スカンジナビア半島北部、及びロシア北部コラ半島に至る、ラップランドと呼ばれる地域(ノルウェー、スウェーデン、フィンランドの北欧三国とロシアの四ケ国)に居住する、トナカイ遊牧民として知られる先住民族。
EU諸国で、唯一、土着の民族である。
現在、昔ながらのトナカイ遊牧専業のサーミは、約2,000人まで減った。
北方少数民族として、アイヌ民族などとの交流もある。
短い夏、太陽が沈まない白夜と、長い冬、太陽が昇らない極夜の、厳しい自然環境の中で、太古からこの地に生きて来た。
ラップランドの首都、ロヴァニエミには、石器時代より人類の定住があった遺跡が残っている。
その最初の住人が、サーミ人であったと思われる。紀元前750年から紀元前530年には、すでに焼畑農業が行われていた形跡もある。
無伴奏の即興歌のヨイクは、サーミの特徴として一般に知られている。
世界的に大ヒットした映画、「アナと雪の女王」に、サーミがモデルとなった。
【生活】
サーミは、フィン・ウゴル語派(ウラル語族系)のサーミ語を話す。
もともとは「コタ」と呼ばれる一時的に居住するための家に住み、移動を続けてきた民族。
コタは、かつてサーミの呪医が儀式を行っていた場所でもある。
てっぺんの穴を通り抜けて、精神世界と接することができると言われている。
厚い毛皮のトナカイとともに、季節ごとに移動しながら、極寒の自然の中で、狩猟や遊牧を行なってきた。
サーミは、太古からトナカイと共にラップランドを自由に往来していたが、18世紀以降国境が明確に定められると、次第に定住を強いられ、それぞれの国の国民としての生活を余儀なくされ、サーミ語を話すことも禁じられた。
20世紀に入ると遊牧生活を送るサーミの多くが姿を消したが、サーミ語を守る運動も徐々に起こった。
今では、全体の約3分の1程度に当たるサーミが、移動生活を営んでおり、夏は海岸部に住み、冬は内陸部に移動していく。
他のサーミは、海岸とフィヨルドに散り散りに定住しており、多くは湖の側や谷の奥で、トナカイを飼うことを主な職業としながら、海で漁をしたり、狩猟や木の実を採取しながら村を構成して生活している。
また、現代都市部で生活するサーミも増えている。
【自然との調和と食文化】
かつてサーミは、トナカイと共に遊牧生活を送っていた。
1ヶ所に、たくさんのトナカイが留まると草を食べつくし、生態系のバランスが崩れてしまう。
トナカイの数を制限し、季節ごとに住む場所を変えるのも、サーミの知恵。
文明は目まぐるしく発展し続けている。その速さに自然はついていけない。唯一の解決策は、昔を顧みて自然と歩調を合わせることであると、サーミは話す。
そして、サーミの食卓には、「地産地消」の精神が深く根付いている。
トナカイは、肉を食し、毛皮も活用、1頭を余すところなく使い切るのが、サーミの伝統。
食用として、トナカイの肉をスモークやドライにもする。
トナカイ以外の食材は、魚、ベリー、猟の獲物、野鳥(ライチョウ)など。
【伝統衣装】
伝統的な衣装は、コルト(kolt)いう色彩豊かな上着。
フェルト地で作られるこの上着は、主に女性の手によって織られ、地方ごとに細かな差異が見受けられる。
帽子のデザイン、フェルトの地色や飾り付けの違いによって、それを着ている人がどの村の出身であるのか、大体のことがわかるという。
着丈は、北より南のサーミのほうが長くなる傾向がある。
長年に及んだ先住民族軽視の風潮の中で、自分たちがサーミ民族であることを宣言するのは並大抵の勇気ではできないことだったので、つい十数年前まであまり積極的に着られることはなかったが、近年の民族意識の高まりから若年層を中心に、洗礼や結婚式の際の礼服として着用されるようになってきている。
胸元のアクセサリーは、リスクまたはソルユと呼ばれる伝統衣装を身に着ける際、スカーフを固定するためのサーミ特有の宝飾品。
太陽を象徴し、西洋ネギの花の装飾が施されている。
リスクは、伝統的に結婚式のときに身に付けられていたものである。
トナカイの皮を使って作られた、個性的な形をしているサーミの伝統的な靴「ヌツッカート」も、有名である。
【行政・社会的地位】
サーミの社会的立場は、1992年にフィンランドで施行された「サーミ言語法」と、「サーミ本草案」によって規定されている。
この中で、サーミとは、「ラップ税」を支払っていたサーミの子孫たち、あるいは、上記のようなサーミの出自を持ち、本人自ら、もしくはその両親、祖父母の中に少なくとも一人がサーミ語を第一言語として学んだ人がいる者、あるいは、その子孫であると定められた。
つまり、民族を規定するものは、言語であるとの見解が取られたのである。
これにより、何らかの事情でサーミ語を第一言語として学んだ外国人をも、その範疇に含むことになってしまったが、民族を言語によって規定するといった方法自体は、サーミにも比較的穏やかに受け入れられた。
そして、サーミが自分たちのアイデンティティを確立、ないし獲得するために「サーミ議会」という組織を設立した。
サーミ議会は、ラップランドのノルウェー、スウェーデン、フィンランド、ロシアの国境を跨ぐ、半国家の体をなしている。
しかし、完全自治権獲得への動きは見せていない。
サーミの旗は、1986年 8月15日にスウェーデンのイェムトランド県で行われた「北欧サーミ会議」で制定された。
ノルウェーのトロムス県の芸術家 Astrid Båhl のデザインに決定した。
デザインは、シャーマンの太鼓と、南サーミの Anders Fjellner (1795年-1876年) の詩である Paiven parneh(「太陽の子」の意味)をモチーフにしている。
その詩の中では、サーミを「太陽の息子と娘」と描写しており、旗の円は太陽(赤)と月(青)を表し、サーミの色である赤・緑・黄・青を持っている。
行政区画は、4つの国に渡る。そこでの主な領土は、次の県あるいは州になる。
♦ノルウェー領:フィンマルク県 、トロムス県 、ノルラン県 、ノールトレネラー県
♦スウェーデン領:ノールボッテン県 、ヴェステルボッテン県 、イェムトランド県
♦フィンランド領:ラッピ県
♦ロシア領:ムルマンスク州
サーミの総人口は、約227,000人
【五種類の異なる生活様式】
サーミは、大きく分けて五種類の生活様式に分類できる。
♦山岳サーミ(大規模なトナカイ遊牧を専業とする人々)
「サーミ」と聞いて連想されるのはこの系統の人々であり、北欧諸国が観光資源として活用しているサーミのイメージも、これが元となっている。
もっとも、現在ではトナカイの遊牧のみを職業としている人は皆無に等しく、その他副業として第一次産業についている人がほとんどである。
♦海岸サーミ
サガに描かれた交易の民とは、彼らのことを指したと思われるが、現在では他のスカンディナヴィア人と変わらない生活を送っており、その生計の中心は漁業を含めた第一次産業、第三次産業にある。
♦森林サーミ(小規模のトナカイ放牧を行う人々)
漁業、農業やその他第三次産業との兼業を主としている。
山岳サーミと森林サーミにおける違いは、その飼育するトナカイの種の違いから来ている。
山岳サーミが飼育するトナカイは、広大な牧草地とそれに伴う長距離の移動が必要な種であるが、森林サーミが飼育しているのは、森林の周辺に生える地衣類を主食とし、大規模な移動を必要としない種なのである。
♦河川サーミ(イナリ湖で漁業を行う)
♦湖サーミ(イナリ湖以外の大小の川で漁業を行う)
この2つの間に明確な違いはない。
ただ、漁業を主とする人々であることが共通している。
この二つを分ける要素は、その漁場の違いである。
「河川サーミ(イナリラップ)」は、フィンランドの最北部に位置するイナリ湖で漁業を行う人々(1996年現在でおよそ20人程度)を特に指し、「湖サーミ」はその他大小の川で漁を行う人を指すのである。 |