世界の12の先住民族の物語を紡いでいく旅。ドキュメンタリー映画「響き 〜RHYTHM of DNA〜」
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12の先住民族
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マヤ
UNKNOWN
UNKNOWN
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UNKNOWN
1-7 TRIBES
KENYA - ケニア
撮影手記
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「HIBIKI 第9章 〜アフリカ・ケニア〜」取材クルーの移動。2017年7月2日〜2017年8月5日 *主なロケ地
(*すべて現地時間。時差:ナイロビ -6時間)
2017.7.2   成田発、日本出国。
2017.7.3   ケニア・ナイロビ到着。かんべ先生と合流。
2017.7.5   ナイロビ、スラム街・ギコンバー。
2017.7.6 〜 2017.7.10 マガディ湖。
2017.7.12 〜 2017.7.15 マサイ・マラ国立保護区。
2017.7.16 〜 2017.7.18 アンボセリ国立公園。
2017.7.19 〜 2017.7.23 再び、マサイ・マラ国立保護区。マサイ密着。
2017.7.27   ナイロビ、スラム街・キベラ。
2017.7.28   バリンゴ湖。
2017.7.29   ボゴリア湖。フラミンゴの大群の撮影。
2017.7.31   再び、ナイロビ、スラム街・ギコンバー。マゴソスクール。
2017.8.5   アブダビ経由成田着。帰国。
マサイと牛
マサイ

マサイの長老、オイキコ兄弟のジョセフさんとベンさんにインタビュー。

マサイにとって、大切なスピリッツは何ですか?

「牛」

と、即、返って来る。

ならば、マサイにとって、先祖はどのような存在ですかと、切り返してみた。

「先祖から受け継がれて来た牛との生活を続けたい」

次に、子孫は? と聞くと、

「牛との生活を、子孫に繋いで行きたい」

「では、地球を、大自然を、どのように考えますか?」

「最近の気候変動が異常なので、牛が心配」

「・・・・・」

マサイの長老、オイキコ兄弟まるで、禅問答である。

僕ははっとした。

「牛」という真理より、その「解釈」を求めていたのに気づく。

マサイの叡智はすべて、「牛」と共に生きる為に集約され、先祖から子孫に伝わって来たのである。

「牛」はマサイにとって、すべて。

その生き方に「解釈」は要らない。

「牛」そのものが「口伝」であるのだ。

牛は、水と草を求めて、移動する。つまり、牛と共にいることは、人も生存出来る、ということになる。

「人間」ありきではなく、「牛」ありき、つまり、「自然」が先に来るのである。

マサイは、自然の一部としての生き方を、信じて疑わず、現代までまっすぐにつないで来た。

夕方、放牧から帰って来るマサイの牛マサイは、迷わない。「牛」があるから。

この瞬間、これまでの響きの旅のすべてが、一瞬のうちにフラッシュバックされる。

先住民族のシンプルで真っ直ぐな「真理」より、僕たち現代人が「理解したい解釈」を求めていたのだ。

オーストラリアのアボリジナルは、「ドリーミング」ではなく、「砂漠の砂」と共に生きる為に。

アイルランドのケルトは、「妖精」と共に生きる為に。

ネイティブ・インディアンのホピは、「ホピの予言」ではなく、「トウモロコシ」を育てる為に。

マヤは、「マヤ暦」、宇宙と共に生きる為に。

すべての先住民族が、マサイの「牛」のように、シンプルで真っ直ぐな真理を、先祖から子孫に伝えていて、すべてはそれに集約された叡智であったのだ。

響きに戦慄が走った。

これまで世界を旅して来たが、まるで生まれ変わったようである。

「では、マサイにとって、牛とはどのような存在ですか?」

と、最後に聞いてみた。

「牛は神様からの贈りもの」

この即答に、もう、何も言うことがない。

マサイにとって、牛は祈りである。

==========

【ディレクターズ・ノート:マサイの価値観】

現地時間 2017 7.25 03:00

マサイの長老のインタビューで、あなたたちが大切にしているスピリッツは何か、と聞いた。

「牛」

と、即座に返って来た。

マサイ・ジャンプマサイが知られているのは、驚異的な身体能力だとか、戦士だとかのイメージであるが、それらは、一般的にメディアなどから伝えられているもので、表層に過ぎない。

マサイのすべては、「牛」に集約する。

先祖代々から伝わる叡智も、「牛」と共に生きる為にある。

今を生きるも、次の子孫の繁栄を願うも、牛。

彼らは牛を人にあげるなら、娘をやる、とまで言う。

マサイは、現代文明に触れながらも、どうして伝統文化のまま、この時代に生きることが出来るのか?

ともすれば、いろんな国の先住民族が、「お金」という価値観が入って来た為に、マイノリティー特有の「貧困」に苦しんでいる中、マサイはそれに支配されず、この時代においても、輝きを増している。

マサイも、もちろん、「お金」の価値を知らない訳ではない。
中には、何かと、「Give me a money 」と、強請って来る。
しかし、彼らと接して分かるのは、「お金」はマサイにとっての「余興」であるのだ。

マサイは、「お金」より、大切なものは、「牛」

それを失わず、現代社会に生きている。

携帯電話も持っている、バイクや車にも乗る、政治もやる。
しかし、この世界のどんなことより、「牛」が大切なのだ。

これを、響きの視線で捉えると、真理がよく見えて来る。

マサイにとっての「牛」とは、生きる為の「軸」であり、彼らの存在そのものを表すシンボルなのだ。

マサイの「牛」を、日本の「禅」と、置き換えることも出来るだろう。

「牛」は、先祖代々から伝わるマサイの「口伝」のカタチでもあり、生きる道徳である。

「牛」と共に生きることに、解釈も、意味付けも必要ない。
すべては、「牛」を通して、自然の摂理を学び、子孫にその真理を伝えている。

マサイの戦士マサイは、こんなにも強くて、ぶれないスピリッツを持っているのだ。
だから、戦士であり、驚異的な身体能力を持つまでになったのだ。

マサイは今の文明が滅びても、全然構わないだろう。
彼らは、「牛」がいる限り、永遠に生きる。

僕たち現代社会は、このマサイが持つ、強烈なメッセージから多くを学べる。

この世界が真に愛と調和に変容するには、たった一つの、シンプルな真理があればいいのだ。

その真理は、それぞれの土地に根ざして、必ずある。

マヤの長老、ドン・アレハンドロは、違いこそ叡智である、それぞれの民族が持つ文化を失ってはならないと言った。

そのことが、マサイの「牛」と重なって、よりクリアなものとなった。

僕たちは失われた、それぞれの伝統文化を取り戻すこと。

世界は、遡ってたったの200年の間に、多くの歪みが生まれた。

しかし、人類は、それより遥か、何千、何万年と生きていて、そして、培って来た叡智は、その土地にしっかりと根ざしている。

伝統文化と進化する文明は、共存出来る。

互いは打ち消すものではなく、助け合うもの。

「変わるもの」と、「変わらないもの」を、人類の叡智を集約させて、しっかり見据えよう。

そして、たった一つのシンプルな真理、「人も自然の一部である」のスタートラインに、すべてを立たすこと。

僕たちは、この世界が真に進化する、その始りの目撃者になろうではないか。

マサイの「牛」、、、意味付けしない、その強さを肌で感じるものになった。

シンプルな真理
人類発祥の地、アフリカ大陸に日が昇る

では、マサイの「牛」にあたるものは、日本人にとっては何か?

響き第9章アフリカ・ケニアの旅から帰って、ずっと考えてみた。

日本人にかつてあった「シンプルな真理」、、、それは失われてしまったのだろうか?

いや、きっとある。

僕たちのDNAに脈々と流れている、何か。

僕は、マサイの「牛」にあたるものは、日本人にとっては、「和」だと思う。

日本は「和」の国と言う。

「和」こそ、日本人の「シンプルな真理」ではないだろうか。

最近、人間のDNAの分析が進んでいて、日本人のDNAを調べると、世界のあらゆる人種が混ざっているそうだ。

日本は、地理的な条件もあってか、混ざりに混ざって来たのだ。

いや、混ざることを恐れなかった。真に強いものは、自身に流れる「スピリッツ」を信じて疑わない。

それが「調和」を重んじる民族へと進化して行った。

ともすれば、近年、各国政府の思惑に、国民感情が煽られ、他の国の人々を差別したり、見下す傾向がある。

しかし、僕たちは、「調和」の民。

日本が、他を非難するのを止めて、真に「調和」に目覚めるのならば、それこそ、世界平和の実現、そのひな形にもなり得ると思う。

僕たちには、「和」がある。

世界にシンプルな真理を。

美しき大陸アフリカ
フラミンゴの大群

「暗黒大陸」

と、16世紀、ヨーロッパ列強の彼らが、アフリカ大陸にどっと押し寄せて来ては、この地をそう呼んだ。

そして、文明社会を開くと言う名のもと、支配がはじまる。

地形に関係なく真っ直ぐに引いた国境。そのボーダーラインは、21世紀の今に及んでも、戦争と極度の貧困を生み出す。

奴隷貿易をはじめ、西洋の価値観を持ち込んでは、好き放題にやった。

そして、現代に至っては、先進諸国の開発支援という名の「支配」が続いている。

今旅で、目の当たりにしたのは、開発を進めるほどに増してゆく貧困。

「暗黒」とは、アフリカ大陸のことではなく、この地をそう呼んだ、ヨーロッパ列強の彼らのエゴ、そして、文明社会の僕たちのエゴのことではないだろうか。

僕たちは、今、アフリカが抱える様々な問題の深層に目を向け、この地に生きとし生けるものの真の豊かさを取り戻す為に、叡智を集結する時である。

アフリカ大陸は、決して「荒れた地」ではない。

百年、1千年、1万年と、この地に根ざした、命の育み、大自然の豊かさが、ちゃんとあるのだ。

荒れた地と見る、僕たちの傲りに気づこう。

そして、真の豊かさを取り戻すには、アフリカの伝統的な暮らしにヒントがある。

この地球の、それぞれの民族に伝わる伝統的な暮らしがあるのだ。

そこから学び、そして、文明と伝統文化が共に歩めることを知ろう。

それこそが、進化である。

==========

【ディレクターズ・ノート:美しき大陸、アフリカ】

現地時間 2017 7.25 21:40

アフリカの大地を、「渇いてる」と、「みんな」が言う。

さて、「みんな」とは?

それは、現代社会の「価値観」のことに他ならない。

確かにアフリカ大陸は、砂漠が拡がっていて、風が少しでも吹けば、埃が舞う荒地。
緑も乾いていて、どうやって水を得られるんだろうかと不思議に思う。

そう、この「価値観」が、アフリカ大陸に歪みをもたらしている。

文明社会からは、そう見えるかも知れないが、この大地には、この大地の「豊かさ」が、ちゃんとあるのだ。

アフリカ象緑も、動物も、それぞれが、アフリカの大地に根ざして、命輝いているのだ。

さて、この大地の人類はどうなのか?

僕は、人も例外ではないと思う。

16世紀のヨーロッパ列強が、「新しい価値観」を携えて、アフリカ大陸にやって来るまでは、とても豊かで平和だったと言う。

しかし、今、アフリカは、飢餓に、内戦に、テロに、人類のあらゆる歪みが、この大陸を埋め尽くし、苦しめている。

なぜなのか?

僕たちは、この問題の深層に到達しなければならない。

闇から光が生まれ、そして、光から闇が生まれた。

まるで先進国の「光」のすべてから生まれた「闇」が、この大陸を染めているようだ。

人類発祥の地、その運命が故、これらの重みを背負うのであろうか。

いや、そうではない。

僕たちは、この世界の貧困に真剣に立ち向かおう。

真にこの世界を愛と平和に思うなら、今、僕たちの世代で、出来ることをやろう。

僕が今回、アフリカに来て思うことは、「開発」という名の「支配」だ。
この大地を、「開発」して、「豊か」にしようとしている。

「誰」がそう思うのか?

その「価値観」の持ち主は、西洋を含め、現代の文明社会である。

この大地には、長い年月をかけた大自然のサイクルがあるのだ。

例えば、マサイはその中で生きていると言えよう。

すべては、アフリカを、「渇いている」と思う、現代社会、我々の傲りに過ぎない。

「開発」と言う名の「支援」は、その裏に、先進各国の「利権」が見え隠れする。

アフリカは、地球最後の未開発のマーケットとも言われる。

しかし、その「価値観」で、アフリカが抱える問題の解決にはならない。

実際、開発が進めば進むほど、貧富の差が広がり、治安も悪くなる一方。

ケニアにある、キベラスラムには、およそ100万人が住んでいる。

先進国が考える「開発」が、良い方法ならば、どうして問題が大きくなる一方なのだろうか?

サバンナを悠々と歩くキリンアフリカの大陸は、決して渇いてない。

この大自然の中で、命の育む生き方が、ちゃんとあるのだ。

それは、何千、何万年と受け継がれて来たもの。

それを、「開発」という名の、「支配下」においてはならない。

僕たち人類は、今、どうすべきか、それこそ、叡智を集結させ、みんなで真剣に取り組もうではないか。

あの多国籍企業の「モンサント」と、今、この大地で、先進各国が行われていることは、大して変わらないではないだろうか。

アフリカの人たちが、真に幸せに生きることを願うならば、まず、僕たちの「価値観」のパラダイムシフトが行われることだと思う。

「価値観」とは、その土地、その大自然に根ざしているもの。

それを、同じ天秤に乗せて、計ることで、この世界の歪みが拡がって来た。

その天秤から降りる時が来た。

それぞれの価値観の違いを尊重し合おう。

それが、この世界を調和に満たす。

「違いは、叡智である」

アフリカ大陸からのメッセージ
ケニア・ナイロビ、キベラスラム、マゴソスクールの子供たちとダンス

アフリカ大陸、最大のスラム街を抱えるケニア・ナイロビ。

ナイロビの全人口の60%にあたる、250万人がスラム街で生活している。

スラム街の居住区の総面積は、わずか全体の6%。

今旅で、ナイロビの5つの巨大スラムのうち、キベラとギコンバーの二つの街を歩いた。

光があれば、闇か。

貧困とは、何か?

スラム街の掟があるとするならば、「生き抜く」ことだと思う。

スラム街の子供たちと触れあって感じたことは、

「希望」

彼らの輝く瞳は、未来を照らす光である。

暗闇から、ビッグバンが起きて、光が生まれ、世界が誕生した。

しかし、その光が強すぎたのか、再び、闇を生み出す。

行き過ぎた「正義」、誰もが正しい世界は、終わりのない争いに。

「調和」からどんどん離れて行く。

しかし、再び今、暗闇から光が生まれようとしている。

近代文明の歪みを、まるで一挙に背負ったアフリカ大陸。

しかし、僕たち人類の「未来」の大きなヒントがここにあると思う。

アフリカを体験せよ。僕たちに知恵を与えるだろう。

「アフリカは、希望の大陸」

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【ディレクターズ・ノート:スラム街・キベラ】

現地時間 2017 7.27 08:30

世界最大のスラム街、キベラを歩いた。

キベラスラムで、マゴソスクールの早川千晶さんとダンさんと一緒にここに、およそ100万人が暮らしていると言う。

「スラム」という世界を、「下」に捉えては、何も見えて来ないだろう。

「スラム」は、僕たちひとりひとりの「中」にある。

これから時間をかけて、スラムの人々が、貧困と病気から抜け出し、穏やかに生きることが出来れば、それは未来の「ひな形」にもなり得るだろう。

僕は、今回の旅を通して、強く感じたもの、それは、アフリカ大陸からのメッセージ。

「希望」

再び、闇から光は生まれるだろう。

人類が真に貧困を乗り越え、調和に満ちた時、その時発する光は、かなた遠くの宇宙まで届くものになるんではないだろうか。

100年後、200年後の子孫たちが、今の世界をどう見るだろうか?

僕たちが、偉大な先祖になるのだ。

キベラ・スラムの中にいて、希望のオアシスのような存在があった。

「マゴソスクール」

おつくりになった、早川 千晶さんとは、日本でご縁があった。

早川さんの瞳が希望に輝いているのが、ここに来て、さらによく分かる。

清潔な校舎に、栄養のある給食。

小さな子どもから、大きい生徒まで。障害児クラスもある。

早川さんはじめ、ここの先生たちとスタッフ。そして、支援なさっている多くの方々の愛と希望を感じた。

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【ディレクターズ・ノート:早川千晶さんと未来の子どもたち】

現地時間 2017 8.1 18:30

「ケニアでお会いしましょう」

と、東京でお会いした早川千晶さんと約束を交わしたのは、6月21日。

その約束を果たした。

マゴソスクールの早川千晶さん早川さんは、僕がケニアに滞在の間、日本にいらして、すれ違いになるのかなと思っていたが、神様の良き計らいがあった。

早川さんはじめ、日本からのスタディツアーの方々とディナーをご一緒させて頂いて、翌日、一同、キベラスラムへ。

自動小銃を携えた武装警察官3名が、護衛について、スラムを歩いた。

警護があるので、撮影して良いとのこと、響きのキャメラを回す。

先日の、かんべ先生と一緒のキベラスラムとは、また違った風景が写った。

東京で、早川さんに初めてお会いした時に、目を見て、ハッとした。

この「目」を、僕はよく知っている。

「絶望」というのをよく知っている「目」

そして、絶望は、希望の始まりであることを、知っている「目」

それを、実体験し、人の痛みを、自身の痛みのように感じられる「目」だ。

それは、厳しくも、愛に満ちている。

ここナイロビでご一緒させて頂いて、短い時間であったが、たくさんのことを話しあって、多くの重なり合いを感じた。

それでも、話し足りないくらいだった。

早川さんとは、ちょうど良い時に出会ったのだろう。

神様の計らいは時に叶って美しい、この一言に尽きる。

キベラスラムを歩いて、一同、マゴソスクールへ。

スクールをあげての歓迎があった。

マゴソスクール早川千晶さんとマゴソスクール、、、

ここは、歪みの世界の希望のオアシスである。

貧困、病気、犯罪、戦争、テロ、、、この世界のあらゆる歪み。

しかし、僕たちは、それでも「希望」に生きることが出来る。

それを感じさせられるのが、マゴソスクール、である。

人はどん底の時も、「希望」を、「夢」を、持つ力がある。

それは、神様が人に与えた力。

僕たちは、その力を使う特権がある。

決して失ってはならない。

この世界を、未来に続く希望で満たそう。

早川さんは、実体験のもと、自身のミッションをただただ、全うしているのだろう。

だから、早川さんにとっては、当たり前なこと、特別ではない。

人を特別に見る価値観から自由になって、ひとりひとりが、自分の「特別」に目覚め、ただただ「それを行う」強さを持とう。

それに、意味付けしてはならない。
なぜならば、それは神様の仕事だからだ。

ここスラムの子どもたちは、未来の希望。

彼らの輝く瞳に、僕たちが学ぶものは多い。

いや、学ぶというより、失ったものを取り戻そう、と言ったほうがしっくり来る。

新しい叡智の創造
太陽

「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」 〜伝道者の書 3:11〜

僕の好きな聖書の言葉。

響きの旅は、第1章アボリジナルから始まった。

それから時が流れ、旅も残り3つ。

ここまで、旅を続けられていること自体が奇跡である。

すべては、神様の良き計らいのままに。

そして、響き、そのものが進化して行った。

ネイティヴの叡智を求める者から、旅を重ねるにつれて、自らその体験者へと変わる。

そして、今では、ネイティヴが見つめる先に、自身の目を重ねられるようになった。

その先とは、、、すべての存在が調和する世界。

響きは、新しい世界に価値観が移行する、そのアプローチを見つける旅なのかもしれない。

成長する、意識を高める、、、その世界からの脱却。

意識を高めるということは、そう出来ない人々を生み出し、彼らを弾く。別の歪みが生まれる。

これが、これまでの世界。意識の変容が起きない。

自身が真に豊かになるには、自分とは違う価値観をどれだけ許容出来るか、尊重出来るかだと思う。

もっと言うと、自分の中にある、全く相反する価値観をジャッジせず、許せるか、調和を織りなせるか、光と闇も、そのままに、自身の中に存ることを認め、その調和に生きることが出来るかどうかだろう。

悟りでも、目覚めでもない。自身の価値観に「変容」をもたらそう。

この世界を、「良くしよう」として、これ以上に、歪みをもたらしてはならない。

僕たち人類は「変われる」

「絶望」と「希望」、「光」と「闇」、「善」と「悪」を、内在し、理解し、調和の世界へ。

響きは、これまでにない全く新しい価値観の、叡智の創造が、ミッションだと思う。

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【ディレクターズ・ノート:響きのさらなる進化】

現地時間 2017 7.18 06:00

昨晩、二泊三日で撮影に出かけたアンボセリ国立公園からナイロビに戻った。

ケニアの国立公園のサファリは、原則、車から降りてはならないが、アンボセリ国立公園の中には、歩いても良い箇所がある。

「オブザベーション・ヒル」

ここで、完璧な日の出が撮れた。

人類発祥の地、アフリカ。

その大地から日が昇る。

命のはじまり。響きの持つイメージに、完璧な日の出が撮れたのだ。

ドキュメンタリー映画「響き 〜RHYTHM of DNA〜」は、構想を含め、10年の歳月をかける旅。

第1章からずっと、日の出、日の入りを撮って来た。

10年分の旅を、日の出から日の入りまでの、一日の出来事のように表現する。

映画のオープニングは、全大陸の先住民族の日の出が入り混じってはじまり、クロージングは、同じく、すべての日の入りで終わる。

そして、クレジット(エンドロール)には、響きオフィシャル賛同者の名前をスクロールさせる。

本編は、長くても、2時間30分。

10年分をぐんと凝縮して、そのエキスを抽出させる。

ナレーションも、BGMも一切使わない。
(*メインのテーマ曲はつくる)

ドラマチックに描こうともしない。

一切の解釈もしない。

すべてを「見る者」に委ねる。

そして、12の先住民族をチャプター分けにしない。
ごちゃ混ぜにするのだ。

未来を見つめる子どもたち僕は、「地球」を、伝えたい。

僕たちは、どのような存在なのだろうか?

それは、地球そのもの、自然の一部である。

ネイティヴとは、地球意識。

旅を続けて来て、映画のイメージもいつの間にか自然に象って来た。

考える必要もない。絞り出す必要もない。

僕が旅した10年分を、ただただ、直感に委ね、編集すればいい。

それが響きのシナリオ。

そして、どこかのタイミングで、「ドキュメンタリー映画」という冠を外し、ビジュアルメッセージ「響き 〜RHYTHM of DNA〜」、として、世に出す。

それは、人類が失った先祖代々からの叡智をこの世界に取り戻し、次の子孫に残す試みである。

もちろん、響きが取り戻せる叡智は、ほんのわずか。

しかし、先祖は大切、そして、僕たちも先祖であり、未来(子孫)に向かって生きている、そのメッセージを伝え、人々の意識の変容を促すムーブメントは起こせると思う。

よし。一歩一歩。

今日、インド洋のクワレから帰って来られた、かんべ先生と合流。

一日、二日のインタバールを取り、いよいよかんべ先生と一緒にマサイの密着をはじめる。

実は、今旅、響きがさらなる進化を遂げた。

響きの旅のはじまりは、先住民族の叡智を求める者であった。

しかし、旅を続けるに連れて、僕自身がその体験者となってゆく。

そして、さらに、僕自身がネイティヴとなって、彼らが見つめる先に、視線を重ねられるようになった。

ここまでの変容が最高潮かと思っていたが、そうではなかった。

今では、ネイティヴの見つめる先の透明度が増して来て、見えて来た世界は、、、

今、現代社会の抱える問題の本質であり、「未来」

「今、僕たちはどうすれば良いのか?」

の、具体的な行動を起こせる、「新しい叡智」のクリエイトに至ろうとしている。

それはともすれば、100年、200年、一千年後の子孫に伝わるものになるかもしれない。

かんべ先生
かんべ先生

獣医、神戸 俊平。愛称、かんべ先生。

ケニア初の日本人獣医である。

これほどにアフリカが似合う男が、他にいるだろうか。

かんべ先生は、アフリカの風と共にある。

いや、アフリカ大陸そのものを連れて歩いている。

響き第9章アフリカ・ケニアの旅で、たいへんお世話になった。

かんべ先生は、NGO団体「アフリカと神戸俊平友の会」を、活動運営なさっておられる。

主な活動は、

1、マサイの家畜の診療。チェチェバエ、眠り病(トリパノソーマ)の研究。
2、野生動物の保護。象牙不買運動。
3、スラム街の支援。

数々のドキュメンタリー番組でも、取り上げられているので、かんべ先生の名を知る人も多くいると思う。

「かんべ先生、先生の信念、向かう先はどこですか?」

と、聞いてみた。

「私はまだ旅の途中です」

と、かんべ先生。

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【ディレクターズ・ノート:死生観】

現地時間 2017 7.4 22:50

マヤのグアテマラも、相当なカオスだったが、ここナイロビも、少しでも気が緩んだら、一気に飲まれそうだ。

かんべ先生のオフィスで一緒に今日は、朝からかんべ先生のご用事の共をさせて頂いた。

ナイロビにある長崎大学の研究所。かんべ先生の研究室がここにある。

それから、かんべ先生のビザの申請に役所へ。

そして、最後は、お仕事の現場にも、ご一緒させて頂いた。

そのお仕事とは、、、

動物の安楽死。

それは、もちろん、獣医としての仕事の一部であるのかもしれないが、間近で見させて頂いて、かんべ先生の動物への深い愛を肌で感じるものになった。

飼い主から、年老いた犬が病気で苦しみ、痛みに耐えている。そこから自由にしてあげてほしい。その依頼。

飼い主も、子どものように、その犬を愛していた。

かんべ先生、淡々と執り行う。

犬を見つめるその目は、命の尊さを自身の魂に刻んでいることがよく分かる。

そして、その犬はイビキをかきながら、痛みに耐えて来た怯える目から、永遠の幸せを得たような、安らかな表情を浮かべて、ゆっくり眠って行った。

僕はかんべ先生の、今日の目を忘れない。

「今日の最後は、キツかったなぁ」

と、僕に心の声を打ち明けて下さった。

命とは、何か、、、

人も、どのような存在も、命あるものは、いずれ死ぬ。

それを分かっていて、僕たちは生きているはずだが、実はそうでもない。

生きるのも大切。しかし、死ぬのも、自然の摂理であり、そこから目を背いてはならない。

悲しいかもしれないが、「死」は、誰にでもやって来るもの。

こんなにも物質化が進んでいるこの世界、それはともすれば、肉体は永遠であるかのような錯覚まで起こさせる。

命が産まれて来る喜びと、死んでゆく悲しみ。

その混在が、「世界」ではないだろうか。

死生観の欠如は、人類として、致命的な問題である。

現代社会の多くの歪みは、ここから来ていると思う。

しかし、まだ間に合う。

かんべ先生の目は、それを語っていたのではないだろうか。

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【ディレクターズ・ノート:かんべ先生とアフリカ】

現地時間 2017 7.27 21:30

こんなにもアフリカが似合う男が、他にいるだろうか。

獣医、神戸 俊平。愛称、かんべ先生。

今日、かんべ先生のロングインタビューを撮らせて頂いた。

かんべ先生は、NGO団体「アフリカと神戸俊平友の会」を、活動運営なさっておられる。

オフィシャルサイト
http://www.s-kambevet.org/

マサイ・マラ国立保護区にて今年で、70歳。
アフリカに来て、40年以上になる。

僕がケニアに来てから、ほぼ一ヶ月をご一緒させて頂いているが、正直、かんべ先生に惚れた。

ワイルドで、でもって愛に満ちていて、知見は遠い未来まで見据えていらっしゃる。

サバンナの荒地で、ランクルーを走らせる姿には、誰もが心を奪われるだろう。

そして、僕が最もすごいなぁと思うのは、スラムや、街中の荒れくれ者とも、全く引けを取らず、スワヒリ語で対等にやり合うのだ。

「Oh! Kambe」

と、街をかんべ先生と一緒に歩くと、あっちこっちから声がかかる。

先生も、それをジョークで受け立つ。

スワヒリ語を僕は分からないが、彼らとのやり取りに、かんべ先生のアフリカ、四十数年の歴史を思わせる。

今回、響きの他に、かんべ先生のマサイの牛を診察するシーン、チェチェバエの採取、そして、研究所でも、撮影させて頂いた。

10分くらいに編集し、今回の旅のお礼に、「アフリカと神戸俊平友の会」で、映像配信出来るようなカタチにしようと思う。

皆さんに、かんべ先生の思いをお伝えしたいのだ。

響き第9章アフリカ・ケニア編、とても濃密な取材となった。

また、僕もいろんな国に行っているが、ここナイロビの治安は、極度に悪く、また、大統領選挙を控えている今、国中がぴりぴりしている。

前回の大統領選挙の時は、大暴動が起き、大勢が死んだそうだ。

このような状況の中、短い期間にも関わらず、響きの取材が実ったのは、かんべ先生のおかげである。

この場をお借りし、深く御礼申し上げます。

一緒にいさせて頂いた約一ヶ月間、かんべ先生との絆が深まった。

向くベクトルは同じ。

大先輩からの学びを得て、これからも一歩一歩と、未来に向かって歩いて行こうと思う。

さて、響きの旅も残り一週間。

明日から、ひとりで、ナイロビを離れて、バリンゴ湖へ、フラミンゴの大群を撮りにいく。

本来は、ナクル湖にいたのだが、気候の変動で、そこにはもういないようだ。

バリンゴ湖で、チャレンジ。

二泊三日くらいで、7月31日までには、ナイロビに戻りたい。

というのも、大統領選挙間近で、治安が一気に緊張するようで、8月に入ったら、出来るだけ外出を控えようと思う。

また人々も、暴動に備えているようで、学校も選挙前後の一週間は閉鎖するようだ。

もし暴動が起きたら、即、帰国の途につけるようスタンバイ。

予定通りであれば、ケニア時間の8月4日のフライトで日本に帰る。

それにしても、ケニアのダートロードは、これまでのどの国よりもハードだ。

注意して運転しても、車のパンクが、二度もあった。

皆さま、明日からラストスパート。旅の安全をお祈り下さい。

HIBIKI Color 赤:太陽 黄:月 白:宇宙 これらの色を合わせて「世界」を意味する。