。そして黄色の雲を投げては、「地上の島を土でおおいつくせ」と言い、赤い雲をまいて、「金銀珠玉の宝物になれ」、白い雲で、「草木、鳥、獣、魚、虫になれ」と言うと、それぞれのモノができあがった。
その後、天神・地神の二柱の神が、「この国を統率する神がいなくては困るが、どうしたものだろう」と考えているところへ、一羽のフクロウが飛んで来て、目をパチパチして、多くの神々が産まれたという。
沢山の神々が生まれた中で、ペケレチュプ(日の神)、クンネチュプ(月の神)という二柱の光り輝く美しい神々は、この国(タンシリ)の霧(ウララ)の深く暗い所を照らそうと、ペケレチュプはマツネシリ(雌岳)から、クンネチュプはピンネシリ(雄岳)からクンネニシ(黒雲)に乗って天に昇られたのである。
また、この濁ったものが固まってできたモシリ(島根)の始まりが、今のシリベシの山(後方羊蹄山)であると言う。
ペケレは「明るい」を意味し、チュプは「太陽」を意味する。一方、クンネチュプは、直訳すれば、「黒い太陽」である。
沢山生まれた神々は、火を作ったり、土を司る神となったりした。
火を作った神は、全ての食糧=アワ・ヒエ・キビの種子を土にまいて育てる事を教え、土を司る神は、草木の事の全て、木の皮をはいで着物を作る事などを教えた。
その他、水を司る神、金を司る神、人間を司る神などがいて、サケを取り、マスをやすで突き、ニシンを網で取ったり、色々と工夫をして、その子孫の神々に教えられた。
こうしてアイヌモシリは創造され、次いで他の動物達も創造される。
さらに神の姿に似せた「人間(アイヌ)」も創造される。
その後は、神々の国と人間界とを仲介する、人祖神アイヌラックルが登場する事となる。
彼は沙流(サル)地方(現日高・平取町)に降りた。
アイヌラックルは、アイヌ民族を語る上でとても重要な神。地上で義姉に育てられた英雄神である。
地上と人間の平和を守る神とされ、オイナカムイ、オキクルミなどの別名でも伝えられている。
・コロポックル
コロポックルは、妖精のこと。
響き第2章ケルト民族で取材した「妖精」と、役割などその性質がとても似ている。
また、沖縄にはキジムナーという妖精がいて、これにも似ている。
このように、小人族に関する伝説は世界各地に残っていて、人類共通の普遍的な世界観ではないかと思う。
アイヌ民族の「コロポックル」、響きにとっても興味深く、今旅で取材しようと思う。
十勝地方が、「シアンルル」と呼ばれていた頃に、「コロポックル」を、このように伝えている。
この地に、「コロポックル」という小人族が住んでいた。
コロポックルは、人々に大変親切で、狩りをして獣を獲っても、魚を獲っても、決して自分たちだけのものにはせず、いつもアイヌの村を訪れては、人目を忍んで、こっそり家に置いていく。
いつも、こっそり食料を置いていくので、誰もその姿を見た者はいなかった。
ある夜、一人のコロポックルがアイヌの家に、ウサギの肉を届けに来て、戸のすき間からそっと中に入ろうとした。
家の中にいた男たちは、すき間から伸びた手を見て、
「おお、コロポックルじゃ。何と白くて美しい手をしているのだ。今まで姿を見たことがないが、どんな顔をしているのだろう?」
と、その手をつかんで、家の中に、引っ張り込んだ。
男達は驚いた。
コロポックルは、若い裸の娘だった。
コロポックルは恥ずかしさで、体中まっ赤にして、泣きながら外へ飛び出した。
このことを聞いて腹を立てたコロポックルの仲間たちは、
「この土地は、干したように枯れてゆくだろう。これからは、この地を、トカプチ(乾せるの意味)と呼ぼう」
と、言い残し、この地方を見捨てて去っていった。
それからはこの地は、「卜カプチ(十勝)」と呼ばれるようになり、やがて人々はみんな滅んでしまった。 |